狂人因子
「誰もが狂人因子と言うようなものを持っているとして、ぼくが狂ってしまったら君はどうする?」
ぼくがそう言うと、安藤直樹は言葉の棘をこちらに向けた。その顔には、表情が乏しい。
「殺してやるよ」
「……どうやって?」
それは野暮な突っ込みだったのだろう、安藤は眉をひそめた。
「別になんだっていい。リクエストがあるなら今のうちに聞いてやる」
『狂人因子』なんて、ぼくが今唐突に思いつきで言いだしただけの言葉なのに、安藤は本気にしているようだった。それがおかしくて、ぼくは思わず少し笑う。
「なんで笑うんだ」
安藤は憮然としていて、その様子が余計にぼくを笑わせる。
「……ぼくも、なんだっていいよ。あえて言うと、できるだけ安楽に死にたいってくらいだね」
笑い終わったぼくがそう言うと、安藤はふっと疲れたように笑った。
「わかった」
安藤のその言葉に対し、ぼくは何も言わない。この話はこれで終わりだ。
「飯、食べに行こうか」
「ああ」
ぼくらがまだ友達だったころの、何気ない、どうでもいい会話。
今思い返してみても、その会話には何の意味もなかった。
ただ、ぼくはその後、その会話の中の仮定通り、狂ってしまった。
狂ってしまったぼくを、きっと安藤は殺しに来るのだろう。
もう友達じゃないとしても、安藤はその約束だけは守るのだろう。
彼は、そういうところで妙に律儀な男だった。
彼はぼくとの約束を守り、ぼくのためにぼくを殺してくれるかもしれない。
――それが嬉しいことなのか悲しいことなのか、今のぼくにはもうわからないのだけれど。
今日も一人、人を殺してしまったぼくを、彼はどんな瞳で見るのだろう。
今はただ、それだけが気になる。
100311