ショーウインドーに誇らしげに飾られた、ピンク色のバラをかたどった髪飾り。見る角度によって、光の反射の具合が異なり、違う色に見える。花びらも、それに添えられたグリーンの葉も、細かく丁寧に作られていて、とても綺麗だ。
「それ、欲しいのか?」
同じようにそれを覗き込んでいた彼が、横からそう尋ねた。
「欲しい…けど…」
高いし、それに、ピンクの花なんて私のキャラじゃない。きっと似合わない。そんなことを言いながら私は口ごもるが、彼は憮然とした調子で、
「でも、気に入ったんだろ」
と言った。いつになく強い口調で。私は思わず、気圧されるようにして頷いてしまう。
「え、うん」
「じゃあ買ってやるよ」
あなたに奢られる理由なんてないわ、と断ろうとしたが、彼はすでに店員を呼んでいた。
「これ、一つください」
「かしこまりました」
店員がショーウインドーから髪飾りを取り出して、丁寧に包む間、私は夢を見ているかのようにぼんやりとしていた。
「ゆかり、手のひら出して」
その声でようやくこちらの世界に帰ってきた。
 ぽん、と彼が私の手の上に髪飾りのおさまった箱を載せた。
 とても軽くて小さな箱。でも、そのときの私には何より大事な宝物に思えた。


そんな大切な宝物を、引き出しから出してつけてみた。何年も封印されていたものなのに、当時のまましっかりと形を残している髪飾り。鏡を通して、そのきらきらとした輝きを見ていると、なんだかわくわくしてきた。そうだ、今日は彼を呼び出そう。きっと、ヒマだからすぐにやってくるはずだ。
わたしは今、むしょうに――彼に、会いたかった。


トライアングル・ラブゲーム



 いつもよりさらに猫背になっている、姿勢のあまり良くない男が、墓からよみがえった死人のようにおぼつかない足取りで廊下を歩いている。よく見ると、寝癖もスーツのよれよれっぷりも普段よりかなりひどいことがわかる。あむが後ろから名前を呼ぶと、彼は緩慢な動作で振り向いた。目の下に隈ができている。暗いオーラが表情に満ちており、病人のようだ。今日は授業中からずっとこの調子。見るに見かねて、あむは彼を呼び止めた。
「何か用ですか、日奈森さん」
答える二階堂の声は沈んでいる。心ここにあらず、というか、魂が抜けているよう、というか。見ているこちらの心が痛くなるほどの落ち込みっぷりである。
「……どうかしたの? なんかすっごく暗い顔してるよ」
あむは単刀直入にそう指摘した。彼は一瞬驚いたように黙ったが、やがてぽつりとこうつぶやいた。
「……ゆかりに嫌われたかもしれないんだ」

