振り返ってばかりのばか

 彼女がもう一度ここに戻ってきたらいいのに、と思う。
 プリキュアを裏切って、再び一緒に戦ってくれればいいのに。
 もちろん、そんなのは幻想だとわかっている。幻想を壊すことができないだけだ。
 戦う彼女の顔を見るたびに、そこに残っている「イース」の面影がちらついて仕方ない。
 たぶん、自分は彼女に本気で直接攻撃を仕掛けたり、直接傷つけたり、殺そうとしたり、そんなことはできないだろう。
 彼女は元仲間のことなんて、もうどうとも思っていないかもしれない。けれど、ウエスターはまだ、「イース」を忘れられない。
 彼女と過ごした時間も、嘘だったのだろうか。
 彼女にもらった助言、彼女にあげたドーナツ、彼女のいた空間。
 全部全部、なかったことになったのだろうか。

――記憶の中にはこんなに鮮明に残っているのに?

 日々の記憶は脳からこぼれおちていく。自分はそこまで頭のいい方ではないから、どんどん忘れていく。でも、その残滓は絶対にどこかに残っているものだ。そんな残滓のカケラの中にすら、「イース」は存在しないのだろうか。もう何が何だかわからない。イースのことを考えていると、自分の本来の目的すら薄れてくる気がして、それだけは駄目だ、と思う。
 目的を失うことは駄目だ。管理されている人間として、最低限の職務をこなす努力はしなければ。
 そんな風にウエスターが混乱しているのに、サウラーは平然としていて、揺らいでいない。イースがいなくても、彼は変わらない。落ちついた顔で本を読む。落ちついた顔で任務をこなす。
 どうして彼は変わらずにいられるのだろう。
 もし、そういう風になるための方法と言うものがあるのなら、教えてほしい――と、ウエスターはサウラーに言ってみた。
「こちらの世界に、諸行無常、という言葉がある」
サウラーは、ウエスターには覚えられなさそうな単語で返答した。
「変わらないものなんてない。イースが死んでパッションになってしまうのも、ウエスターくんが前の日に食べたおかずを忘れてしまうのも、おんなじことだ。みんな、時がたてば変わる」
「じゃあ、なんでサウラーはあんまり変わらないんだ」
ウエスターの疑問を聞き、サウラーは嫌そうな顔になった。
「ぼくだって変化しているんだよ。いろいろとね。ただ、君たちみたいにわかりやすい変化じゃないだけ」
そうか、とウエスターはしょぼんとした顔になる。その雰囲気を察したのか、サウラーはいったん本を閉じる。
「あのさ、ウエスターくんはよくわかっていないようだけど、キュアパッションだって、もしかするとイースの自我を一時的に失ってるだけかもしれない。あの妖精の力もいつまで有効かわからない。妖精の力がなくなったら、彼女はまた死ぬかもしれない。一時的に自我を失っただけなら、またラビリンスに戻る可能性だってある」
それが諸行無常ってことなんだよ――サウラーはそんなことを言った。
「未来は誰にもわからないんだ。ただ、今この瞬間、彼女はここにはいない。それがぼくらにわかるたったひとつの――」
現実だよ、とサウラーが言った。彼は本に手を伸ばし、またそちら側の世界へと行ってしまう。
「現実、かあ……」
ドーナツがおいしいとか、テレビに映れば楽しいとか、不幸を集めてメビウス様に褒めてもらいたいとか、そういう前向きでそこそこ楽しい現実もたくさんあるはずだ。なのに、どうしてイースに関わる自分の現実はこんなに暗いのだろう。呼びかけても答えてくれない彼女の背中を、いつまで追い続けていればいいのだろう。彼女の座るための場所を、いつまで屋敷に残しておくべきなのだろう。
 現実って難しい。とてもとても難しいから、今日は違うことを考えたい――ウエスターはそう思いながら、サウラーの本棚の雑誌へと手を伸ばした。


090922