誕生日を楽しみにしたことなどなかった。幼いころは形式だけの誕生日パーティに苛立っていたし、大人になっても、誕生日を祝われて嬉しいと思ったことはあまりなかった。きっと、祝ってくれた相手も困惑していただろうと思う。どうしてこんなに誕生日というものを忌み嫌っているのか、自分でもよくわからない。
 とにかく、今年の9月18日も、いつもどおり一人でぼんやりと、何事もないかのように過ごすつもりだった。特別な日だということなんて忘れてしまうくらいに、日常と変わりない生活が待っているはずだった。……マンションの自室の呼び鈴が、ぼくを急かすように呼ぶまでは。


メッゾ・ピアノ・バースデー


「はーい、どちらさま……」
面倒だったので、そう確認しながら鍵を開けた。ぼくがドアを開けようとノブに手を伸ばそうとした瞬間、扉は向こう側から乱暴に開かれた。
「なっ……」
驚いて硬直したぼくの目に映ったのは、ドアの向こう側にいた、大量の来客の姿だった。
「せんせーっ!! お誕生日おめでとう!!」
全員で声をそろえてそう言ったのは、聖夜小学校ガーディアンの面々だ。
「キミたち……なんでぼくの家を知ってるのさ」
呆れて問い返すと、しれっとした顔で「職員室で教えてもらったよ?」とエースチェア、結木ややが答えた。ぼくにはプライバシーというものはないのだろうか。
「先生、入れてよ! 今日はここで、先生の誕生日パーティするんだから」
と言ったのは日奈森あむだ。普段大人びてクールな態度をとっている彼女だが、こういうときは、やはりこの子も小学生なのだなと思う。
 ぼくは頭を抱えた。
「なんで勝手に決めるかな……ここ、一応ぼくの家なんだけど」
「まあまあ、いいじゃないですかぁ。せんせぇ、またカップラーメン食べてるんでしょう?」
そう言いながら日奈森さんの背後から唐突に現れたのは、「あの子」――スゥだった。相変わらずのあまやかな笑顔。どうしてぼくの昼食が即席めんだと彼女が知っているのか一瞬疑問に思ったが、深く考えるのはやめておこうと思った。
「スゥたちが夕食を作りますから……一緒にお誕生日、お祝いしても、いいですかぁ?」
小首をかしげる彼女は、他の何もかもがどうでも良くなるレベルで愛らしい。
 そう思う自分の正気を疑いつつ、
「べっ……別に、いいけどっ」
と小声で返答すると、元ジャックスチェア、相馬空海が大きな声で叫んだ。
「おっしゃー! おゆるしが出たぞ!!」
 その声が合図だったかのように、全員が勢いよく家の中になだれ込んできた。
「ちょっ……暴れるな! 物が壊れるだろっ」
と注意しながら、開いた扉の外を見やると、取り残されたようにほしな歌唄と三条ゆかりがぽつんと立っていた。
「キミたちはなんでここに?」
ぶっきらぼうに尋ねると、ゆかりがしれっとした調子で言う。
「生徒たちにいきなり押しかけられてあたふたしてる二階堂センセイを、見物しに」
隣にいる歌唄もそれに同意するように頷く。
「同じく」
「見物って……俺はキミたちにとって、珍しい動物か何かなのか!?」
「まあ、おおむねそんなかんじね」
「そうね」
ゆかり一人を相手にするならともかく、ゆかりの隣に歌唄がいると、明らかにこちらが劣勢になってしまう。早めに会話を切り上げた方がよさそうだ。このままだと、こちらのヒットポイントが大幅に削られていくに決まっている。
「……まあキミたちも入りなよ。そんなところに立っていられたら通行の邪魔だからね」
少し恰好をつけて言ってみたが、
「言われなくても入るわよ。むしろ、玄関のど真ん中で突っ立ってるあんたがあたしたちの邪魔!」
吐き捨てるように言うゆかりの隣で、歌唄が無言でうんうんと頷いている。
 やっぱりぼくに勝ち目はなさそうだ、と心から思った。


