名探偵とチョコレート

――ぼくはその日、安藤直樹の奇行を目撃した。
 久々に会った彼は、隣にいる飯島の存在を無視して、ぼくに箱を投げつけてきたのだ。
「何するんだよ、痛いだろ」
「やる」
その言葉の意味がよくわからなくて、ぼくは首をかしげる。飯島も同じように首をかしげている。
「やるって、ぼくにくれるってこと?」
「他にどういうやるがあるんだ」
安藤はあくまで不遜な態度を崩さない。まあ、いつものことだった。
 箱を開けてみると、チョコレートが入っていた。
「安藤、まさか……」
ぼくら二人の視線が冷える。安藤は少し焦ったようにこう付け加える。
「違う。余ったからやるんだ」
「バレンタインじゃなくてホワイトデーなのに、余るほどもらえるなんて、安藤君ってばモッテモテー」
隣から飯島がはやしたてた。ぼくも何か嫌味を言いたかったが、やめておく。
「じゃあ、もらっておくよ。不本意だけど」
そう言って、ぼくはかばんにチョコレートをしまう。

……そして、さっき見てはいけないものを見てしまったことを思い出す。
 待ち合わせに来る前、ぼくは商店街を歩いていた。
 ホワイトデーのチョコレートのチェーン店の前には行列ができていて、その行列に、なんだか無愛想な男が一人並んでいた。
 そのことは、このチョコレートには特に関係がないかもしれない。
 とりあえず、彼に直接聞くのははばかられたし、普段から意味のわからないことばかりする安藤のすることなのだから、特に意味なんてないんだろうと思った。
 気にする必要なんて、ないだろう。
 そう思って、ぼくはそのまま、その日をやり過ごした。
 安藤はいつもどおりに無愛想で、飯島はいつもどおりに馬鹿で、ぼくはいつもどおりに偏屈だった。
 いつもどおりの日々の中で、ぼくのかばんに放り込まれたチョコレートだけが、非日常だった。
 帰宅してから食べたチョコレートはひどく苦くて、まるで安藤みたいに無愛想だった。
 そう、安藤みたいに。
 ちょっとだけおかしくなって、ぼくは部屋で声を立てて笑った。
 箱はゴミ箱に捨てて、思い出に残らないようにした。
 たぶん、そうした方が安藤も喜ぶだろう。
 口の中に残るチョコレートをなめとりながら、本棚の本を取り出して読みはじめる。
 本の中では偉そうな名探偵が事件の解答を語っている。
 なぜか、その探偵の顔に安藤の顔が当てはまってしまった。その面影を追い払えなくなって、本を読むのをやめる。
――きっと、安藤はチョコレートのことなんて、明日になったら忘れているだろう。
 彼は、そういう男だ。
 でも、たぶんぼくは忘れられないだろう――という気もする。
 そのことに、特に意味なんてない。
 安藤の行動に特に意味がないように。
 ぼくの感情にも、特に意味なんかないのだ――

 そう言い聞かせながら、眠った。
 夢の中では、名探偵・安藤直樹が事件を颯爽と解決している。
 おいおい、そのポジションはぼくのものなのだけれど――そう突っ込みを入れて苦笑いしながら、ぼくは彼の推理をいつまでもいつまでも、聞いているのだ。
 たぶん、犯人はぼくだ。
 夢から覚めて、なぜかそう確信した。
 探偵は彼で、犯人はぼく。
 その構図が妙に笑えないものに思えて、ぼくはまた苦笑したのだった。


100313


友情以上、何かわからないもの未満な二人が好きです。
一番かわいそうなのは間違いなく飯島君。