「彼」は体ごと砕けて死んでしまったという。後には何も残らなかった。
 わたしは身震いした。死体すら粉々になって消えてしまうなんて、そんなのはむごすぎる。それこそ、皮肉なことにある意味言い得て妙だが――虫のような死だった。生の尊厳なんてどこにも存在しえないかのような死。そんな死を彼に与えてしまったのはわたしだった。上司に命じられたとはいえ、半ば強引な形で彼を殺した。しかし、罪の意識を背負っている暇もなく、わたしも彼と同じように追い立てられ、駆り出されていく。死ぬかもしれない。いつ殺されてもおかしくない。粉々になって消えても不思議ではない戦場へ、今日も行かなくてはいけない。逃げることは許されない。ただ、運命に流されてゆくしかない。運命を拒否することは不可能だ。

 あの冷たい目をした秘書は、あるじと共に絶望で世界を支配することを望んでいるというが、そんな行動を起こすまでもなく、すでに希望なんてこの世界には存在しないのではないか、と思うことがある。ここにあるのは恐怖と諦念だけだ。殺されたくない、会社に捨てられたくない、そんな恐怖だけがわたしたちを突き動かして、今日も戦場へと向かわせる。


Cynicism


 夢を見た。プリキュアに殺される夢だった。
 明るい色をした、しかし容赦のない攻撃による衝撃と光に包まれて、わたしの体が砕け散った。そのまま、存在自体が霧散してこの世から自分が消え去った。そこで目が覚めた。
「……そんなにわたしの話はつまらないですか」
目を開けると、そこは会議室だった。仮面をかぶった無口な社員たちがずらりと並んでいる。そして、目の前には細い目をさらにおかしそうに細めた秘書がいる。
「そ、そんなわけないじゃないですか、カワリーノさん」
裏返った声でブンビーは応じた。殺気を感じる。これはやばい。頭の中で高らかにサイレンが鳴っている。プリキュアに殺されなくても、この人に殺されるかもしれないことをすっかり忘れていた。会議中に居眠りなんて――自殺行為だ。
「では、わたしの言葉にはあなたの意識をここにとどめておくだけの魅力がない、ということですか」
すねたような声の調子でカワリーノが言う。
「そんなことないですって!」
必死に大声を張り上げると、カワリーノはぷいと子供のようにそっぽを向いた。
「わたしには、魅力がないんですね……」
「かかかカワリーノさんん!? 間の言葉を省略したせいで意味深なセリフになっちゃってますけどっ!!」
しまった。おもわず勢いよく突っ込みを入れてしまった。カワリーノさんを怒らせただろうか。そんなことを考えつつ、おそるおそる視線を彼の方へ移すと、
「わざとです」
とカワリーノが仏頂面で返事をした。どうやら、さっきのは彼なりのユーモアだったらしい。
 表情が変わらないからわからなかったっつの。
 もうちょっとわかりやすいギャグにしてくれないと絡みづらいよ、まったく。
「何か言いましたか、ブンビーさん」
「いいえ、何も言ってません。何も。」
とぶるぶる震えながら否定しつつ、ブンビーは言う。
「えっとですね、カワリーノさん。わたしが居眠りしてしまったのは、昨日奴らと戦った疲れが残ってるだけなんですよ。カワリーノさんのせいとかじゃないんです!」
時間が停止したかのように静寂が流れた。それを破ったのはやはり、狐のような目の上司だ。
「なあんだ、そうだったんですか。そうならそうと、はやくおっしゃってくださればよかったのに」
「プリキュアとの戦闘で疲れた、眠い」なんて申告しようものなら、「なら、永遠に眠っていたらいかがですか」とさらりと言いだしそうな空気をまとっている男が言っても、まったく説得力がない。
 カワリーノは右手を優雅にさっと上げた。
「では、ブンビーさんは退席してくださって構いませんよ」
ほら来た。またのけ者にするつもりに決まっている。カワリーノに逆らうのは危険な行為だが、今は全力で辞退して、意地でもこの席に座り続けなければなるまい。会議室から追い出されて、さらに会社からも追い出されることになったら一大事だ。この年で路頭に迷うのはごめんである。
「だだだ大丈夫です。もう、超元気ですから。ほら見てくださいよカワリーノさん!」
ブンビーは腕をまくり、ぐっと肘の関節を曲げて見せた。
「力こぶー!! ほらほら、カワリーノさん、わたし、すっごく元気でしょう。だからここにいてもいいですよねっ」
「…………」
カワリーノは冷めた目で黙したまま、何も言わない。他の社員たちも、同じように沈黙を守っている。
「退席して構わない。と言ったのが聞こえませんでしたか」
絶対零度の死刑宣告。そんな単語の組み合わせが頭に浮かんだ。気を抜いたら凍死してしまいそうに、冷徹なブリザード。この、吹雪の吹くような場所に、ブンビーが居座り続けるのはどうやら無理なようだ。
「つ、謹んで退席させていただきます。いや、退席させてください。退席したいなあ、まったく!」


