明るすぎて暗い部屋
まるで世界が終わってしまったときのように幸せそうに笑いつつ、八雲さんはわたしを見つめていた。
わたしはというと、出された料理を食しながら、どこか居心地の悪さを感じている。
おいしい食事、住みやすいホテル、きらびやかなドレス。
何一つ不自由のない生活を、八雲さんはわたしに提供してくれる。
でも、なぜかとても不安になる。わたしは、ここでこうしていていいのか、と。
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「八雲さん」
心細さに耐えかねて、思わず目の前の彼の名を呼んだ。
「はい、何でしょう」
朗らかな笑みが返される。
「……このごはん、おいしいです」
……違う。そんなことを言いたいのではない。
心中とかみ合わない自分の言葉に歯噛みせずにはいられない。
「それはよかった。そう言っていただけるならば、ホスト側の人間としては非常にうれしいですよ」
彼は業務的な微笑で答えた。
誤解されそうなので付け加えておくけれど、この日常自体は、嫌いでも不愉快でもない。
八雲さんと過ごす日常は、トリッキーでとても楽しい。
彼と共にいることが嫌だと思ったことはない。
でも、「結婚」や「お嫁さん」なんてフレーズには、リアリティがないのだ。
それらの想定は、まるで地に足がついていないし、今過ごしている日々の延長線上に、そうしたよくわからない概念があるのだとするのなら、今過ごしているこの場所すらも、理解不能な気味の悪いもののように思えてならない。
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八雲さんに聞いたのだったか、別の誰かに聞いたのだったか、それとも、明治時代に来る前の自分がもともと持っていた知識なのだったか思い出せないのだけれど――グリム童話の「赤ずきん」には、もともとは別な展開があったという話を聞いたことがある。
その話の中で、オオカミと遭遇する途中、赤ずきんは二つに分かれた道の前に立つ。
片方は「ピンの道」、もう片方は「針の道」と書かれた看板が立っている。
この先の展開も、「ピンの道」を選んだ場合と「針の道」を選んだ場合、という二種類の伝承があるらしい。
「ピンの道」とは「布を縫い合わせるために、針ではなくピンを使う、怠けているけれど楽な人生」。
「針の道」とは、「布を縫い合わせるために、せっせと針を使う、勤勉だが大変な人生」の暗示なのだという。
怠けた「ピンの道」を選んだ赤ずきんは、問答無用でオオカミに食べられたまま、腹の中から出てくることもなく、そのまま帰らぬ人となる。
逆に、勤勉な「針の道」を選んだならば、彼女は知略でオオカミを打ち負かし、食べられることなく勝利する。
楽をして怠けようとしたら、その報いを受けて、不幸になるのだ。
子供向けのストーリーとしてふさわしい、「人生、なんでも楽をしようと思ってはいけない」という教訓が織り交ぜられたストーリーとなっているのだけれど、しかし一方でわたしは思うのだ。二枚の布と、針とピン。そんなものを目の前に差し出されたとき、はたしてわたしは、ピンではなく針を使うことを決断できるだろうかと。
まわりくどくなってしまったけれど、結局のところ言いたいのは……八雲さんの手をとる行為は、「ピンの道」だったんじゃないだろうかということだ。
明治時代に来たばかりだったあのとき。
わたしには、八雲さんの援助を断るという選択肢もあった。
それはとても大変で、生半可な覚悟では生死すら危ういような、選択だっただろうけれど。
そんな「針の道」を選んだなら、別の私が存在していたかもしれない、なんて思うのだ。
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「ねえ、八雲さん」
思いきって息を吸って、わたしは彼に問いかけた。
――八雲さんは、ちゃんとわたしを見ていますか?
わたしの向こうに、別のものを幻視してはいませんか?
……八雲さんは、いつもの明るい笑みを消して、真顔になった。
「娘さん」
とわたしを呼んでから、彼は語り始めた。
「まずは、不安にさせたことを謝ります。あなたをそんな気分にさせていたなんて、男として失格でしょうね。いつだって、あなたには笑顔のままでいてほしいのに、これでは全然だめです」
自嘲気味に言ってから、八雲さんは一度言葉を切った。
そしてわたしの瞳をじっと見つめて、こう言った。
「でもね、娘さん……恋とは、幻視なのですよ。わたしのような愚かな男に言われても、わからないかもしれませんが」
彼はそれ以上は何も言わなかったけれど、その一言だけで、ふしぎと疑問が氷解していった。
……恋とは幻視なのだ、それ以上でもそれ以下でもない。
本当のものなんてどこにもない。
それこそ物の怪でも見ているような、次の瞬間には消えてしまいそうな非現実。
しかし、今はまだ……
ぼんやりと考えつつ、絹豆腐を口に運んだ。口の中で嘘のようにふわりと溶ける。
涙が出そうにおいしかった。そのおいしさも、豆腐を飲み込んでしまった瞬間に、幻になる。
恋とは幻視だ。
優しい言葉も、首筋に落ちるキスも、狂いそうになる恋情も、あやふやな未来への約束も、あったかもしれない別の可能性を夢想することも――すべてが幻に過ぎない。
むなしくも美しい、真理だった。
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しばらく、二人の食事の音だけが部屋に満ちていた。
世界には、食器がカチャカチャと鳴る、この音しかないのではないかと思った。
「八雲さん、わたしは今、とても幸せですよ」
そんな言葉が、無意識に口をついて出ていた。
でも、その幸せは、窓のない部屋で、宝石の不変の輝きを眺めつづけるような……薄暗い背徳なのだった。
そんなわたしの気持ちに気付かないまま、八雲さんはうれしそうに顔をほころばせる。
彼の左目が、吸い込まれてしまいそうに暗い輝きを宿す。
その輝きの幻惑。
それこそがすべてだと、わたしはようやく悟った。
2012年5月23日