「さてさて、きょうはどんな法律を考えちゃおうかなぁ。とォ~っても悩んじゃうなぁ」
珍妙な造形の椅子の上でふんぞり返りつつ、ヒエール・ジョコマンが言う。彼が統治するこの世界は、いつだってピカソの絵画みたいだ。戦国時代と近未来が厳かに融合した、キメラのような世界。食べものも、服装も、乗りものも、建物も……すべてがヒエール色。この世界の人々はこの状態を普通だと思っている。彼らは抽象画の世界の住人なのだ。
 でも、わたしは違う。この世界がピカソの抽象画になる前の状態を知ってしまっているから。
 このヒエール時代において、わたしは、彼の秘書なんていうシャレた職業についている。
 国家元首の秘書!
 まったくもって、高給取りっぽくて、すばらしいではないか。しばらくはこのままでもいいかもしれない。
 しかし、そんなことばかり言っているわけにもいかない。
 わたしにはもうひとつの仕事があった。
 ……タイムパトロールという名の、大切な仕事が。

 時間犯罪という大罪を犯したヒエール・ジョコマンを捕まえるべく、この時代に派遣されたわたしを待っていたのは、犯罪者が日本大統領となった異形の世界であった。本来ならば、同僚であるリング・スノーストームが取り逃がしてしまった彼をわたしが捕まえるだけで、物語は収束するはずだった。しかし、ドジな同僚のおかげで、わたしはあとから来る彼女の到着を待たねばならなくなっている。戦闘や捕縛に必要なものを乗せたわたしの船が、移動中に墜落して故障してしまったのだ。船の調整をしたのはリングだった。通信機は壊れていないのだが、リングの側になにか問題が生じているらしく、通信はまったくつながらない。
 おかげで今、わたしは単なる丸腰の女。正体がバレたら、おそらく殺される。味方のいない時代に、取り残されてしまった。

 この世界で服を調達し、街をふらふらと歩いているところへ、幸か不幸か、気まぐれな大統領がやってきた。
「きみぃ。なんだかいィい面構え、してんじゃん?」
と彼は言った。
 ピンポイントでわたしのところへやってくるなんておかしい。まさか、タイムパトロールの到着に感づかれたか……?と身構えたのだが、様子を見ていると、そうではなく、単にわたしに会いに来ただけらしいとわかった。どうやら、街の一部を監視カメラで見張っていたようだ。暇な大統領にも程がある。
「あら……そうかしら。親愛なる大統領閣下に褒めていただけるなんて光栄ですわ」
わざとらしいほどのお嬢様言葉で、おどけて応じてみたのだが、これがなぜか彼のお気に召したらしい。
「名前、なんていうの?」
みょうじなまえです」
「気に入った。きみ、採用ね。ぼくの秘書だから」

 ということで、『タイムパトロール隊員』兼『日本大統領の秘書』となってしまった。世界中を探しても、こんな珍妙な職務経歴のやつはいないのではないだろうか。30世紀のギネスに載るかも。いや、載らないか。
 わたしの任務はこの男を捕らえることなので、側近にもぐりこめたのはラッキーだ。しかし、もっとも危険な立ち位置とも言える。しばらくは、寝首をかかれないか心配する日がつづいた。
 日々をともに過ごしてみると、ヒエールという男の意味不明さ、底の知れないエキセントリックさに驚く。
 だれよりも残酷なようでいて、快楽のために殺しをしているというふうには見えないし――かといって、支配欲があるのかというとそうでもない。歴史改変と、歴史に名を残す行為そのものにエクスタシーを覚えている……というのが、いちばんしっくりくるだろうか。しかし、そんな単純な言葉で彼を割り切ることはできないように思う。
 
