グロキシニア

「花のにおいがする」
壁にもたれたままの姿勢で、彼がぽつりと言った。
「いいにおいだろう?」、とザエルアポロが問うと、「いや」と答えが返ってきた。
「花は花でも、腐った花のにおいだ」
「ひどいなあ、果実は腐る直前が一番おいしいのに」
「論点をずらすなよ」
ノイトラは舌打ちをした。
「どうせ趣味の悪い香水をつけてるんだろ」
「うーん、その推察は100点満点中の40点ってところかな」
ザエルアポロはじらすように意地悪く笑った。
「確かに香水は付けているけれど、趣味の悪いものではないからね」
「……テスラに手を出しただろ」
ノイトラは話題を変えた。「あいつは俺の従属官。おまえが手を出していいもんじゃねえ」
「ちょっとだけ気持ち良くしてあげただけだよ? ぼくも楽しんだし、別にかまわないと思うけれど」
ノイトラは、チッ、と今度は怒りを込めて舌打ちした。
「そういう問題じゃねえ。誰にでも腰振ってんじゃねえぞ。娼婦か」
「本当に誰でもいいのだから、別にいいじゃないか。なんなら、君でもいい」

 ザエルアポロは、自分が仲間のエスパーダを性的に誘惑するのはライフワークのようなもので、今更どうこう言われるようなことではない、と思っていた。もちろん、それを快く思わないノイトラの存在も知っている。知っていながら、テスラを誘惑した。硬派なテスラはほとんど揺らがなかったので、ザエルアポロはすぐに飽きて、途中でやめた。
 この一連の出来事は、ザエルアポロにとってはどうでもいいことだが、ノイトラにしてみれば、自分の所有物を汚されたような気分なのだろう。優秀な従属官、テスラ。テスラのあの杓子定規な感じのまなざしは、研究の対象としては少々熱血にすぎる。端的に言えば、まじめ過ぎて扱いづらい、といったところ。

「色に溺れるのは勝手だが、俺たちに関係のないどっかでやってくれ。俺やテスラを巻き込むな」

 そんな彼の言葉は冷たくて、ぞくぞくした。こんな風に言われて、引き下がれる方がおかしい。
 しかし今は一時的に、引き下がっておこうと思った。ノイトラと本気の闘いをするのは面倒だからだ。特別なデータが得られるわけでもない。利点のない戦いは避けておきたいと思うのは、平和主義者、研究者として当然の願いであると言える。
 それに、ノイトラとテスラにこだわる必要性なんてないのだ。相手ならまだまだ、たくさんいる。身体だけをつないで、夜の濃さの中を生き抜くための相手――代わりはいくらでも存在する。抱いてさえくれればいいのだし、快楽だけをくれたら、それで満足。
 とてもドライだけれど、必要のない付属物は取り除いた方が、生きやすい。
 不確定な要素を排除して、必要なものだけを観測する。
 快楽を得る上で、愛という不確定要素は邪魔なだけだ。だから愛はいらない。今までも、これからも。誰が相手でも。
 簡単な結論が見えたところで、ザエルアポロはノイトラの部屋を辞した。廊下は冷たくひんやりとした空気が香っていて、どこか異世界じみていた。早く研究室に戻りたいものだな、とザエルアポロは思った。


090922