たまごというのは不思議なものだと幼い時分から彼は思っていた。
 工作は物の形を認識して、その上で付け加えたり削ったりする作業の繰り返しだ。工作に没頭すれば必然的に、日常でも物の形状を意識することが多くなる。木片は四角い、ボールは丸い、というように無意識に確認してしまう。そんな中、たまごという物体は不思議な魅力と謎をはらんでそこに存在していた。
 丸いけれども真ん丸ではない。不安定であるにもかかわらず自立することができる。平らな面の上を転がすこともできる。しかし転がしても、単純な球体のようにまっすぐは転がらない。同じ場所をくるくると回るばかりだ。
 他の物にはない例外的な「形」の物体。それがたまごだった。
 そんな思考回路を持つ彼が、冷蔵庫からこっそりと抜き出した卵に着色を施して遊ぶようになったのは、いつ頃のことだっただろう。気づけばそれは、ロボット工作と同じくらいに夢中になれるひとり遊びになっていた。


re-paint


「あーあ、何やってんだろ、ぼく」
ふとため息をついて、絵筆を持つ手を止める。もう片方の手には半分ほど黒く塗りつぶされた殻つきの鶏卵がある。
「こんなことしたってエンブリオに近づくわけでもないのに……」
二階堂悠はばつたまを模して塗られたそれを持ち上げて下から眺める。
 ばつたまを集めて人工的にエンブリオを生み出す……自身のそんな計略を思い返しながら、彼は考えていた。「ばつたま」という存在について。
 持ち主に見放された、「失われた夢」のたまご。存在自体をみずから否定するかのような、あの白い大きな×印を思い返すたびに、彼は胸がむかむかとしてくるのだ。自分のたまごも、あのとき壊れていなかったら、おそらくはばつたまになっていたのだろうという憶測も、そのむかつきを加速させる。子供の持つ夢なんて、馬鹿みたいに現実とかけ離れていて、叶わないものの方が多いに決まっている。無事に孵化してしゅごキャラになるたまごよりも、存在に気づかれずに眠り続けるたまごや、ばつたまになるたまご、持ち主に破壊されるたまごの方が圧倒的に多いと二階堂は思っている。
「しゅごたまの存在意義……か」
そんなものがあるとは思えなかった。エンブリオ以外のたまごに、存在する意味なんてありはしないのだ。あるとすれば、膨大な負のエネルギーを再利用できるというくらいだろう。
 エンブリオ、もしくは御前にとってエンブリオと同じ価値をもつ何らかのもの。
 必要なのはそれだけ。他のものなんて、いらない。
 そう思いながらも、手に持った筆は卵に色を塗りつづけていた。筆に含んだ黒い絵の具は、二階堂には絶望の色に見えた。それが、たまごを失った自身の絶望なのか、それとも夢を失ったばつたまの主たちの絶望なのか、二階堂にはわからなかった。


 エンブリオの生成計画が未遂に終わり、彼がイースター社を離れることになったのは、それから数週間後のことだった。すべてはめまぐるしく過ぎてゆき、いつのまにか終わっていた。イースター社員だった二階堂は、ただの一介の教師になり、地位と名誉の可能性を失った。その代りに得たものは何かと言えば、はるか昔に失った自分のしゅごたまと、新しい価値観だろうか。言葉にしてしまえば、明らかに損失の方が大きいような気がするけれど、それでもいいと思えたのは、もしかしたら、日奈森あむと対峙したあのとき、その二つの他にも何かを得たからかもしれない。それが何かは、今は全くわからないが、いずれわかるときが来ればいい、と二階堂は考えている。


