「それは、恋をしているからですよぅ~」 そう、答えはもう出ていた。ぼくの中の彼女が、相変わらずの無垢な笑顔で言った言葉、それが引き金であり合図だった。魔法が解けるように、ぼくは自分の中の感情を自覚することになった。 どれだけ否定しても、どれだけ無謀でも、生まれてしまったこの気持ちはもう止まらないんだと、ぼくは改めて思った。 そして、心に生まれた感情は、自覚されたことで一気に加速する。 たまごが孵化へと向かっていくように。 その加速した感情がどんな行動と結果を生んでいくのか、もしかしたら答えはもう出ているのかもしれないけれど、ぼくはまだ、それを知らない。 しかし一つだけ。ぼくは大切な決断をした。 さあ、その決断を、行動に移そうじゃないか……ぼくは、自分自身にそう宣戦布告をした。 ファーストフードコートから出て、ぼくらはフリースペースに出た。いくつかのベンチと申し訳程度の遊具があるこの場所は、子供らのかっこうの遊び場となっている。 「幾斗君」 ぼくは左胸を押さえながら彼に声をかけた。心臓が、激しく高鳴っている。ぼくはひどく緊張していた。 「あのさ、ちょっとここで待っててくれる?」 ようやくの思いで吐きだした言葉に、彼が頷いた。 よし、ここまでは計画通り。ぼくは心の中で指差し確認をした。 ぼくは彼を背に駆け出し、大きめの柱の後ろの、彼から見えない位置に隠れた。 深呼吸をひとつしてから、携帯電話を取り出す。メールを新規作成、宛先は月詠幾斗。空白の画面に本文を打ち込むぼくの指は少し震えていたけれど、ぼくは自分を奮い立たせた。 本文を打ち込み終わったぼくは、一瞬間迷ったのちに送信ボタンを押した。送信完了の表示が死刑宣告のように思えた。これですべてが終わるかもしれない。でも、これで少しだけぼくは前進するのかもしれない。そんなことを考えながら、そっと彼の方を見やると、彼がポケットから携帯電話を取り出していた。 +++ 「……メール?」 月詠幾斗は怪訝に思いながらもポケットの中で振動している携帯電話を取り出した。 メールの差出人は、二階堂悠。 (……何やってんだ? あの人は) まったくもって妙なことをする人だなと思いながらメールを開いた。 件名のないメールの本文には、こう書かれている。 『ぼくは、君に恋しているのかもしれない。』 幾斗は目を見開いたあと、にっこり笑った。こんなに愉快な気分になるのは久しぶりだ。そう幾斗は思う。幾斗は迷わず、返信ボタンを押す。本文を打ち込んで、送信。 途端、ゴツッ、という鈍い音が聞こえてきた。幾斗のいる場所からは柱の後ろは見えないけれども、メールの返事に驚いた二階堂が携帯電話を落とした音に違いない。 「……携帯、壊れてなければいいけど」 せっかく送った返事が台無しになってしまうから――幾斗はぼんやりと考えつつ、柱の後ろの彼がどんな顔をしているか想像して、笑みを浮かべた。 +++ 携帯電話が鳴った。メールの差出人の名前を見て、ぼくは思わず携帯電話から手を放してしまった。鈍い音をたてて床に落ちる携帯電話を慌てて拾う。大丈夫、壊れてはいない。 また深呼吸をして、携帯電話を開ける。新着メール一件、という表示。メールを開く。 そこに表示された文字は、たった四文字。 『知ってる』 「え……」 頭が真っ白になる。次の瞬間、ぼくは思わず柱の陰から飛び出していた。彼と目が合う。彼の表情は変わらない。いつもの仏頂面だ。 「う、嘘だろ……」 ぼくのつぶやきに、彼は何も答えない。ただ唇の端を少し釣り上げるだけ。意地悪く、笑うだけだ。 「嘘だっ!」 ぼくはもう一度そう繰り返す。ぼくはひどく動揺していた。ぼく自身ですら先ほどまで知らなかった自分の気持ち。それを彼がすでに「知っている」なんて、ありえない。信じられなかった。 話をするには距離が離れすぎていると思ったのか、彼は口を開く前にこちらへ歩み寄った。ぼくの前に立った彼は、あきれたようにため息をついて、ぼくの頭にぽんと手を乗せた。驚いて身を縮こまらせるぼくに、彼は言う。 「……あのさ、あんた、鈍すぎだよ。二階堂さん」 「に……ぶい?」 「鈍すぎるあんたのことだから気づいてないかもしんないけど」 と前置きをしてから、彼はぼくの頭から手を離し、その手をぼくの頬に添えた。ぼくは身を引こうとするが、体が動かない。そして彼の言った言葉が、さらにぼくの体を硬直させた。 