+++


 ぼくの家の中を走り回ったガーディアンズは、しばらくしてぼくのところに戻ってきた。
「先生、苦労してるんだね……」
うるうると涙目でこちらを見る結木ややに同調するように、全員でぼくの周りに集まって哀れそうにぼくを見るガーディアンたち。
「ぼくの部屋はそんなにみすぼらしいのかよ……」
 ぼくがつぶやいた言葉を、他数名に比べると少し大人びた顔をした現ジャックスチェア、藤崎なぎひこが否定した。
「違うんです、先生。冷蔵庫がからっぽで、流しには大量のカップラーメンがあるもんだから、先生の食生活を憂いて泣いてるんですよ」
「食べているもので人間の程度が知れるんです……カップ麺なんて最低ランクもいいとこなんです!」
「キャハハハハ! 言えてるぅ!」
宙を飛び回りながら言葉の毒をまき散らしているのは歌唄のしゅごキャラ、イルとエルだ。その隣で黙したまま無表情を保っている歌唄は、相変わらず何を考えているのかよくわからない。
「うるさいな! 別にいいだろ、毎食カップ麺でもっ」
ぼくはやけになって叫んだ。「毎食……?」と周囲の憐みの視線が増した気がしたが、事実なのだから仕方ない。
「ダメです」
沈黙を破り、強い否定の言葉を放ったのは緑色の癒しの空気をまとったあの子だった。ぼくの前にふわふわと浮遊しながら、彼女は言う。
「カップ麺ばっかり食べてちゃだめなんですよぉ~、栄養バランスが崩れちゃいます」
「うん……ごめん……」
なんだか母親に怒られているような気分になって、思わず謝ってしまった。
「では、スゥたちは夕食を作りに行きますから~、せんせぇは待っていてくださいね」
「わかったよ」
つい、無防備に笑顔になる。
「やっぱり先生のこと、一番わかってるのはスゥだよねー」
「なんか見てるこっちが恥ずかしい感じ」
日奈森さんと彼女のしゅごキャラががそんな会話を交わしているのが聞こえた。
(一番わかってる、か……)
本当にそうなら、それはとても嬉しいことなのだけれど。
 かつては他人に理解されることに嫌悪しか示せなかったぼくが、こんなことを思うのはとても不可思議だ。理解されて嬉しい、なんて。ありえない感情だと思っていたけれど、今は、そうでもないのだ。


+++


 がやがやと騒がしい小学生たちは、キッチンへと駆けて行った。ゆかりと歌唄もその後ろに続いていったが、しばらくしてなぜかゆかりだけがぼくの元へとぼとぼと戻ってきた。
「追い出されたわ……」
ゆかりはそうつぶやいて、ぼくの隣に座った。
「なんで追い出されたのさ」
「歌唄が『三条さんに包丁を持たせたら危険よ』とか言うもんだから」
「なんだよ、それ。まるで子供だな」
くすくすと笑いながらぼくは言ったが、ゆかりは嫌そうな顔をした。
「あなたよりは大人なつもりなんだけど」
「そうかい」
少し前のぼくらなら、ここで口喧嘩に発展していたと思う。しかし、今は違う。この会話はこれでおしまいだ。ゆかりは、「ねえ、悠」とぼくに声をかけた。
「何?」
「……愛って、減っちゃうのよ。わかってる?」
不可解な言葉だったが、真剣な口調だった。冗談ではないらしい。
「……いきなり、何を言い出すんだ」
「あの子たちは悠のこと、すごく慕ってくれてる。悠も幸せそう。わたしも、横から見てて、ちょっとほほえましいとか思っちゃった」
ゆかりはぽつぽつと、少しずつ言葉を吐き出していく。
「でも、わたしとあなたは……知ってる。愛情は減っちゃうってこと。どうしようもなく形を失っていく絆があるって、知ってるのよ」
「……それを、俺が忘れてないか聞きたかったのか?」
彼女はうつむき気味に頷いた。
「うん」
ゆかりの声は消え入りそうに小さかったが、静かなこの部屋にはよく響く。キッチンでにぎやかに騒ぐ子供たちの声をバックに、彼女の声はぼくの鼓膜に反響した。
「だってそれを忘れてしまったら、失ったとき、悲しくなるのは、悠自身だから」
そんなことくらい、わかってる。
 愛は減る。絆はなくなる。人と人との関係は、不変ではありえない。
 ぼくたち二人がかつて、自分たちの絆を壊してしまったように。
 ゆかりの手がぼくの手に触れる。彼女の手はひどく冷たい。
「ゆかり。心配してくれてありがとう」
ぼくはその冷たい手を、そっと包むように握った。
「確かに、ゆかりの言う通りだ。みんな、いつかぼくの前からいなくなってしまうのかもしれない。感情は、減っていくものなのかもしれない。でもさ」
ゆかりの方を見る。ぼくを見上げる彼女と目が合う。

「……減るばっかりでもないって、ぼくらはもう知ってるんじゃないのかな」

 愛という単語を口に出すのは恥ずかしかったので、ぼくはあえて主語を省略した。答えを口にする代わりに、ゆかりはぼくの腕に自分の腕を子供のようにからませて、体重を少しだけかけてもたれかかってきた。
「……ばか」
ゆかりの口にした言葉は、二人きりの部屋にこぼしたインクのしみのように広がった。それはやがて、にじむように――ぼくの心にも、広がっていった。


