もう帰ろうか

 ゲーセンに行ってきた帰り道、ウエスターに会った。彼はどこか悲しげな目をしていて、いつも明るいウエスターらしくない表情だった。彼の視線の先にあるものを見て、サウラーはすぐにその表情の意味を理解した。
「『イース』……か」
キュアピーチと二人、楽しげに笑い合う『東せつな』の姿が、そこにはあった。『イース』だったときの彼女は、そんな風に笑うことはなかった。ウエスターはまだ彼女に未練があるようだが、サウラーはもう『変わってしまった』彼女の存在を、徐々に受け入れつつある。理屈ではなく――東せつなと、イースは違う個体なのだ、と理解してしまった。理解したくなくても、理解してしまう。知識として、インプットしてしまう。それが、自分の特性で、生き方だから。
 ウエスターにはそういう生き方はできないのだろうし、サウラーもウエスターのようには生きられない。彼は彼で、いずれイースとの決別を肌で理解してしまうことができるに違いないし、そうなる未来はそんなに遠くないはずだ。
「ウエスター」
サウラーは背後から彼に声をかけた。ウエスターは、サウラーの方を見ずに言う。
「なんであいつ、あんなに幸せそうなんだろうな」
俺たちのことは、忘れてしまったのか――とつぶやいたウエスターは、とても傷ついているように見えたし、たぶん本当に傷ついているのだろう。東せつなは自分たちのことを忘れたのではなく、全部理解して、きっちりと考えてから、あちら側を選んだ。そんな事実は、いちいち言わなくても二人ともわかっている。ただ、受け入れたくないだけだ。イースの死という現実をつきつめて考えていくと、クラインの手紙の存在にもぶち当たる。あれについても、あまり考えたくはない。だから、サウラーはそういう類の思考については、意識的に脳からシャットアウトしている。ウエスターはそうすることができないから、サウラーより余計に傷ついているのかもしれない。
「なんか、やなかんじだよな」
ウエスターは主語を省略したが、それは主語が何なのか、自分でもわかっていないからだろう。その略された主語は、『イースが』や『東せつなが』ではないことだけは確かだ。
 彼にとって『やなかんじ』なのはイース本人ではなく、たぶん、イースがいなくなったことに付随して起こる様々な出来事に関する感情を全部ひっくるめた、漠然とした自分の気持ちそのものだ。その気持ちは、サウラーにも何となく理解できる。
 今のせつなは、とても幸せそうに笑うようになった。しかし、幸せとはそもそも何だっただろう。管理されたレールの上を、決められた速度で、決められたように、歩いていくことではないのだろうか。もしかしたらレールの下は絶壁になっていて、自分たちは愚かな綱渡りをしているピエロなのかもしれない。そうだとしても、サウラーにはそういう生き方しかない。今更、レールから外れて生きていくことはできないのだ。

 そこまで自覚してしまったからこそ、せつなという、ある種奇跡じみた例外的ケースは、サウラーにとってはどう捉えたらいいのかわからない現実なのだ。これまでは、幸せすらも管理されていると思っていた。ウエスターは実際、メビウスの管理下でもけっこう幸せそうに生きているし、自分だってそんなに不幸に生きているつもりはない。けれど、イースがせつなになって、キュアパッションになって、その後の彼女の笑顔が見違えるように幸せに満ちているから。
 自分たちももっと幸せになれるかもしれない――なんて、馬鹿らしい夢を抱いてしまう。
 管理されている限り、その夢は絶望でしかないというのに。

「もう帰ろう」
と、サウラーは言った。少しだけ語尾をあげて、問いかけるように。もしかするとウエスターはもう少しこの場にいたいかもしれない、と思ったからそういう言い方をしたのだけれど、彼は黙ってうなずいた。
「ドーナツ買って帰る」
ウエスターはそう言い、サウラーと並んで歩きだす。たぶん、彼は今までそうしてきたように、ドーナツを三個買うだろう。屋敷に帰ったら、サウラーと向かい合って座って、二人でドーナツを一つずつ食べる。そして、ひとつだけ残ってしまったドーナツを見てため息をつくだろう。そうすることで、彼女の存在に近づけるかのように、祈るように、彼はそうするに違いない。
 彼の願いは彼女に向けられているけれど、彼女の願いはもうここには存在しない。ずっと遠く、言葉が通じないほどの遠くへ行ってしまった彼女は、しかしまだ、自分の足で力強く歩んでいる。彼女と自分たち、どちらが幸せな願いに近づいているのかは、サウラーにはまだわからない。いずれわかるときが来ればいいと思う。そのときに得られるものは、絶望以外の何かであってほしいと、今は切実に思っている。


091004