 ……追い出されてしまった。廊下にはにじむように闇が広がっている。
「目の前が真っ暗になった!ってこういうことかなあ」
廊下の壁にもたれてそうつぶやいてみる。自分ではうまいことを言ったつもりなのだが、もちろん誰も答えない。いつものことだ。この会社に来てから、独り言を言うことがすごく増えた気がする。
 このままクビになるのか。この会社から自由になれるという可能性は低いだろうから、もしかしたら問答無用で殺されるのかもしれない。ブンビーは、カワリーノの冷たい目を思い出して身震いした。あの人は、楽には殺してくれないだろう。
 もしそんな事態になったら、何と言おうか。見逃してください、妻と子がわたしの帰りを待っているんです。いや、これは白々しいな。却下だ。
 何でもしますから、命だけは勘弁してください。これはどうだろう。……いや、あの人に「何でもする」なんて言ったら、どんなことをやらされるかわかったものではない。やめておくのが無難だ。
 どうすれば生きて帰ることができるのだろう。いっそ黙って逃亡……否、あの人が追ってこないわけがない。捕まったら無事では済まない。ではどうしたらいいのだろう。じっくりと考えなければ。何しろ、生きるか死ぬかがかかっているのだから。
 「うーん……どうしようかなあ」
そうひとりごちたブンビーに、誰かが背後から声をかけた。
「ブンビーさん、まだこんなところにいらしたんですか」
はっとして振り返ると、壁からカワリーノが現れた。頼むから、会社の中では普通に移動をしてほしい。心臓に悪すぎる。
「何か、おっしゃいましたか」
「言ってない。何も言ってないです」
全力で否定した。というか、本当に何も言っていない。まさか、この人は他人の心を読めるのだろうか。いや、それはないはずだ……と信じたい。いくら人間離れしているナイトメア社員といえど、そこまで万能ではない……と、思う。絶対にありえない、と言い切れないあたりが恐ろしい。
「さっさと帰って寝てください。わかりましたか?」
カワリーノは子供を諭すように言った。どうやら、今すぐに会社から追い出すつもりはないらしい。少し、ほっとした。
「それはいいんですけど、その……」
ブンビーはそのとき、なぜか死んだ部下の顔を思い出していた。あの日から、一度もカワリーノは彼の名前を呼んでいない。話題にすら出さない。
 まるで、彼は最初からこの会社には存在しなかったとでも言うように。
「カワリーノさんは、わたしにこの会社にいてほしいんですか?」
本当は部下の殉職とあの仮面のことを尋ねたかったが、それはタブーであるような気がしたのでやめた。代わりに、ずっと考えていた問いをぶつけた。
「そんなことを、わたしは言ってはいませんね。思ってもいません」
カワリーノは、冷静に、機械のように返答する。
 そんなカワリーノに、ブンビーはもう一度問う。
「じゃあ、わたしに、この会社をやめてほしいですか」
「……それも、言っていませんね」
短い言葉だったが、その中には威圧感がこもっていた。これ以上くだらない質問をするな、と案に言われているような気がして――黙った。
「とにかく、あなたが今するべきことは帰って寝ること。明日は通常どおり出勤してください。わたしと意味のない会話をしていても、何の実りもありません。デスパライア様の為にもなりません。はっきり言って無駄です」
早口でそれだけ言って、コツコツという軽い足音とともに、カワリーノは廊下の先の闇の中へと消えていった。
「帰って、寝るしかないのかなあ」
そうつぶやいて、ブンビーは先ほどのカワリーノの表情を思い出していた。冷たい仮面のような顔が、デスパライアの名前を紡いだ瞬間だけ、少し変化した。あの名前を呼ぶとき、彼の目に宿る光は、明らかに普段のカワリーノとは違うものだ。前々から気づいていた。彼にとっての主君は、たぶん絶望などではなく、希望に似た何かなのだ。願いを託す対象なのだ。冷たい口調で絶望を望みながら、彼は希望を求めている。とても、皮肉で――悲劇的だ。
 ブンビーが彼のその感情に気づいていることが知れたら、きっとカワリーノは無言で、顔色一つ変えずにブンビーを殺してしまうだろう。
 しかし今は、ブンビーを殺さない。そして先ほどの答えを聞く限り、会社をやめてほしいわけではないらしい。追い出すわけでもない。黒い紙を渡すわけでもない。
 それならそれでいいか、少なくとも今は。そういう結論に達したブンビーは歩きだした。
 自室へ、荷物を取りに行かなければならない。



 生きる。とにかく今は、生きるしかない。廊下に、部屋の片隅に、そして彼の残した物達に――とても多くの「彼」の面影が残るこの小さな会社の中で、ただ呼吸をして仕事をこなす。殺されるのも排斥されるのも、砕け散って消えるのもごめんだけれど、戦わないで逃げるという選択肢は絶対に選ばない。最後まで、闘って、死ぬ。それがブンビーの決意だった。そうすることが、もうこの世界には存在しない彼に対する、弔いだ。そんな決意を胸に廊下を歩く。もやのように廊下を包む闇が、ぐらりと揺らいだ。まるで目眩のようだ、と彼は思った。


081007


タイトルは、ブンビーさんらしく、ということでダジャレになっています。
ナイトメア時代のブンビーさんは二枚目だ!と勝手に思っています。
アラク姐さんを説得していた時のブンビーさんは本当に二枚目だった…痺れた!