例のSOS団とのゲーム勝負の際にわれわれコンピュータ研がこうむった被害は甚大なものだった。ノートパソコン四台を奪われただけでなく、部外者にゲームデータをゲーム中に書き換えられるなどという失態を犯したぼくらは、みな一様に自信をなくしていた。さらに、そんなぼくらを追い込むかのように、名前を口に出すことすら恐ろしい、あのSOS団団長に毎日のように理不尽な命令をされるため、ぼくらは疲弊していた。
それでも、ぼくは、ここ最近、悪い気分ではない。むしろ幸せで充実した学生生活を送っていると断言できる。他の部員も、口にこそ出さないがおそらくぼくと同じのはずだ。自分でもこの心の動きを不思議に思っていたのだが、どうやら、逆境の中にいるぼくらを上機嫌にしてしまうのは、あの勝負のとき以来、ときどきわが部室に訪ねてくる、あの少女の存在であるらしい。
少女の名は長門有希。ショートヘアーのよく似合う、ひどく表情の乏しい後輩である。


少女Nと少年Yの些細なる青春



彼女が初めて部室へきたときのことをぼくは忘れない。
ノックされた扉を開けると彼女が立っていたので、
「よっ」
ぼくは舌を噛みながらこう言った。
「ようこそ!コンピュータ研へ」
「どうも」
彼女はそう返事をして、入口に直立していた。能面をかぶったかのような無表情。部員たちは未確認生命体を見るような目つきで彼女の様子を見ている。そう、なんといっても彼女はあの悪名高いSOS団の団員なのだから、警戒されてしかるべきである。
しかしながら、部長たるこのぼくが黙っていては、彼女はずっとそこに立っているしかない。
何か、言わなければ。
「えーっと、じゃあ、そこのノートの前に座って、適当に何か」
ぼくがどきまぎしながらノートPCを示すと、間髪入れずに彼女が頷いた。
「了解した」
パソコンの前に座った彼女はやがて、ものすごいスピードでマインスイーパをやり始めた。
確かにぼくは「適当に」と言ったけれども、色々と最新型のゲームやプログラムがたくさん入っているというのに、それには目もくれずマインスイーパを一心不乱にやり始めるなんて……しかも、ありえないくらいの超速記録をたたき出している。案の定、部員たちが周りでひそひそ何かを話しているのが聞こえる。
ぼくは、冷や汗をかきながら彼女にこう尋ねた。
「マインスイーパ、好きなのかい?」
「このゲームをするのは今日が初めて。……嫌いでは、ない」
「は、初めてっ!?」
ぼくと部員たちが同時にそう叫んだ。
初めてなのにそんなに慣れた手つきなのかとか、プログラムを書き換えるほどの腕を持ちながらマインスイーパをやったことがないのかとか、聞きたいことはいろいろとあったが、何からどう聞けばいいやらわからず、ぼくは黙った。部員たちも黙った。静けさが支配した部室の中で、長門有希が爆弾の場所に×を入れていくカチカチという音だけが響いていた。


ということで彼女の第一印象は強烈で忘れがたいものだった。
見かけは普通の文学少女なのだが、やはり彼女もSOS団員、「普通」でなどあるはずがない、というわけか……ぼくはそんな風に思った。
彼女はそれ以後も、部室に来てはマインスイーパと格闘していた。ぼくらは遠巻きにそれを見ているだけで会話も交わさないということがしばらく続いた。何を考えているのかわからない、液体ヘリウムみたいな澄んだ瞳が、無言で拒絶を表しているかのようで、ぼくらは彼女に近づくことができなかった。
しかし、彼女に話しかけてみたいという願望がぼくの中で少しずつ育ちつつあった。彼女が異性だからでも、美人だからでも、変人――SOS団員だからでもない。あの日、鮮やかにぼくらのプログラムを書き換えてしまった彼女の才能が――ぼくに、彼女がどんな人間で、どんな気持ちでコンピュータに触れてきたのか、それを知りたいと思わせたのだ。
そう、初めに抱いたのは尊敬と畏怖だった。彼女のあの白い小さな手が、キーボードを叩き、天才的、いや超人的な速度でプログラムを生み出したり、修正したりしていく。それを思うたびに、ぼくは自分の無力さを恥じることになったのだが、不思議と、後ろ向きな気持ちにはならなかった。ただ、自分も頑張ってみようと思った。彼女ほどにはなれなくとも、自分には、コンピュータにかける情熱と、それを共有する仲間がいる。だから大丈夫だ。そんな気がした。