++++

「要するに、また痴話喧嘩ってこと……?」
ロイヤルガーデンで二階堂と向き合って座り、あむが最初に口にしたのはその言葉だった。他のガーディアンは不在だ。ラン、ミキ、スゥだけが二人を取り巻くように宙に浮遊している。
「痴話喧嘩とかそういう仲じゃないっての……別に彼女でも何でもないし、あいつのことなんてどうでもいいし」
二階堂はそう憎まれ口をたたいたが、言葉に全く覇気が感じられない。重症のようだ、とあむは分析した。二階堂は「それは置いといて」と前置きして、
「……いや、今回は、本当に喧嘩じゃないんだ。いつもは、もっとこう、ちゃんとした理由があって言い争いになったりするんだけどさ。昨日は――一方的に」
「一方的って、どっちが? 三条さん?」
「うん、ゆかりがさ。突然俺を家に呼び出して」
「うんうん」
「で、たまたま暇だったからゆかりんちに行って」
彼は『たまたま』という単語を強調した。いつ呼び出してもすぐに駆けつける暇人だと思われるのが嫌なのだろう。こういうときでも意地っ張りだけは忘れないのだな、とあむはほほえましく思った。
「それで、一緒にしばらく適当に過ごして、帰ろうとしたら……泣かれた」
「何それ」
あむは怪訝そうに眉をひそめる。
「ていうか、説明をはしょりすぎてて意味わかんないね」
ミキが冷静に言う。
「なんで三条さんを泣かせたのか、わからないの? 心当たりは?」
「それがわからないから困ってるんだよ」
二階堂は困惑した表情のまま、右手でさっと髪をかきあげた。
「何か、理由があるはずですよ」
真面目な顔をしてスゥが言う。
「昨日、何があったか思い出してみてください、せんせ」
二階堂は首をかしげて思案したが、すぐに「……本当に、心当たりがない」とつぶやいた。
「そもそも、呼び出された理由は何だったの?」
あむの問いに、彼は数回瞬きをしてこう答えた。
「よくわからないけど……『ふと会いたくなった』とか言ってた。なんか、いつものゆかりとはちょっと雰囲気が違うような気がしたな」
「具体的に、どう違ったのか思い出せる?」
「…………服、とか」
「服?」
「あいつって、いつもスーツでぴしっと決めてるだろ。だけど、昨日はひらひらのロングスカートなんか穿いて……ゆかりらしくなかったな」
「……それって、もしかして」
あむはしゅごキャラたちに目くばせした。あむと同じように、ゆかりの泣いた理由がわかったのだろう、ランとミキが呆れたように苦笑した。
「ねえ、もしかして三条さん、他にもおしゃれとかしてなかった? アクセサリーとか、気合い入れた化粧とか」
「ああ、うん。髪に飾り付けてた。そういえば、どこかで見たような髪飾りだったような……」
首をかしげて真剣に思案している様子だが、あむたちから見れば、清々しいくらいに鈍い男だった。この鈍感男……と思いながら、あむは口を開いた。
「あのさ、たぶん、三条さんは……褒めてほしかったんだと思うよ」
「褒めるって、何を」
憮然として問い返す二階堂に、あむが何か言おうとした、そのとき。

「もうっ、せんせぇってば鈍すぎです~」

先ほどから黙って話を聞いていたスゥが、二階堂の前にふわりと現れた。
「女の子はいつだって、好きな人に『綺麗だね』って言ってもらえるのを待ってるんですよぉ」
スゥは二階堂に人差し指を突きつけて、強い調子でそう主張する。
 二階堂は心底不思議そうに、
「ゆかりは女の子なんて年じゃないよ? それに、俺たちはもう恋人じゃないのに」
スゥはその答えを聞いて、すねたように頬を膨らませた。
「もう!せんせぇは本当にわかってないです、ニブニブです。女の子は、どれだけ年をとっても、ずーっと女の子なんです。……特に、恋する女の子は」
「そんなもんかなぁ。ていうか、ゆかりは俺のことなんか嫌いだとばかり」
嫌いな人間をわざわざ自分の家に招く女はいないだろう。本当にこの先生は、恋愛に関しては完璧に初心者レベルなのだな、とあむは思う。
「とりあえず、先生は謝ってきた方がいいと思う。三条さん、きっと先生が気づいてくれるのを待ってるよ」
「そっか……君が言うならそうなんだろうね。ありがとう、ヒマ森さん」
あと、君もね、と二階堂はスゥに笑いかけた。柔らかな笑みだ。
「仲直りできると、いいですね……」
励ましの言葉を口にするスゥの横顔が、少しだけ寂しそうに見えて、あむははっとする。ゆかりと二階堂が仲直りしてよりを戻すことになったら、スゥは……
 そんなスゥの複雑な想いに、二階堂は気づいているのだろうか。おそらく気づいていないのだろう、とあむは結論付けた。
「スゥ、あんたも苦労してるんだね……」
誰にも聞こえないようにつぶやくと、スゥがこちらを向いてほほ笑んだ。愁いを帯びたその瞳を見て、あむは何も言えなくなった。

