深々と降る、白い雪。
 それは暦のないこの場所に、静かに冬の訪れを告げる合図だ。


ある冬の日の物語


「オルタンシア、ヴィオレッタ! 雪だよ! 雪が降ってるよ」
そわそわと部屋の中を歩き回る男を見ながら、わたしはため息をついた。
 何度季節が廻っても、この人は変わらないのだなあ。
 そんなイヴェールだからこそ、わたしもオルタンシアも彼のそばにいようと思うのだろう。放っておけないと感じるこの気持ちは、一種の母性本能かもしれない。
「ムッシュ。もう少し落ち着いた方がよろしいと思いますわ」
オルタンシアは呆れたように言う。
「そうよムッシュ。まるで子供みたい」
わたしも彼女に同調するが、この部屋の主人は何も聞いていなかった。
「そうだ、サヴァンに会いに行こう! きっと楽しいことが起こるよ!」
そのセリフを言い終わらないうちに、彼は犬か何かのようにすごい勢いでぱたぱたと駆け出し、部屋を出て行ってしまう。普段の引きこもりっぷりが嘘のようだ。
「仕方ありませんわ、わたくしたちも行きましょう」
「ウィ」
オルタンシアとわたしは、同時に嘆息した。気まぐれな主人を持つと苦労するものだなあと思いつつ。

+++

 晴れの日には公園に常駐しているらしきクリストフは、公園のベンチにはいなかった。雪が降っている中、そんなところでぼうっとしているはずはないのだが、イヴェールは困ったように首をかしげた。
「どうしよう、サヴァンがいない」
「他に賢者様のいそうな場所はご存じないんですの……?」
「知らない」
困り果てた顔で、彼はそう答えた。
「とりあえず公園の中を探してみましょう」
オルタンシアが提案する。あまり建設的な提案ではなかったが、従うしかないだろう。このまま帰ったら、イヴェールが落ち込むのは目に見えている。
「よし、行くぞ!」
誰よりも早く走り出すイヴェールの背中を見ながら、明日筋肉痛に苦しむ彼の姿を想像して、少し心配になった。
「まったく……しょうがない人だわ」
オルタンシアのつぶやきに肯定の返事を返しつつ――わたしも傘を差したまま走った。

+++

「何を走り回っているのかと思えば――わたしを探していたのか、君たちは」
呆れた、と言いたげに賢者はつぶやいた。
 ここは元の場所……クリストフのいつも座っている、ベンチの前だ。イヴェールは冬だというのに汗だくだ。もう少し早く声をかけてくれたらよかったのに……と思わずにはいられない。ベンチの前に立つクリストフの持つ傘には、薄く雪が積もっている。
「今までどこにいたんですの、賢者様……」
「新雪に足跡をつけに行っていたに決まっているだろう」
平然と答えるクリストフ。普段、知的な遊戯と称して読書や思索に耽る男のセリフとは思えなかったが、もしかするとどこぞの能天気なひきこもりの影響を受けすぎているのかもしれなかった。
 そして案の定、その言葉を聞いてイヴェールが悲鳴を上げた。
「な、なんだって!? ぼくも足跡をつけたいよ、サヴァン!」
「ここらへんの雪は、もうわたしが徹底的に踏んできたから無理だ。別の日にまた来なさい」
はっはっはっ、と軽快に笑うクリストフは、小学生並みに低レベルだった。
「いい年をした大人の男性二人の会話とは思えませんわ」
「同感……」
楽しげにじゃれあう二人を見ながら、わたしとオルタンシアはまたため息をついた。その間にも、わたしたちの差す傘にゆっくりと雪が積もってゆく。見上げると、空は雪と同じように白かった。彼の髪の色に似ている、と思った。

+++

 騒がしく戯れていた二人だが、しばらくして、降りつづける雪を見ながら黙り込んだ。
「綺麗……だな」
唐突に訪れた沈黙の中で、わたしたちのあるじが言った。先ほどまではしゃいでいたのが嘘のように、せつなげな声だった。

「綺麗だけど、いつか消えてしまうんだよな」

雪は降る。けれど、いずれは溶けて消えてしまう。人が「生まれ」ても死んでていくように。何度「生まれてくる」ことができても、どんなに祝福されても――人はいつか死んでしまう。それをわかっているから、この男はいつまでもここにとどまっているのかもしれない、とわたしは思う。彼がここに在るのは――生まれたいという願望と、いつまでもここにいたいという願望の間で揺れているからだ。賢者と双子の人形と彼だけが存在するこの世界にとどまっていたい。その気持ちを、わたしもオルタンシアも共有している。
「ムッシュ……」
わたしは、そんな彼に何と言えばいいのだろう。
 早く「生まれ」てほしいと思いながら、いつまでも一緒にいたいとも願ってしまう……そんな、わたしは。同じ気持ちだったのだろう、オルタンシアも黙ってイヴェールを見つめていた。

「大丈夫さ」
沈黙を破ったのは、クリストフの声だった。底抜けに明るい声で、彼はこう続けた。
「この世界に雪が降ったことも、こうして雪を見たことも、全部……思い出に残っている。雪の結晶のひとつひとつはちっぽけで儚い。だが――君たちが覚えている限り、存在を許されつづけているんだよ」
だから、大丈夫だ――と彼は繰り返した。その真剣な表情を見て、わたしたちは気づく。……クリストフはわたしたちを励ましているのだ。彼はわたしたちとは決定的に違う。でも、同じ世界にこうして存在している。言葉を交わすことができる。彼はわたしたちの存在を覚えて……許してくれている。イヴェールが「生まれ」た後でも、きっと変わらない。それは……救いだった。

「それに、君の部屋には冷凍庫という文明の利器があるじゃないか」
おどけた調子でクリストフが笑う。
「雪も氷も、永遠にしまっておけるよ。何なら、これから雪だるまでも作るかね」
今日という日の記念に――と彼は言った。
「雪だるま、か」
それまでうつむいていたイヴェールは、顔を上げてにっこり笑った。
「よし、ぼくが一番大きいのを作るぞっ!」
ばたばたと走り出し、ずでんっ、と派手な音をたてて転ぶイヴェールの姿を見ながら、わたしも雪の球を転がしはじめた。一度見たら忘れられないような、いつまでも記憶に残る雪だるまを作って、彼らをあっと言わせてやるために。隣で、オルタンシアも同じように雪の球を作っている。
「……イヴェールのこれから生まれる世界に、君たちが共に笑顔で存在していることを、わたしは願いつづけるよ」
クリストフのつぶやき声は、少し悲しげだった。わたしは聞こえなかったふりをして、雪玉をころころと手のひらで押していった。オルタンシアもイヴェールもとても楽しげで、この日のことはわたしたちの大切な思い出となった。……雪だるまはどれも大きすぎて、冷蔵庫に収めることはできなかったけれど、わたしたちみんなが覚えていればそれでいい、とクリストフは言った。そのとおりだと心から思った。

081120

オリジナル解釈混ぜまくりなかんじですが、こんな四人が大好きです。
言うまでもなく、「物語」という単語はあの読み方で。