土師圭吾――彼について大助が知っていることは多いようで少ない。いつも病的に青白い顔をしていて、誰よりも生を望みながらも死に臨むことをやめようとしない、という矛盾した性質と特環支部長の肩書を持つ。虫憑きの妹がいるが、彼自身は虫憑きではない。
そして何より彼は――虫憑きというものが、大嫌いなのだ。


Snow Job


「薬屋大助くん」
馬鹿にしたような調子で――いや、実際馬鹿にしているのだろう――車の助手席に腰かけた土師圭吾が、後部座席にいる大助を呼んだ。普段、彼が本名で大助を呼ぶことはめったにない。彼がこんな風に大助を呼ぶのは、何か裏があるときや、後ろめたいことがあるとき、もしくはからかっているときだ。だから大助は目を閉じて黙っていた。するとやはり、彼はこう尋ねてきた。
「寝たふりかい? それとも、だんまりかい?」
これ以上黙っていると何を言われるかわかったものではないので、大助は仕方なく返答した。
「……おまえが俺のことをフルネームで呼ぶときに、いいことがあったためしがない」
「人を疫病神みたいに言わないでおくれよ」
おおげさにため息をつきながら土師が言った。まったくもって、仕草一つで人を腹立たしい気持ちにさせるということにかけては、彼の右に出る者はいないのではないだろうか、と大助は大まじめに思案する。特環東中央支部長・土師圭吾はおそらくこの日本で虫憑きに最も嫌われている人間だろう、というのは虫憑きの間での常識のようなものなのだが、相手が虫憑きでなくとも、この性格では人に好かれるということ自体が困難なのではなかろうか。特環の中でもあまり社交的ではないようだし、損な性分といえばそうなのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えつつ、大助は言った。
「疫病神の方がまだましだな」
「ははは! ぼくも嫌われたものだ。そうそう、ところで」
土師が、その切れ長の瞳で大助を見た。
「君とぼくにはある共通点があるんだ。なんだかわかるかな? "かっこう"」
「そんなことは考えたくもないな」
適当にあしらうと、土師は何を考えているのかまったく読めない表情で、
「……好意を抱いた相手が虫憑きだったってことさ。」
と言った。その瞬間、大助の脳裏には一人の少女の姿が浮かんだ。
少女は悲しげな影を背負った表情をしている。
けれども、その実、彼女は心の芯に夢を抱き続ける、誰よりも強い精神を持った虫憑きだったということを大助は知っている。
かつて、白い蛍の力をその身に宿した少女。彼女の瞳は――今は、もう光を宿してはいない。
「あー……」
大助は思考を一時停止し、真顔になって言った。
「土師、一応、真剣に忠告しとく。そういう趣味の悪い発言、控えた方が身のためだぜ?」
「……どうして?」
笑顔で尋ねる土師は、どうやら自分の言っている言葉が人の心に与える影響というものを、理解していないと見える。いや、理解していないふりを、気づかないふりをしているのだろうか。大助にはよくわからなかった。
「俺はジョークの通じない人間で、なおかつ特環最強の虫憑きだからだ。……正直、おまえが『特環支部長の土師』じゃなかったら何回か殺してるところだ」
「"かっこう"さまのご慈悲には感謝しないとねえ」
まったく感謝を表現できていない飄々とした口調で土師は言う。
大助はため息をつく。
「おまえのその図太さには尊敬の念を通り越して吐き気がするよ」
「ここで吐かないでくれよ? また車を新調しなきゃいけなくなる」
土師は涼しい顔でそんなことを言いながらリクライニングシートを少し倒した。そういえば、時間はもう深夜の二時を過ぎようとしている。さすがの土師も少し疲れているのかもしれない。
しかし大助はそれには構わず、負け惜しみのように脅しの言葉を口にした。
無論、彼が脅しに屈することなんてないことはわかりきっているのだが、承知の上だ。
「おい、土師。あんまり調子に乗るな。本当に車を壊されたいのか」
「おやさしい"かっこう"さまがそうしたいなら、別にかまわないけど」
本当に、車の安否など――もしかしたら車と一緒に自分の命が消えるかもしれないことすらも――心底どうでもいいのだ、この男は。改めて、気味の悪い奴だと思う。どこまでが強がりで、どこまでがハッタリで、どこまでが本音なのか、まったく推し量れないのだから。