「俺も、あんたと同じ気持ちなんだぜ」 「なっ……!」 ぼくは視線の先にいる彼を見た。からかっているのか、馬鹿にしているのか、それとも本心なのか。少なくとも彼の目は真剣だった。冗談を言っているようには、見えない。 でも、騙しているのかもしれない。あの女のように、ぼくに失望しているのかもしれない。あの仮面の下で、彼は何を考えているのだろう……ぼくの思考はぐるぐると絡まってもつれてゆく。疑念は断ち切れない。決して悪い返事をもらったわけではないのに、素直に喜ぶということが、ぼくにはできなかった。 ぼくが何も言えずに固まっている間に、彼は、 「じゃあ、俺そろそろ帰るから」 と何もなかったかのように言って去ってしまい、ぼくは群れて遊ぶ子供たちや、行き交う買い物客の中に立ち尽くしたまま、彼の後ろ姿を呆然と見送っていた。 両想い。相思相愛。 世間的にはこんなに美しくて素晴らしい言葉なのに、どうして実感がわかないのだろう。幸せだと、思えないのだろう。こんなにも迷いと戸惑いで心が満ちているのはなぜだ……そう思案しながら、ぼくは日奈森家のチャイムを押していた。どうしてここに来たのかは、自分でもよくわからない。 ……わからないけれど、ぼくは今、「彼女」に会いたかった。 ドアを開けたのは日奈森あむだった。 「うへっ! 二階堂……」 心底嫌そうに彼女は言った。 「人の顔を見て『うへっ』はないだろ……本気で宿題増やすよ、ヒマ森さん」 呆れとほんの少しの怒りを込めてそう言うと、日奈森あむは眉間にしわをよせて、「またそのキャラチェンジ……」とつぶやく。 そんな彼女の背後から勢いよく飛び出してくる三つの影。ラン、ミキ、そしてスゥだ。ぼくは姿勢を正して、「彼女」……スゥに声をかける。 「あ、あのさ……今日はキミに話を聞いてもらいたくて、来たんだ」 「スゥですかぁ?」 スゥは首を傾げてから、目を細めて笑った。 「スゥでよければ、いくらでもききますよぉ~」 そんなスゥの横では、ランとミキが顔をしかめている。 「まったく、スゥってば……」 「ていうかさ、二階堂ってホントにスゥが好きだよね」 ランとミキは、そんな会話をしている。言ってやりたいことは多々あったが、ぼくはぐっとこらえて、彼女の方を向いた。 「ぼくさ、好きな人ができたんだ。たぶん、キミのおかげだと、思う。ありがとう」 と切り出す。ラン、ミキ、あむは目を剥いて驚いていたが、スゥの表情はあまり変わらない。ただ、「よかったですねぇ~」とスゥは言った。その言葉を反芻して、ぼくは少し楽になる自分を自覚した。彼女の声には、 「それで……その人も、ぼくのことが好きらしいんだけど……」 ぼくは一瞬言い淀んでから、彼女に視線を合わせ、こう言った。 「ぼくは……どうすればいいんだろう」 抽象的で、漠然としていて、わかりにくい。答えにくい質問だということくらい、自分でもわかっていた。でも、この子なら答えてくれる。ぼくの望む答えをくれる。そんな気がした。 数秒の沈黙ののち、スゥは人差し指を立て、得意げにこう答えた。 「喜べばいいんですよ~、せんせぇ。せんせぇがにっこり笑って、心からうれしいって思ったら……きっと、そのひともうれしいと思います」 それは、かんたんな答えだった。気付けなかった自分が不思議なほどの。 そう、悩む必要なんて最初からなかったんだ。 笑えばいい。喜べばいい。 怖がる必要なんてなくて、怯える必要も、なかった。 「……ありがとう」 ぼくは晴れた心で、彼女に礼を言った。憑きものが落ちたような気分だった。 「せんせぇが幸せなら、えがおでいてくれたら……スゥも、幸せですよぉ~」 彼女が笑う。その笑顔で、ぼくも、幸せになれる。 そしてきっと、彼の笑顔にも、ぼくは同じように幸福をもらえるのだろう。 今度彼に会ったら、何よりもまず、心から微笑みかけてみようとぼくは思う。 ぼくの笑顔で、彼が幸せになれるように願いながら。 幸せが笑顔を生んで、その笑顔がまた、幸せを呼ぶ。 そんな幸福のループを、人は愛と呼ぶのかもしれなかった。 080224 公式ではいがみあってばかりの二人ですが、たまにはラブラブ両思いでもいいんじゃないの!というかラブラブになればいいよ!と思っていたらこんなことになりました。 スゥを出さないと気が済まないのはただの趣味です。スゥは悠をはじめとしたみんなのおかん的存在でいい^^ |