死体みたいで死体じゃない日々
ぼくは完璧に死んでいる。
しかしぼく自身には個性と意識、あるいは自意識がある。死んでいる人間には絶対にないものだ。
だからつまり、正確に言うならば、ぼくは死んだふりをしているということになるだろう。
道の上で血をぶちまけて、ぴくりとも動かず、息を止め。
そんな風に、パーフェクトに死んだふりをしている。
それがぼくという存在の、すべてだった。
……誰もぼくが死んでいないとは思わなかったし、誰もぼくに話しかけない。
何故ならぼくは、死体だから。
完全に演じ切られた死体であるという事実。
それだけがぼくの生き甲斐――否、死に甲斐と言った方が正しいだろうか。
死体というアイデンティティを守り切る。それがぼくの存在理由で、生き方で、死に方だ。
そう考えていた。
彼女に会うまでは。
「そろそろ、起きたら?」
突然、そう声をかけられた。
そして、視界の中に、ぼくを覗き込む少女の顔が見えて。
それで――つい、眼球を動かしてしまった。
初めて、ぼくが死体を演じきれなくなった瞬間だった。
完璧に死んでみせる。それだけがぼくの存在価値であったというのに。
これでは死体失格だ、と思った。
起き上がると、体がみしみしと鳴る。
起き上がる、という行為自体が久しぶりすぎる。生まれて初めて起き上がった、そんな気すらする。
「ぼくを死体だと認識しなかったのは、きみが初めてだ」
声を出すのも、もしかすると生まれて初めて……だったかもしれない。
少なくとも、自分が話せるということを、長い間ぼくは忘れていた。
「あなたはどうして死体なの」
落ちついた声でそう訊かれたが、わからなかった。
死体であるという自意識が肥大化しすぎていて、妄想と現実の境界が見えなくなっている嫌いはある。
どうして死んだのかという設定だけでも108個考えているし、その中のどれが本当の死因かなんてわかりっこないのだ。
「とりあえず、極めてみたい性格なんだ」
そうお茶を濁すと、彼女は怪訝そうな顔をした。
「なにそれ、バカみたい」
彼女はそう言って、どこか寂しげな微笑を浮かべた。
「ねえ、あなたはわたしを殺したりしないの?」
問いかけの意味がわからなかったが、ぼくは正直にこう答える。
「ああ、ぼくは自分が死ぬこと以外に興味はない」
「へえ」
あれ、なんか反応薄い。ぼく、何かまずいこと言ったかな。
「ねえ、きみはどこから来たの?」
「あっちから」
彼女は冷静に指で方角をさした。いや、そういう意味じゃないんだけれど。
そして、そのまま彼女は何も言わなかった。
ぼくは、会話が続かないのが妙に落ち着かなくて、ついにこう叫んだ。
「びっくりするほど会話が続かねえ!」
「無理して続ける必要もないわ」
――と、彼女は冷然と言い。
しかし、その冷たい言葉は妙に温かい安心を内包しているように思えて。
ぼくは、思わず笑った。
笑うのも久々で、顔の筋肉がひきつった。
+++
――死体を演じることに関してはプロだった。
こちらにも誇りというものがある。
完全に死んでいるという誇りが。
死体が死体であるという誇りは、しかし、たった一人の少女の前では無意味だった。
その少女は、ぼくが生きていることに気づいてしまった。
だからもうぼくは、死体ではいられない。
無理して続ける必要はない、と彼女は言った。
それが真理だったのかもしれない。
死体であることに意味なんてなく、
ましてや理由なんてあるはずもなく、
ただ、今、残っているのはぼくが死体だったという事実だけだった。
彼女はいまだに、ぼくを見るとこういう風に呼ぶ。
――『死体さん』。
その声を聞くたびに、ぼくは自分が死体だった、奇妙な誇りに満ちた日々を思い出して、どうにも嬉しくてたまらなくなるのだ。
100422