「おーい、なまえくん。ちゃんとあったかい煎茶入れておいてくれないとさぁ、困るよぉ」
「は、はい。申し訳ありません。今すぐに」
大きめの椅子に乗り、半分さかさまになったみたいな体勢で命令してくる彼に、あわててお茶を出す。
「きみはいい秘書だ。文句も言わずにお茶出してくれるし、なんかほかのやつらとは『違う』って感じがするんだよねぇ」
「違う、とは?」
「基本的に、この時代のやつらってバカだし超ちょろいんだよね。もう激ちょろって感じ。でもね、きみはちょろくないしバカでもないよね。どうして?」
「ちょろいとかちょろくないとか、よくわからないのですけれど……」
背中を冷や汗が伝っていく。彼の疑問の答えは明快だ。このわたしは、未来からやってきて、彼の犯罪を知っている。だから、彼を崇める世界の住人とは『違う』のだ、と。しかしそんなことを言えるはずもない。
「わたしは閣下のことをお慕い申し上げておりますから、閣下のことを表面的にしか知らないまま崇めている連中とは違うのだと思います」
つい、口からでまかせを言ってしまった。しかし、これはこれでいいアイデアなのかもしれない、と思う。その証拠に、彼が驚きすぎて、椅子からずりおちて頭を打っている。よしよし。
「え、きみ、そういう目でぼくのこと見てたの? 困るな。職場でそういうのはさぁ」
「す、すみません。でも、一目惚れですからしかたありません」
「まあ、このヒエール・ジョコマン……それだけの魅力のある男ではあるからね、しかたない」
などと全力で自画自賛モードに入った。いっそすがすがしくなるほどのナルシズム。こういうふうになれれば、人生、幸せなのかもしれない。犯罪者にはなりたくないけれども。

 その日以来、彼は目に見えて優しくなった。その優しさは、独り身のわたしにはきつい猛毒だったようだ。
 リングが来れば、こんなところからはおさらば……そう思っていたのに、いつのまにか彼との生活が楽しくなりはじめている自分に気づいた。
 この世界は間違った歴史の一部で、その歴史のなかで高給取りになったってしかたがない。もし彼と恋人になったとしても、すべて偽り。正しい時の流れに修正されてしまう。彼はわたしの恋人なんかじゃないし、わたしは彼の秘書なんかじゃない。犯罪者と、タイムパトロール――それがふたりの真実。なのに。なのに……。

「お茶が入りました」
「ありがと」
「きょうの法律、思いつきましたか? 閣下」
「うーん、そろそろアイデアが枯渇してきたなぁ」
「まあ、一日一個って、相当多いですからね……」
「じゃ、きょう一日、きみと恋人ごっこするってのはどう?」
「はぁ?」
それ、法律じゃありませんよね。王様ゲームですか?と思ってしまった。が、彼にしてみれば、大統領になるのも、王様ゲームをするのも、あまり変わらないのだろう。この人にとって、大統領は王様だものね。
「……しかたありませんね。やりましょう」
ということで、一日、彼と恋人っぽく過ごした。

 喫茶店でデートをして、遊園地へ行って、手をつないで、ウインドーショッピング。最後にはホテルの最上階のレストランでディナーを食べた。涙がでるくらいにステロタイプでつまらないデートプランだ。そのひとつひとつをここに記す気にはとてもならない。あれだけ奇抜なことを常日頃から考えている彼のなかに、奇抜な恋人のビジョンなんてひとつもなく、ただただ平凡な男であったという事実がわたしを打ちのめしてしまったからだ。

「ほらほら、手を繋ごうよ、なまえくん」
「次は抹茶クレープがいい」
「きみの瞳に、乾杯。なんてね」

 彼がくるくるとわたしの周囲を飛び回り、陳腐なセリフで嬉しそうにはしゃぐ。その繰り返しで一日が終わった。
 ……端的にいうならば、わたしはこの『恋人ごっこ』によって、彼に惚れさせられてしまった。
 あとになって考えてみれば、たぶん、ぜんぶ仕組まれていたのだろう。タイムパトロールの仕事に明け暮れて、自分が女性であることすら忘れ、恋のやり方を知らないわたしに、彼は一から十までレクチャーしてくれた。それが、わたしにはぴったりすぎた。来るかわからないリングを待ちながら、このまま、国家元首に処刑されるなんて、まっぴら。仕事よりも恋のほうが楽しいと、心から思ってしまった。この歪んだユートピアで、ずぶずぶと沈んでいきたい。
 うぶな男を演出して、うぶな女を騙す。犯罪者にふさわしい、詐欺師的な手口だったと思う。あまりにも彼らしい鮮やかさだった。

 しかしそんな彼の恋とて、すべて偽りだったのではないらしい。彼はわたしに惚れていた。詐欺であのような振る舞いができるほど、彼は大人ではない。歴史に名を残したいという一心で、彼はなんの躊躇もなく時を飛び、罪を犯す。そして行き着いた先は『大統領閣下様』だ。そんなことができる大人はいない。彼は少年の心を忘れないことに徹しすぎて、大人になることができなかった。だから、こんな児戯めいた恋に興じられる。わたしの心を陥れたのはまぎれもなく彼の策略だったが、彼の心はたしかにわたしを愛していた。それだけは嘘ではないと思う。