+++


「せんせーっ!」
数十分後。どたばたという足音と共に、子供たちが居間へやってきた。
「はいっ、聖夜小ガーディアン特製カレーライス!」
そう言って、日奈森さんがカレーの皿を差し出した。スパイスのいい香りが漂ってくる。
「たっ……食べたかったら、食べれば?」
腕組みしながらふてくされたように言うジョーカーに、ガーディアン一同はにこにこと笑いかける。
「んもー、あむちーってば、ほんとクールアンドスパイシーなんだから!」
「ぼくは、そのっ……そんな日奈森さんも素敵だと思うよ」
「せんせー、唯世くんがドサまぎで告白してまーす」
「ちょっ、な、何言ってるの相馬くん!」
にぎやかなやり取りを聞きながら、この子たちは本当に仲良しなんだなあ……としみじみ思う。ぼくはスプーンを手に取り、カレーを口へ運んだ。
「……小学生が作ったにしてはおいしいね」
「何その意地っ張りキャラ……感じ悪っ」
日奈森さんはそう言いながらも、口の端を緩めて笑顔を作った。
 カレーはとてもおいしかった。あの子が一緒に作ってくれただけのことはある。もしそうでなくとも、きっとおいしかったと思う。
「おいしいよ。本当に、おいしい。」
他の言葉が見つからずに、何度もそう繰り返すぼくも――自然に笑っていたような気がする。
 考えてみれば、人の作ったあたたかい料理を食べるのは、とても久しぶりだ。子供たちの手料理は、忘れかけていた大切な気持ちを思い出させてくれたような気がした。


++++


 ところで、ぼくは先ほどのゆかりの言葉を聞いて、ようやく、自分が誕生日というものを忌み嫌っていた理由を思い出していた。
 尊敬する師としゅごたまを見失った頃、そしてまだ無垢な子供だった頃。その年の9月18日――ぼくは、一人きりで誕生日の夜を過ごしていた。両親は仕事で遅くなると言って、その夜は帰ってこなかった。テーブルの上に置かれたホールケーキと、冷めた夕食を前にして、ただ悲しくて寂しくて、無力感でいっぱいだった。

 ――昔は、家族みんなでパーティをしたのに。どうして今年は一人ぼっちなんだろう。

 当時のぼくは、それがたいそうショックだったらしい。大人になってからも、誰から誕生日を祝われても、そのときのことを思い出して不愉快になってしまうくらいに。

――おかあさんとおとうさんは、もうぼくのことが嫌いになったのかな……。

 今のぼくなら、それは違うと断言できる。確かに愛情は減ってしまうものなのかもしれないけれど、そこにあった気持ちは、最初からなかったことになんて絶対ならない。かつて誰かに好きでいてもらえたなら、その気持ちはなくなっても、意味は残り続けるのだから。
 それに、あの日のぼくはちゃんと愛されていたのだ。誰もいない、一人きりのバースデー。でも、ホールケーキは母の手作りだったし、ぼくの名前が刻まれていた。夕食だって、普段より豪華だった。自分で作ったカップ麺よりもずっとおいしい、ぼくのために作られた夕食だった。
 自分はあのとき、自らをとてもかわいそうで不幸な存在だと呪ったけれど、もしかしたら、そんなことを思う必要はなかったのかもしれない。
 不幸、なんてものは――存在していなかったのかもしれない。
 いや、でもやっぱり、不幸は不幸としてそこに存在したのだろう。愛情や幸福が消えてなくなることがないように、不幸だって、ずっと心にとどまり続けるのだろう。
 しかし、少なくとも今ぼくは、とても幸せだ。あの頃の不幸なんて吹き飛ばしてしまえるくらいに、幸せなんだ。
 それで、帳消しってことにできないかな?
 それは誰に向けた問いかけだったのだろう。愛は減ると言った三条ゆかりだろうか。それとも、不幸な自分を呪っていた過去の自分だろうか。いずれにせよ、口に出さずに心中にそっと抱いたその問いには、返事なんて返ってこない。返事を必要としてなんかいないし、どんな否定的な答えが返ってきても、ぼくは堂々と笑うことができるだろう。もう誕生日を忌むこともない。今日というこの日が、悲しい思い出を塗り替えてくれた。

 幸せなんだ。どうしようもなく、幸せでたまらないんだ。
 この気持ちを、ぼくはどうやって伝えたらいいんだろう。


+++


 ハッピーバースデー、トゥーユー。
 子供たちが歌うありふれた歌の合間に、ぼくは誰にも聞こえないような小さな声で、「ありがとう」をつぶやいた。



080918


誕生日話ということでいろいろ詰め込んでみるだけみたんですが、いろいろと書き足りないぞ!
…はりきって誕生日のエピソードをたくさん考えすぎたのが裏目に出ました。
ガーディアンたちとも話させたいセリフとかあったのですが、入りきらなかった…!
いずれリベンジしたいです。

何はともあれ先生、お誕生日おめでとうございます。これからも先生について行きます。