喪失の効用
サウラーが細かい活字の本を読んでいる隣で、ウエスターは絵本や雑誌を読んでいる。イースが死んでから、そんな風に過ごすことが急に増えた。これまでのウエスターは頻繁に外出しており、サウラーの隣には常にイースがいた。
でも、彼女はもういない。ウエスターが外の世界に遊びに出てしまうと、サウラーは一人で部屋にいなくてはならない。今、ウエスターは一人でいることが少し怖い。
もしも自分がいない間に、サウラーがイースのように死んでしまったら、どうしよう。
そう考えると、あまり一人にはなりたくないと思ってしまうのだ。競い合うライバルだとしても、わかりあえない敵ではないし、一緒に過ごした時間は無駄ではないと思う。同じ目標を持つ仲間だ。仲間、という単語を彼が素直に受け入れるかどうかは、また別の話だが。
「なあ、サウラー。この服、かっこいいと思わないか」
ウエスターは読んでいた雑誌の中の男性用の服を指さしながら、サウラーにそう話しかけた。
「ぼくの好みではないな。それに、そんなことは不幸集めの役には立たないよ、ウエスターくん」
冷たい返答だったが、サウラーがあたたかい答えを返す方が不気味なので、特に気にせず会話を続行する。
「いや、甘いぞサウラー。これを俺が買い占めればきっとみんな不幸になる。街で俺だけがこれを着ていれば不幸倍増だ」
「……その前に財布が空になった君が不幸になるビジョンが見えるんだけど、気のせいかな」
サウラーの切り返しは正確で鋭い。いくらバイトをしていると言っても、ウエスターの所持金で雑誌に載っている服を全部買い占めるのは無理だ。
「くそう……いい線だと思ったんだがな。それに、この隣の女性服はきっとイースに似合……」
ウエスターはそこまで口に出してから、あ、と声を漏らす。「すまん」
「別に君が謝ることではないんじゃないかな」
サウラーはあくまで淡々としているが、なんとなく気まずい空気が流れる。
「……イース、元気かな」
ウエスターはぽつりとそうつぶやいた。サウラーは眉間にしわを寄せる。
「イースはもういないよ」
「そうだな、もう……いないんだよな」
イースは死んでしまった。今、プリキュアと共にいるのは、イースではない。
頭では分かっているのに、その事実を脳内でうまく処理できない。
東せつなは今も、ラビリンスのことを全部覚えているのに。
ウエスターのこともサウラーのことも、……総統・メビウスのことも。
なのに、彼女はイースじゃない。どうしても、それを現実として認識できない。信じられない。
「なあサウラー、おまえはどっか行っちゃったまま帰ってこなかったりしないよな」
ふと、ウエスターはそう問いかけた。
「さあね」
サウラーの返事はそっけない。サウラーはそこに、こう付け加える。
「少なくとも、メビウス様のご意向に背くようなことだけは、ぼくはしないけれどね」
「当たり前だ。だって、俺たちはメビウス様に――」
「管理されているのだから」
ウエスターが言おうとした言葉の続きを、サウラーが継いだ。
「そう、管理されているのだから」
ウエスターはそれを反復して、その先に続く思考に身を委ねる。
イースが受け取ったクラインの手紙。
『メビウスに管理されているから、こうして生きている』。その大前提が消え去ったら、自分はどうするのだろう。
管理から解き放たれた時、イースは、一体何を考えて、何を優先したのだろう。
おそらく、いつか自分たちも死ぬ。死んだ後には、メビウスの管理は存在しないのだろうか。
ひどく不安だった。イースにはアカルンとプリキュアがいたけれど、ウエスターには何もない。死んだら、そこでおしまいだ。真っ暗なビジョン。不幸とか幸せとか、そんなものすらない暗闇のイメージ。
「難しいことを考えても、仕方ないんじゃないのか」
神妙な顔で黙ってしまったウエスターに、サウラーはそんなことを言った。
「君らしくもない。君は、ポジティブに自分の幸せを集めながら、他人の不幸をちょっとずつ、集めていけばいいんだよ。その前向きさは不幸集めには不向きかも知れないけれど、それでも、君には君の仕事がある」
その言葉は、「イースにはイースの仕事がある」と暗に言っているようで――ウエスターは、プリキュアとして戦っているキュアパッションの横顔を思い出した。彼女は、まっすぐ前を見ていた。ウエスターも、まっすぐ前だけを見ていればいいのかもしれない。難しいことをいくら考えたって、自分にはきっとわからないだろうから。
「ありがとうな、サウラー」
ウエスターは黙々と本を読んでいるサウラーにそう声をかけたが、サウラーは「ああ」と適当に頷いただけだった。それでも、頷いてくれるサウラーがいることは、幸せだろう。この広い館に、一人ぼっちで残されたなら……ウエスターはきっと今より不幸になってしまう。自分の不幸でゲージを上げる趣味はないから、今サウラーがここにいることには感謝しなくてはならない。
感謝の言葉を口の中でもう一度繰り返しつつ、ウエスターは雑誌に目を戻した。
090828