 わたしと彼の運命を決定づける日は、刻一刻と迫っていた。その日も、わたしは彼のプライベートルームでお茶なんか入れたりしていたわけだが、唐突に聞き覚えのある着信音が耳に入ってきた。
「電話だなんてめずらしいね。取っていいよ?」
 焦りながら判断を保留しているあいだに、彼のお許しが出てしまった。そう言われたら、取るしかない。取らなければ怪しまれる。
 冷や汗をかきつつ、通信機を耳に当てる。彼のいる場所から離れて通信したかったが、逆に怪しまれそうなのでやめた。幸いにして、この通信機には防音機能がついているため、そうそう隣の男に聞こえたりはしないはずだ。
「遅くなってごめんなさい。リング・スノーストームです。だいじょうぶかしら? ヒエールに捕まっていたりしない?」
「…………」
「いま、そちらの時代に向かっているわ。もうすこしの辛抱だから、待っ――」
 通信を強制的に切断して、首を横に振る。ごめんね、リング。わたしはもう、あなたを待っていないの。
「タイムパトロールの仕事に、帰るのかな?」
 あわてて振り返ると、彼がじっとこちらを見つめていた。
 通話は聞こえていなかったはずだ。しかし、彼はたしかに今――タイムパトロールと言った。
 彼の目は、感情の感じられない目になっていた。人を殺すときの目だ。背筋がすっと冷えた。
「……知っていたんですか。わたしが、タイムパトロールだと」
「知らないわけないだろ。このぼくをだれだと思っちゃってるのかなぁ」
「知っていて、わたしに近づいてきたんですか」
 ――恋では、なかったんですか?
 そう叫びたかったが、彼は平然と首を縦に振った。
 堂々たる態度は、皮肉にも大統領にふさわしかった。
「知っていて近づいたさ。まぬけなタイムパトロールのお手並み拝見ってね。あ、でも、きみのことが好きなのはほんとうだよ? きみがタイムパトロールだからじゃない。きみがきみだから好きなんだよ、なまえ
 『きみのことが好きなのはほんとうだよ』――そう言った彼の声に、嘘はなかった。彼の言葉が嘘ならば、わたしはリングのもとへと迷わず戻ることができたと思う。タイムパトロールを陥れるためだけにわたしと暮らしていたのならば、彼を捨てるのは簡単だった。でも、そうじゃない。わたしも彼も、いつのまにか本気になっていた。
 わたしは震える声で、彼を呼ぶ。
「……閣下」
「きみは仲間のところへ戻ってしまうのかなぁ。結局、タイムパトロールの仕事のほうが大事かい?」
「……聞いてください、閣下」
「最後のお願いかもしれないし、聞いてあげてもいいよ。ただ、仲間のところへ戻るというのなら、しかるべき対処をしなければならないがね」

 ヒエール・ジョコマンの部屋には人の香りがない、と最初は思っていた。でも近ごろは違う。この部屋からは、わたしと彼の生活の香りがする。生きた人間がいるという証がある。わたしがつくった朝食をふたりで食べてはじまる、大切な一日の残り香が、常にこの場を支配している。
 わたしはタイムパトロールで、彼は時間犯罪者。決して相容れないふたりのはずだった。
 でも。
 この場所で、彼と大切な日常を共有してしまったわたしは――もはやこの場所以外での生活なんて、考えられなくなってしまった。
 恋愛とは病であり罪だ。
 職務すら放棄させる――重篤な病。

「親愛なる大統領閣下様。お伝えしたいことがございます。このわたしは、リング・スノーストームのもとへは戻らない。彼女と敵対してでも、あなたを守ります」

 ついにわたしはそう言って、彼の胸のなかへと飛び込んだ。それと同時に、リングへとつながる通信機を床に投げて壊した。次にリングと会うときは――たぶん、わたしと彼が捕まるときなのだろう。タイムパトロールは、彼を逃しつづけるほど無能ではない。おそらく、わたしたちが恋人でいられる時間は、あとわずか。わたしの選択は絶対に間違っている。沈んでいく泥舟に乗り込んだようなものだ。でも、心はとても満たされている。彼の細腕が、信じられないほど強い力でわたしの体を抱きしめてくれたから。

「そんなきみだから愛しちゃってるんだよね。いつまでもこの国にいてくれる? なまえ

 彼がそんなことを言ったが、タイムパトロールの一員であるわたしには、それが絵空事だということはわかりきっていた。彼はもうすぐ捕まってしまう。もしかしたら殺されるかもしれない。彼だけは、まだその未来を知らない。いつまでも王様でいられると思っている。そんな彼が悲しくて、愛しくて、わたしの右目から涙があふれた。

恋は、犯罪

20170407