ある春の夕方の風景
「君が仕事をしている様子って、なんだかとってもおもしろいよ」
傍らに座った彼がそんなことをつぶやいた。わたしは鍬をいったんおいて振り返る。
「どうして? ただ、畑を耕してるだけだよ」
「ぼくは、医者の家で育ったからね。畑を耕したことなんてないんだ」
彼が少しさみしそうにほほ笑むのを見て、わたしもほほ笑みを返した。
「でも、わたしだって同じだと思うな」
ずっと、ありふれた、どこにでもいる会社員だった。ここに来て、畑の耕し方や、鉱石の採り方、魚の釣り方――いろんなことを、初めて勉強した。最初は不慣れだったけれど、だんだんと作業が楽しくなってきた。そんな仕事をしながらミネラルタウンの人たちと知り合って、そして彼と出会って、今のわたしがいる。
「ドクターに言われるまで、体調管理なんてしたことなかったの」
「出会ったときの君は、ふらふらになるまで仕事してたね。畑の仕事が終わっても、また鉱石場へ繰り出したりして。鉱石場で倒れてるのを見たときは、本当に肝が冷えた」
実は、ずっと心配だったんだ、と彼は言う。
「でも、今はちゃんと休むことを覚えてる。偉いよ」
「なんだか、その言い方だとわたし、すごく子供みたい」
わたしは少しむくれて見せつつ、ささやかな反撃をする。
「ドクターだって昔は、ひどい出来の薬をわたしに飲ませたり、ちょっとひどかったわ」
彼は苦笑した。
「あれは、本当にすまなかった。ぼくは、君に甘えてたんだ。自分が思っていたより、ずっとずっと、甘えてた。それこそ子供みたいにね」
「もっと甘えてくれてもいいんだよ?」
わたしは悪戯っぽくウインクをする。彼は困ったように視線をそらして、話題を変えた。
「ぼくは、この町以外の世界を知らないけれど――君と出会ってから、世界が広がったような気がする」
世界は――彼が知っているよりもずっと広い。そして、誰かと誰かが出会うことで、世界はさらに広がっていく。わたしも彼も、そのことを長い間知らなかった。彼は、医者として、人間を治して、癒していく。わたしは、牧場で牛や鶏と一緒に、自然に回帰しようとしている。まったく関係のない、交わることのない二つの世界。でも、わたしと彼は出会った。お互いの世界を知った。
「わたしも、ドクターのことを知ってから、いろいろ変わった気がする」
そう言ってから、わたしは鍬をもう一度手に取り、畑を耕す作業を開始する。それを、彼は座ったまま、満足げに見つめている。ずっと前のわたしなら、がむしゃらに、夜になるまで畑を耕し続けていただろう。でも、今日のわたしは、あと数時間ほど経過してから、作業を中断して家に戻る。なぜならここには彼がいて、わたしは先ほど収穫した野菜と魚で、彼の夕御飯を作らなくてはならないからだ。わたしは料理がうまい方ではないし、コンクールではいつもグルメマンに酷評されている。それでも、わたしは料理することをやめない。待っている人がいるということは、そういうことだ。
鍬が地面に刺さる音を聞きながら、わたしは夕食のメニューを何にするかを考えていた。
煮魚に、クリームソースをかけるのがいいかもしれない。
彼の好きな、牛乳をベースにしたソースを。
「何、にこにこしてるの?」
彼が問いかけてくる言葉に、わたしは笑顔で返答する。「別に、なんでもないよ?」
「ふうん」
彼は膝に頬杖をつきながら、わたしの方を見つめていた。そんな彼が夕食のメニューを見てとびっきりの笑顔になる様子を想像して、わたしは少しだけ微笑した。
090906