ガタンコトンと、どこか軽さを含んだ音がつづいていた。ガタンゴトンというほど重くはなく、カタコトとかいうほどに軽くはない。現実と非現実のはざま。そんな音のただなかにわたしたちはいる。
車窓から見る20世紀の埼玉の風景なんて、おもしろくもなんともないと思っていた。東京みたいにキャラの濃い建物がつづくわけでもなく、ぼんやりと都会っぽかったり田舎っぽかったりをひたすらに繰り返して、果てへと向かっていく。その埼玉らしさが好きだったのは、わたしだけだろうか。
まあ、すべてがヒエール様式となったいまでは、「埼玉らしさ」はぼやけてしまって、単なる幻想でしかないのだけれど。
「30世紀の人間が、ふたり並んで、こんなところで電車に揺られてる。なんか、ふしぎだよねえ」
彼はヒエール色の世界を車窓から眺めながら、そんなことをつぶやいた。
「電車で埼玉の果てまで行こう」などと言い出したのは彼なのだから、今、電車に揺られていることはなにもふしぎではない。彼が考えたデートの計画を実行しているだけじゃないか。
とはいえ、やはり、30世紀の歴史オタクと、30世紀のタイムパトロールが雁首揃えて、20世紀の列車を貸し切っているのは異様だし、ふしぎなことではある。
だれも乗っていない電車。静寂に支配される空間。
いつになくロマンティックだ。
今にも終末へ向かっていきそうな、焦燥が胸を焦がす。
「……ところで、『埼玉の果て』ってなんでしょう。海とつながってるわけでもないし、最後には隣の県へ行きつくだけですよ?」
「埼玉の果て、略して『最果て』なんてね」
と、彼はよくわからないごまかし方をした。
ちなみに、現在乗っているこの電車は、最終的には群馬県へと到着するはずだ。群馬県を『最果て』と呼ぶのはやはり、ロマンに欠ける。せめて北海道か九州、沖縄あたりを『最果て』としたいところだ。群馬県を『果て』なんて言っていたら、電車を折り返して戻ってくるとき、めちゃくちゃせつないんじゃなかろうか。
そんなわたしの考えを知っているのかいないのか、彼は窓の外へと視線を固定したままで、こう問いかけてきた。
「ね、知ってるかな。この世には絶対に動かせない『歴史』の決まりごとっていうのがあるんだよね」
「決まりごと? いったい、どんな?」
「『どんな支配者も必ず滅びる』っていう決まりさ」
ガタンコトン、ガタンコトン。
列車は埼玉を走りつづける。
一方、歴史はまわりつづける。終焉へ向かって。
彼は肘置きに肘をついて、けだるげに語る。
窓の外は山岳地帯に入ってきている。ここらの景色は、ヒエール時代の特色をあまり感じさせない。山や川の織りなす風景は、古き良き日本そのものを象徴している。まるで、彼の政権を拒絶するかのように。
「歴史とは、人間の罪と失敗の記録だからねえ。歴史マニアとして、やっぱりこれだけは動かせない。どんな優れた支配にも王朝にも、終わりはある」
「……ご自分にも、終わりがあると思っておられるのですか?」
その価値観は、普段の彼の自信と矛盾するような気がする。
「歴史ってのはそういうもんなんだよねえ。ヒエール・ジョコマンは歴史に名を残したいのであって、永遠に日本を支配したいわけではないんだよ。永遠に支配していたら、歴史に名が残らないじゃないか」
「では、歴史に名を残すためには、どうしたらいいのです?」
「歴史に名を残すための必須条件とは、『死ぬ』ことなんだよね、残念ながら」
それがわかっていて、あなたは支配者になるの?
『死ぬ』未来を前提として?
