金魚
昔、縁日で金魚すくいをした。
しかし、すくった金魚がどうなったか、どうしても思い出せない。
家まで持って帰ったのだろうか。放っておいたら勝手に死んでしまったのだろうか。それとも、殺してしまったのだろうか。
すくい終わってビニール袋に入れたところまでは覚えているのに、その先の記憶が曖昧だ。
宇宙船の中で金魚が浮いているのを見て、縁日の金魚のことを思い出した。水のまんまるな膜に包まれ、ふわふわと浮遊するそれは、たぶんわたしにしか見えないものだろう。先生のピアノの音色に呼応するように、ゆらゆらと水が揺れる。それに合わせて、ぶれるように金魚が水の中を移動するのを、わたしはぼんやり眺めていた。
ビニール袋の中を窮屈そうに泳いでいた、わたしの金魚。ここで今、空を漂っている赤い魚は、あのときと同じ金魚なのだろうか。それともまったく関係のない、別の個体だろうか。
しかしおそらく、ビニール袋の中にいるよりも、宇宙船の中でふわふわ漂っている方が幸せだろう。それだけは間違いない、とわたしは考える。今、宇宙船の中を漂っているあの金魚は、わたしのものではない。先生の宇宙船の中で、先生の演奏に合わせてゆらゆら動いているのだから、たぶん、先生の所有物なのだ。彼の音楽の中に泳いでいる金魚には、わたしは触れることができない。それはとても残念なことだ。だが、同時に少しだけ安心する。金魚はとても弱くて小さくて、わたしが触ったら何かのはずみで死んでしまうかもしれない。死んでしまうより、触ることができなくても生きている方が、いい。
先生の音楽の世界はあくまで、先生のもの。金魚と同じで、わたしがむやみに触れたら壊してしまうかもしれない。今まで何度も反復してきた事実を、今、もう一度改めてかみしめる。
もしも彼が演奏を終えたあとでこちらを振り返り、わたしに優しく触れてくれるとしても、彼の世界の中にわたしという異物が介入することは不可能だ。しかし、彼の手のひんやりと冷えたぬくもりは、確かにわたしの手にも伝えられていて、それが唯一、彼の世界とわたしがつながるための鎖に思える。
いつ消えてしまうかわからない、幻想の世界。わたしはきっと、そんな幻の中を泳ぐ金魚だ。金魚の記憶力は儚くて拙い。芽生えた絆も、心に抱いた思いも、すぐに忘れてしまう。忘れてしまったものをつなぎ止めておくことはとても難しくて、先生とわたしの世界はどんどん手からこぼれおちて消えていく。存在していたのかすら危うい、記憶の断片に依存した世界。少しでもそれを胸にとどめたくて、わたしは祈りながら先生に笑いかける。やさしく笑っているわたしの中で、もう一人のわたしが目を閉じて泣いていることに、気付かないふりをしながら。
090930