「あっれー、二階堂先生、何していらっしゃるんですか? それって、例の工作クラブの?」
同僚の女教師にそう声をかけられ、二階堂は顔をあげて作り笑いをした。
「ええ、そうですよ」
二階堂の手にあるのは絵筆と、その絵筆でカラフルな柄が描かれたまるい物体だ。
「見せていただいてもよろしいですか?」
と手を伸ばしてくる教師を、彼はやんわりと制止した。
「まだ、塗りかけですから。触ると、絵の具がつきますよ」
彼女は特に気分を害した様子もなく照れたように笑った。
「ああ、そうですよね! すいません」
「いえいえ」
会話が終わり、彼女は自分の仕事に戻っていく。二階堂も自分の作業に戻ることにした。その作業が工作クラブの仕事の一環というのは嘘ではないが、まるっきり仕事のためだけにやっているというわけでもなかった。たまごに色をつけるひとり遊び……イースター社をやめてからも、その癖はまだ健在で、仕事の合間に心を落ち着けるために、よくこうして色塗りをするのだ。ただし、作るのは黒いばつたまではなく普通のしゅごたまを模したものになった。持ち主の性格を象徴するような、一人一人違う模様……希望に満ちた色の、レプリカだ。
 放課後、窓の外は徐々に夕闇に包まれていく。職員室にいる教師の人数も少しずつ減っていった。そんな中、二階堂は黙々と色塗りに没頭していた。作業に没頭していた二階堂は、自分の背後に立っている人物の存在に気付かなかった。
「二階堂……じゃない、二階堂先生」
声をかけられ、はっとして振り向く。そこには見慣れた人物の姿があった。
「ヒマ森さ……ん?」
「さっきからずっとここにいたんだけど、あんた全然気づかないから」
と日奈森あむは言った。
「ああ、ごめん。気づかなかったよ」
「放課後の掃除が終わったから報告に来たの。それだけ!」
と早口で言ってから、
「それ、何? たまご?」
と彼女は二階堂の持っているものを指した。
「ああ。そうだよ。なかなかうまくできてるだろ? ぼくが塗ったんだ」
少し自慢げに言ってみせると、日奈森あむは鼻で笑った。
「何それ。あたしが立ってるのに気づかないくらい夢中で色塗りとか、ガキっぽいし、かっこわるいじゃん」
「出た、あむちんの意地っ張りキャラ」
「ほんとはわりと気に入ってたりするんじゃないのー」
「素直じゃないですぅ~」
むっとした表情の彼女の周りを浮遊するしゅごキャラたちの言葉はどうやら図星らしく、あむは少し顔を赤らめ、
「べっべつに!そんなこと思ってないし!」
と否定の言葉を口にしつつ、小声で、
「けど、あんたが作ったにしては、わりとすてきなたまごじゃん?」
と付け加えた。
 二階堂はふと、思いついた言葉を口にした。
「これ、キミにあげるよ、完成したら」
彼は自分でも、何故そんなことを言ったのかわからなかった。
 案の定、彼女は不思議そうに問い返す。
「はぁ? なんで!?」
「……いらないならいいよ」
二階堂はそう言ってあむから目をそらした。あむはその様子を見て、
「……もらってあげても、いいけど」
と言った。予想外の返事に、二階堂は目を丸くして言う。
「本当に!?」
「うん、大事にとっとく」
とあむは答えたのだが……「大事にとっとく」というその言葉の意味を考えて、二階堂は少し気まずくなった。彼はおそるおそる、彼女に話しかける。
「あのさ、せっかく言ってくれたところ悪いんだけど……」
「何?」
「これ、ゆでたまご、なんだ……」
しばしの間二人に流れる沈黙。あむは目を見開いて驚いてから、こう突っ込みを入れた。
「……とっといたら、腐っちゃうじゃん」
「う、うん……ごめん」
あむはぷっと噴き出した。
「何それ、ありえない……あはは」
心底おかしそうに腹を抱えて笑い転げるあむ。
 そんな彼女を見ながら、その笑顔が見れただけでも、このたまごを作った価値があったのかもしれないな、そんな風に二階堂は思っていた。
 いらないたまごじゃない。このたまごは、必要とされているんだ。
 必要とされているたまごは、ばつたまにならずに済む。美しいままでいられる。黒く塗りつぶされることも、否定されることもなく。
 いつか、すべてのたまごがそういう風になればいい。
 個性的な色のまま、夢に向かって孵化することができれば、いい――
 叶わぬ願いかもしれないと思いつつ、今、二階堂は心からそう願った。



「あ、先生」
ひとしきり笑い終わったあむは、二階堂にこう質問した。
「クイズです。割れるけどガラスじゃなくて、白くてまるいけど、ボールじゃないもの、何でしょう?」
二階堂は一瞬驚いて黙ったが、あえて少し間をあけて、目を閉じ、人差し指を得意げに立てて、こう言った。

「……たまご、でしょ?」

あむは、右手で鉄砲の形を作り、二階堂の方を指した。
「正解。」
二階堂は、日奈森あむという少女と、このとき初めて「先生」と「小学生」らしい会話ができたような気がした。……おそらく、彼女は二階堂に気を使って、あえてこういう会話をしてくれているのだろうけれど。
 まったく、この子はぼくよりもずっと大人だな……二階堂はそう心中で呟いた。


 窓の外を見やると、空は鮮やかな夕焼け色に染まっていた。
「そろそろ帰った方がいいんじゃない? ヒマ森さん」
「はーい。じゃあね、センセイ」
と、あむは二階堂に背を向けつつ、一言、語尾に付け加えた。
「……『またね』」
「うん」
その言葉に含まれた優しさに力強く頷きを返しつつ、二階堂は彼女の後姿を見送り、
「さて、ぼくもそろそろ帰る準備をしようかな」
そうつぶやきながら、たまごをそっと机に置き、二階堂は大きく伸びをした。


080225


和解後の二階堂とあむの会話はあまり描かれていない気がしたので ねつ造してみました。
二階堂に対してのあむのツンツンさが大好きです。
たまにデレるとさらにいいかんじかと思ってます
(恋愛的なものというよりあたたかく見守ってる的な意味で)