話を元に戻そう。ある日、彼女にどうやって話しかければいいか、どうしたらちゃんとした会話を交わすことができるか、悶々と考えながら部室で液晶に向かっていたぼくの背を、誰かがつついた。
振り向くとそこには、長門有希が立っていた。心を見透かすような視線に、どきりとした。
「教えてほしい」
彼女がぼくにそう言った。ぼくが目を見開いたまま硬直していると、彼女の手が、彼女が先ほどまで使っていたノートPCを指し示した。
「えっと、……マインスイーパ以外のゲームを教えてほしい、ってことかな」
違っていたらどうしようかとびくびくしながら尋ねると、彼女はこくりと無言で頷いた。
「いろいろ入ってるけど、どんなのがいいかな」
「なんでも」
彼女の答えは簡単にして明瞭。しかしそれゆえに……答えにくい。
とりあえず、当たり障りのない、ライフゲームを教えることにした。好き嫌いが分かれるものではあるが、なんとなく彼女はこういうものが好きなような気がした。
その後、自分のパソコンの前に戻った彼女は、黙って、マウスをクリックするたびに少しずつ変化する不思議な模様を眺めていた。どうやらお気に召したようだ。ぼくは安堵のため息を漏らした。
液晶に向かっている彼女は、なんとなく、少しだけ、普段よりも楽しそうに見える、ということに気付いたのは、それから一週間ほど経ってからのことだった。



「あっ、あの」
その、さらに数日後。ぼくは部員たちの好奇心に満ちた視線を痛いくらいに感じながらも、パソコンの画面に向かう彼女に話しかけることに成功した。女性というものに全く縁と免疫のない一コンピュータ研部員が、ここに到達するまでにどれだけの苦難と努力を要したのか……それは御想像にお任せしよう。
「なに」
彼女の抑揚のない声がそう応じた。
「今度、新学期に、また新しいプログラムを作って発表しようと思うのだけれども」
彼女は黙って頷く。ぼくは息を大きく吸って、言った。
「君も、……一緒に、考えないか?」
ぱちぱちと数回まばたきをして――あとで考えると、それは彼女なりの「驚き」の表情なのかもしれなかった――彼女はこう答えた。
「構わない」
ぼくが思わずガッツポーズをとったのと、部員たちが驚きでどよめくのはほぼ同時だった。

+++

わたしは不思議な感覚を覚えていた。
SOS団の部室の隣に存在するコンピュータ研の部室。そこで、パーソナルコンピュータを操ることが、何故だろう、とても――いや、この先はわたしの持つ言語ではうまく表現できない。しいていえば、図書館という場所に初めて連れて行かれ、本の中に埋もれて過ごしたあの日に感じた感覚と同種のものかもしれない。
これは、地球の人間の言葉に置き換えるならば、そう、「執着」だ。
わたしという個体はそれを覚えたらしい。
これは問題かもしれない、とわたしは思考していた。
朝倉涼子があの日暴走し「彼」に向ってナイフを振るったのも、いわば一種の執着心からだった。わたしは彼女と同じ感情を覚えてしまった。それは、情報統合思念体や涼宮ハルヒ、そして「彼」に、わたしが悪影響を及ぼす可能性が生じたということ。
今日は、コンピュータ研究部の部長である人物にある誘いを持ちかけられた。わたしがコンピュータや読書に「執着」しているように、どうやら彼もわたしの存在に「執着」しているように見受けられる。どうしてだろう、わたしはその事実が少し――嬉しかった。この感情が本物の「ヒト」の感情なのか、擬似的なものなのか……それはまだ、判断できない。

+++

彼女がぼくに提案したソフトの内容は、分岐つきのサウンドノベルだった。
ぼく自身は、正直なところ、プログラムをつくること以外には秀でていないし、興味もない。だから、ノベルのシナリオはうまくは書けないかもしれない。「THE DAY OF SAGITTARIUS」のシナリオだって、戦略シーンの操作や設定を決めてから適当にでっちあげたものだ。そうぼくが言うと、彼女は言った。
「わたしが、やりたい」
彼女がそんな風に自分の意見を表に出すのは、珍しいなとぼくは思った。
滅多に要望を口にしない彼女だからこそ、ぼくはその彼女の言葉を尊重したいと感じた。幸い、ノベルのプログラムを組むことは難しいことではない。彼女がシナリオを書く。ぼくらはそれをサポートしつつ、プログラムを組む。そうすることを提案すると、彼女は無表情のまま、「それでいい」と肯定の返事をした。