息苦しいような気持ちに襲われて、胸を押さえた。
彼はあまり、こういうまじめな話をしない。いつだってお気楽に、それでいてクレバーに、物事を処理してきた。
それゆえ、だろうか。
急に『死』なんて言葉を使われると、自分たちのすぐ背後に迫っている、現実という怪物の恐ろしさに気づいて、息ができなくなる。
「歴史に名が残ればそれで満足なんだよ。それが最高のエクスタシー。生きがいだよ」
「そんなの、閣下らしくありません。図太く生き残ってくれないと、困ります」
わたしらしくもなく、むきになってしまった。彼の言っていることは正論だし、まともだ。だれだって、そのうち死ぬ。当たり前じゃないか。でも、それがすごく嫌だった。
いつでも生に貪欲で、自分に正直な彼が、死を匂わせたという事実が、わたしを焦らせたのかもしれない。
だって、彼に言われるまでもなく、為政者は死と隣りあわせなものではないか。
為政者は常に暗殺の危険を背負っている。タイムパトロールという強大な存在に喧嘩を売り、この日本を挑発するかのようにバカバカしく支配し、歴史に名を残すために生きるこの人は、本人が思っている以上に死に近い。
その現実を見たくなかった。この時間が永遠に続けばいいと思っていた。
だから。
わたしは彼に死んでほしくないし、死の話をしてほしくもないのだ。
わたしの必死さを無視するかのように、彼は軽く笑った。
「そう言ってくれるのは嬉しいなあ、さすがなまえちゃん。いつもぼくを嬉しくさせてくれる、最高の秘書だよ」
「茶化さないでください」
「茶化してないさ。べつに死に急ぐわけじゃない。いつかは死ななければ目的が達成できないっていうだけ。タイムパトロールを欺きとおして、立派な為政者のまま死ぬ。そうすれば歴史に名が残る。それが理想のエンディングってやつだ」
彼は淡々と自分の死について述べていく。冷静だった。大人、だった。
彼がそんなリアリストな一面を抱えているなんて、思いもしなかった。
緑色の山々がどんどん流れて消えていく。その風景を見ながら、ふと涙がにじんだ。
この人は、いずれ死ぬのだ。たぶん、わたしよりも先に。
わたしはこの未発達な緑の山々のただなかに、埼玉のまんなかに、時空の片隅に、たったひとりで取り残される。もうタイムパトロールにも恋人にも戻れない。そのとき、わたしは、なににもなれない。
ガラスのなかで、外を見ている彼と目が合った。彼ははっとしたように、わたしの涙を見つめているようだった。
「おいおい、泣かなくてもいいじゃないか」
冷めた目で立ち上がって、彼が「おーい、ハンカチ持ってきて」などと車掌を呼ぼうとしたので、急いで止めた。
第三者にこんなところを見られたくない。
取り繕うように、涙声で、わたしはこう提案した。
「閣下。このまま、終点まで乗っていきませんか」
少しだけ目を伏せてから、彼は「オーケーオーケー。ほんとうは埼玉の果てで降りるつもりだったけど、ほかならぬなまえちゃんの頼みだからねぇ」と答えた。
「終点、伊勢崎だったっけ。群馬観光でもして行く?」
「水沢うどんとか、どうですか?」
「いいね、うどん。あと、おっきりこみってのもオツなもんだよ。なんといっても、名前がイイよね、おっきりこみってのはさぁ」
群馬でなにをするかという、瑣末な話題で、しばらく盛り上がった。
列車はいつのまにか埼玉を通りすぎ、外は夜になっていた。
紺色の闇のなかを通りぬける。かすかに星がきらめく。東京や埼玉で見る空よりも、澄んだ空。
なにもかも、透明になってしまったような気がした。
いまだけは、現実や歴史から切り離されて、ただの恋人どうしだ。
群馬まで、ちょっとした旅行へ行くだけの、平凡なカップル。
死ぬことを前提とした悲しい計画の話は、頭の隅へと追いやって。
刹那の幸せを享受しようと思った。
「すごいねぇ、外、まっくらだ。まるでこの世の果てへと走って行くみたいだね」
ふと、彼がそんな言葉を漏らした。
わたしたちは最果てのただなかにある列車のなかで、そっとお互いの手を握りあった。
この世の果てでなら、なにも考えずに、ただの恋人になれる。
そう信じながら。
終末列車で行こう
どうせ終わる世界なのだから、いまのうちに終点を見ておくのも悪くない。
冷たいタイムパトロールとしてのわたしが、心の奥底でそうつぶやいた。
20171215