噛み合うよりも楽だけど
ウエスターと自分は、かみ合わない。とりあえず、それだけは揺るがない事実だと思う。
地球が何回回っても、この世が何回巡っても、彼と自分の精神の凹凸がかみ合うことはないだろう。
その証拠に、ウエスターは今、風船のようなものをふくらませて遊んでいるが、サウラーはそこへは絶対に近づかない。その楽しさは、ウエスターだけのもので、サウラーはそれを彼と共有することはできない。彼は子供で、自分は大人。二人の次元は、違うものだ――そんな意識は前から少しだけ持っていた。今日はその意識が特に顕著に感じられる。
ウエスターが捨てた箱には「フローラル!いちごの香り!」と書いてある。あくまで「いちごの香り」であっていちごそのものではない。餓えたウエスターは、注意書きだけを見て、それを食べ物だと思って買ってきたらしい。箱を開けて、中身を口に入れてから食べ物ではないと気づいたらしく、ひどく落胆していた。
ウエスターはまだ、「フローラル」な風船の正体をよくわかっていないようだ。というか、彼にそれを自力で理解する能力があるとは思えない。一見してなんだかわからないものを買うのはやめてほしいものだ、とサウラーは思う。しかしこの世界には、箱だけでは中に何が入っているのかわからない食べ物もたくさんある。まあ、不可抗力と言えば不可抗力だ。
また、箱を見ただけでは食べ物だとわからない食糧があることも、一応学習済みだったりする。
ウエスターはこの間、箱に入った木製玩具を買ってきたことがある。箱の中には玩具のほかに白いラムネ菓子が入っていて、「商品の入れ間違いではないか」と大騒ぎしていた。この「入れ間違い菓子」を大量に作れば不幸のゲージがたまる!とまで言い出し、実行しかけていたので、サウラーは嫌々ながら「それはおまけ菓子というものだ」と教えてやった。これ以上、彼が不幸のゲージをためられずに帰ってくるのを黙って見ているのは気が引ける気がしたからだ。たまにならおもしろい見ものになるけれども、いつでもそんな調子だと、クラインに手紙を送られかねない。さすがにそれはちょっとだけ、気の毒だ。
「ねえ、ウエスターくん」
サウラーはあくまで遠くから声をかけた。
「それ、楽しいかい」
「楽しいぞ! なかなか割れない!」
ウエスターは風船を手の中で弄びつつ、「これ、絶対こうやって遊ぶものだよな!」と喜んでいる。その無邪気な笑顔に向かって、真実を告げる気にはなれない。この状況で真実を告げたら、サウラーの立場が微妙なものになりそうでもある。本来の用途を教えたうえで「使ってみたい」と言いだされても困るので、もう真実は封印しておこうと決めた。時折、顔を近づけて風船のフローラル臭を楽しんでいるウエスターの横顔を見ていると、なんだかとても複雑な気分だ。
「ここにイースがいなくてよかった……」
とりあえず、サウラーはそうつぶやいた。イースがいたら、気まずいとか近づけないとか、そういうレベルではない問題に発展する恐れがある。さすがに、女性がこの場にいたら、とても気まずいムードになるに違いないだろう。もしかすると、イースも風船の正体については知らないかもしれないけれど。イースは三人の中でもけっこう世間知らずな方だったし、知らないという可能性もあるな、と考えてから、こんなことを真剣に考えているのが彼女に知れたら本気で殴られるだろう、と気づいて、思考を打ち切ることにする。このことを考えるのはやめよう。もう、イースはいないのだし。
「この風船、ちょっと縦に長いよなあ。もっと丸い方がいいな」
ぶつぶつとつぶやきつつ、ウエスターは風船をぷにぷにと触って遊んでいる。まだまだ、あと数時間はそのまま遊び続けそうだ。新しいおもちゃを見つけると、他のことをすべて忘れて夢中になる、という習性が彼にはある。ずっと見ていてもしょうがないので、サウラーはウエスターから目を離して、本を読むことにした。これは、親離れをし始める年頃の子どもを持った母親の気分だな、と無意味なことを考えながら。
090923