++++

「…………」
向かい合って座っている彼女はむすっとした表情をしていた。今日の服装は、普段通りのスーツだが、髪には昨日とおなじ、ピンク色のバラが光っている。ここは彼女の私室。今日は呼び出されたのではなく、二階堂から電話を入れて訪問した。もちろん、謝るためだ。
「…………えーっと」
どう切り出すべきなのか、彼は迷ったが、
「こっ……この間はごめん! それ、すごく似合ってると思う」
考えて考えて考え抜いて、結局こう言った。下を向いて、目を閉じて。叫ぶように。
 言ってしまってから、顔をあげる。彼女は、どんな顔をしているだろう。怒っているだろうか、馬鹿にされるだろうか。それとも、また泣きだしてしまうだろうか。びくびくしながら目を開けると、ちょうど目が合った。
 長い沈黙が流れたように思えた。たぶんそう思えただけで、沈黙は一瞬だったのだろう。
「……うれしい」
ゆかりが笑顔になった。失笑でも嘲笑でもない。スゥの言葉を借りるなら――「女の子」の笑顔だった。どうやら、機嫌を直してくれたようだ。彼はほっとする。それと同時に、思わずこうつぶやいた。
「あの子の言ったとおりだなあ」
その瞬間、ぴきりと空気にひびの入る音がした。ゆかりの表情が少し尖りを帯びる。
「……この間も言ってたわよね、それ。ねえ悠、『あの子』って誰よ」
本当のことを言うわけにもいかないので、「あー、うん、知り合いだよ知り合い」と適当にごまかした。彼が、ははは、と乾いた笑いを添えると「まあいいわ」と呆れたような答えが返ってきた。危うくまた機嫌を損ねるところだったが、どうやら回避できたらしい。

 ……知り合いだよ、とても大切なね。
 その言葉を口に出すとややこしいことになりそうだったので、彼は心中でそっとそうつぶやいた。

++++

「……悠、覚えててくれたんだ……」
ゆかりはそっと髪飾りに手を当てた。つぶやいた独り言は、目の前の彼には届いていないようだった。
 彼からもらった、最初で最後のプレゼント。ずっとずっと大切に封印してきた宝物。
『すごく似合ってると思う』
その言葉だけで、幸せすぎて死んでしまいそうな気がした。こんなセンチメンタリズムは、自分のキャラじゃないってわかっているけれど、それでも――彼の前では、自分は世界で一番幸せな女の子になれるのだ。男勝りで、勝ち気で、素直じゃない自分でも。
 ゆかりは勢いよく立ちあがった。
「悠、これから、買い物に行きましょう」
唐突な提案に、彼は驚いた様子で目をぱちぱちと瞬いたのち、
「……また俺は荷物持ちかい?」
と答えながら、同じように席を立った。
「当たり前でしょ」
凛とした答えを返しながら、ゆかりは彼の手を取り、玄関へと引っ張って行った。
「ちょ、おいゆかり……そんなに急がなくてもっ」
困った様子で言いながら、二階堂も呆れたように笑っていた。今はもう恋人同士ではないけれど、しばらくこうして恋人ごっこをしていたいな、とゆかりは思った。

++++

 聖夜小の廊下を歩く二階堂は上機嫌だった。足取りは踊っているかのように弾んでいるし、いつも以上に胡散臭い笑顔を振りまいている。一昨日とは大違いだ、とそれを見た誰もが思っていた。
「ご機嫌ですねぇ」
澄んだ鈴の音のような声。振り返るとスゥがいた。
「ありがとう。君の助言のおかげで、ゆかり、機嫌直してくれたよ。大感謝だ」
「そうですかぁ、よかったです」
スゥはにこにこと笑った。そして小声で、「スゥも負けてられませんね~」とつぶやいた。
「ん? 何か言ったかい?」
聞き取れなかったらしく、彼はそう訊いたが、スゥはその問いに「いいえ」ときっぱり答えてから、
「今度、せんせぇのおうちにごはんを作りに行ってもいいですかぁ」
と提案した。二階堂は愛想よく返事をした。
「いいよ、いつでも大歓迎さ」
その答えを聞いたスゥは、力強く頷いて笑顔になった。
「スゥ、腕によりをかけて頑張ります」
「うん、待ってるよ」

「おーい、スゥ、何やってんの? 置いてくよ」
廊下の先からあむの声が聞こえた。
「はーい! 今行きます~」
大声でそう言いながら、スゥはふわふわと空中を漂いながら二階堂に手を振った。二階堂も手を振り返す。廊下の窓から外を見ると、太陽の光が眩しいほどにきらきらときらめいていて、今日もいい日になりそうだと彼は思った。

081011

ゆかりとスゥはひたすら先生を取り合えばいい!!
と常々思っていた結果がこれです
バチバチ火花を散らしてバトルすればいい
間に挟まれてる先生は鈍感すぎて全然気づいてないんだろうなー
と思うとにやにやが止まりません