数日後、彼女が差し出した原稿用紙の束。そこには、彼女が書いたノベルゲームのシナリオが書かれている。ぼくはそれを受け取り一読し、ううむと唸ってしまった。
そこに書かれていたのはファンタジーに該当するジャンルのノベルシナリオだった。
実体をもたない雪の妖精が、神の気まぐれで人間の体を持ってしまうところから、物語は始まる。妖精はある男性に恋をする。彼は個性や特性というものを持たない、平凡としか言いようのない男だ。しかし、そんな彼には一つだけ、普通ではないところがあった。彼には恋人がいて、彼女は強大な力を持った魔法使いなのである。彼女が本気になれば、この世界そのものを消してしまうことだってできるのだ。
ある日妖精は男に偶然出会い、少しだけ話をする。男も妖精の存在を気にし始める。ここから、物語は分岐していく。
あるシナリオでは、妖精と男の恋が成就し、二人は幸せに暮らす。魔法使いの女は、最初はショックを受けていたようだが、二人の恋路を応援しようと決断する。
違うシナリオでは、妖精と男の逢瀬をたまたま見てしまった魔法使いの女が、嫉妬のあまり、魔法を使って世界を滅ぼしてしまう。
妖精が、二人の幸せを祈って身を引くシナリオもあった。
こんな調子で細かく分岐した多彩なシナリオが楽しめる、実によくできた模範的なノベルだった。それをぼくらは絶賛したのだったが、肝心の長門有希本人は、ただただ無表情なまま、賛辞を受け流していた。
そんな彼女を見ながら、ぼくはこのシナリオに潜むもうひとつの意味に、気づきかけていた。平凡な男と、世界を滅ぼす魔女――この二人の描かれ方は、なんだか、見覚えのあるものだ。この二人は、ぼくのよく知っている人物を元に書かれているような気がした。特に、身勝手で強い、絶対的な力を振り回す「魔法使いの女」――これは、まさか。ぼくはそんな疑念を抱きながら、考えていた。平凡な男と魔法使いの女が実在の人物を元に書かれた存在だとするなら、もしかしたら、雪から生まれた「妖精」にも、モデルが存在するのではないか。だとしたらそれはおそらく――
「ねえ、君は……」
ぼくはそのとき、彼女に何を問おうとしたのだろう。
なぜか心がきしむように痛かった。「雪の妖精」が、「身勝手な魔女」に従う「平凡な男」に恋をする。それは虚構の中の恋にすぎないのに、ただのノベルゲームの世界なのに、なぜかぼくは悲しかった。
そのとき、ぼくはようやく気付いた。
自分は、「雪の妖精」のことを――長門有希のことを、好きだ、ということに。
何かを言いかけて黙ったぼくに背を向けて、彼女はすたすたと去っていった。ぼくは、彼女に渡された原稿用紙の束を見つめながら、ただその場に立ち尽くしていた。


その日の放課後、部活を終えて部屋を出ようとすると、廊下からにぎやかな声が聞こえた。どうやら、SOS団の活動もちょうど今終わったところらしい。あの団長に見つかると、また理不尽な命令や恐喝をされる可能性があるので、少しだけドアを開けずに待って、廊下が静かになってから部室の外へ出た。廊下の窓から、下校していくSOS団長と団員たちの姿が見える。ぼくの視線は自然に長門有希の方へ吸い寄せられていく。彼女はいつもの無表情のまま、彼らとともに歩いていた。
しかし、ぼくには彼女の小さな変化がわかった。彼女は、ぼくらのところにいるときよりもリラックスしているし、安心している。彼女が仲間に心を許しているからだ。あそこが彼女の居場所なんだということをぼくは痛感した。彼女が何度ぼくのところへ来てくれたとしても、コンピュータ研部室は彼女の居場所にはならない。彼女の帰るべき場所は、SOS団なんだ。そして彼女が恋しているのは、ぼくじゃない。SOS団の「彼」なんだ。
今更のように気づいた、わかりきっていたはずの事実。その事実が、ぼくの心に暗い影をおとすのを感じた。

+++

俺は誰かの視線を感じて振り返った。視線の主は校舎の窓から俺たちを見ているようだった。遠目だからよくは見えなかったが、俺の目には、茶色い短い髪のその人は、コンピュータ研の部長氏に見えた。
部長氏の浮かべた表情はとても悲しげだ。
どうして、あの人は、あんなに、何かを思いつめたような悲壮な表情で俺たちを見ているのだろうか。戻って部長氏に声をかけるべきか迷ったが、ハルヒが振り返って俺をせかす声が聞こえたので、後ろ髪をひかれながらも俺は立ち去った。


to be continued.....



071211


DVDを見直して、部長長門いいじゃん!萌え!となったので
実験的に書いてみたらなにやら長くなったんで、とりあえずここまで
続きはたぶん近日中に

部長のイニシャルはYでいいんですよね?
というのがちょっと不安要素! でもまあいいや