これは一つの仮定にすぎないが、土師自身もそれらをわからないまま発言しているのかもしれないと大助は考えている。
この男は例えるなら蜘蛛だ。周到に網をはり巡らせ、じわじわと獲物を追い込み、逃げられなくしてから食らってしまう"虫"。しかしながら、その過程において自分の本当の目的を見失ってしまっている。獲物はいつしか干からびて鮮度を失ってしまうというのに、動けずにじっと何かを待っている。いつまでも。
自分がこんなことを考えていることを知ったら、土師は怒るのだろうな、と大助は思っている。何しろ土師は虫憑きというものを心の底から憎悪しているのだ。"虫"に自らを例えられたりしたら、特環の虫憑きを総動員して大助を殺しにかかりかねない。……いや、さすがの土師もそこまで大人げのないことはしないだろうか。絶対にしないとは言い切れないあたりが恐ろしい。
「あ……」
土師が珍しくため息のような声を漏らしたので、大助は彼の方を見やった。
土師は窓から外を見ていた。
そこに降っていたのは純白の雪だった。
大助はその雪の中にあの少女の面影を見ていたのだが、土師はそれには触れず、ぼそりと言った。
「これが、世間で言うホワイト・クリスマスってやつだね、"かっこう"」
そう言われて初めて、大助は今日がクリスマスだということに気づいた。
そんなことすら忘れてしまうほど、最近は特環の仕事に追われていたのだ。
「……一緒にいるのがおまえでさえなければ、最高のクリスマスだったよ」
「同感、だ」
そう言って土師は空を見上げた。そのときの土師は、いつもよりさらに儚げに見えた。
地に落ちた雪と共に消えてしまいそうなほどに。つまらない感傷に過ぎないと言えばそうだ。けれど、もしかしたら、このとき大助は彼に何か声をかけておくべきだったのかもしれない。一年後、同じクリスマスの夜に、彼が大助を庇って大怪我を負うという結末を知っていたら、大助はこんなに憎まれ口ばかりを彼にぶつけて、大切なことを何一つ言わずにおいたりはしなかっただろう。
命を大切にしろ。
自分の命が自分のためだけにあると思うな。
死に急ぐな。おまえが死んだあとに残された妹や特環の仲間のことを、ちゃんと考えろ。
それだけ、――それだけなのに。それらの言葉をただ、彼に言えばよかったのに、と大助はのちに思うことになったのだけれど、それはまた別の話だ。
……言ったところで彼の生き方が変わったとは、今も思えないのだが。
そのとき、土師は何かを思案するように視線を落とし、こう言った。
「――メリー・クリスマス。"かっこう"」
彼のその言葉を、一年後に自分が彼に言うことになるなんて、大助はまったく考えていなかった。このとき大助は土師に、何も言わなかった。言うべきことなんて何も考えなかったし、土師の言葉に何か返事をする必要があるとも思えなかった。
「……柊子さん、遅いな」
話題をそらすように、運転席に座っているはずの女性の名を口にしながら、大助はシートに深く腰掛けて眠りを貪ることにした。土師は何も言わなかった。大助の位置からは前に向きなおった彼の表情は見えない。もう眠っているのかもしれなかった。

眠りに落ちながら大助は幻視していた。
白い雪の中にたたずむ、あの少女の姿を。
そして、彼女の抱いていた夢が実現した世界を――
そこに大助や土師圭吾ら特環の人間が存在したのかどうか、それは見えなかったのだけれど、それでも構わないと、なぜか心から彼は思うことができた。それを人はやさしさと呼ぶかもしれないし、単なる気まぐれだと笑うかもしれない。
どちらでも構わない。大助は今も、そう思う。
ただ、聖夜にふと浮かんだこの感情を、いつまでも抱いていけたら。
忘れずに生きていくことができたら。
そしてできれば、彼女と彼女の夢を裏切らずに生きていくことが可能ならいいのに――そんなことを、大助は考えていた。







071226





一日遅れのクリスマス話です
ちょこっと原作ネタも入っていたり
しかし原作をまだ全部読めていないので時系列とかいろいろ間違っているかもしれないです…勢いと愛だけで書いた!反省はしない!!!
とりあえず土師さんと大助の会話を妄想するのがかなり楽しかったのですが、大助がすごいツンデレぽくなっていて書いてからびっくりしました
あれ……大助ってツンデレだっけ……? むしろかっこうがツンデレ?
と疑問符満載のまま終わります