かみさまと王子さま

 その日、わたしは、ビルスさまを取り巻くさまざまなことを考えつつ、料理をしていた。
 ここへ来たばかりのころは、ビルスさま、ウイス、そしてわたししかいない日々だった。たまに予言魚さんの話を聞いていたりもしたけれど、基本的には三人だけの毎日。
 しかし最近は違う。孫悟空とベジータが修業をしに来ており、わたしは、彼らの分を含めた料理をつくっている。サイヤ人たちはかなりの大食いだ。わたしは、質と量の両立という新たな課題を目指して、日夜研究をしている。
 きょうの献立のやりくりについて思案していたそのとき、コトン、と不自然な音がした。キッチンの入口の方向だ。
 ウイスやビルスさまは物音を立てないので、音がするということは、違う誰かがいるということだ。
「悟空さん、ですか?」
 作業の手を止めずに問いかけると、不機嫌そうな声が答えた。
「違う」
 悟空でないということは、あとはひとりしかいない。
「なにか御用ですか、ベジータさん」
 問いかけつつ顔をあげると、尖った目がこちらを睨んでいる。
 ここ最近、ビルスさまのもとで修業をしているサイヤ人のうちのひとり、ベジータ王子である。
「なにか御用ですか、じゃあない。貴様、いったいいつまでここに居座るつもりだ」
「特に期限を設けてはいないのですけど」
 ベジータはどうやら、わたしがここにいるのが気に食わないらしい。ビルスさまの破壊行為のトリガーになりえるのだから、彼が神経をとがらせるのは、しかたのないことだ。破壊神という脅威に対し、彼がまっとうに警戒していることが、いとおしくすらある。
 彼は肩をいからせて、わたしにこう言った。
「この際だから言っておく。貴様がここにいるせいで、地球が破壊されるかもしれんのだ。料理の鍛錬など、地球でもできるだろう。もめごとに巻き込まれたくなければ、さっさと帰ることだな」
 ベジータは、地球を危険に晒したくないだけだ。わたしの敵ではない。
 でも、こんなふうに乱暴な言い方をされると、ちょっと腹が立ってしまう。
 子どもっぽいわたしは、むっとして言い返した。
「お言葉ですけど、ベジータさんの鍛錬だって、地球でできるのではないのですか? わたしよりも、おふたりのほうがよっぽどビルスさまの機嫌を損ねていると思いますが……」
 わたしは、ブルマとは親しいものの、ブルマのパートナーと初めて顔を合わせたのは、つい最近だ。
 男性との交流経験がすくないせいもあり、距離の取り方がいまいちわからない。
 ただ、弱い態度で接していると、言いなりにならざるをえないということだけは自然と察している。
 だからこそ、サイヤ人たちの前では、自分の気持ちをはっきり言うようにしている。
 今回も、そうするつもりだ。
「確かに、ビルスさまの機嫌をとることにかけては、貴様の方が上かもな。だが、だからこそ危険なこともある」
「そうかもしれませんね」
 わたしのあいまいな返答に、ベジータはイライラしているようだった。
「貴様、ほんとうにわかっているのか。自分の星が滅ぼされても、平然と料理するつもりか」
「わたしは、ビルスさまを信じていますから……そうはならないと、思っていますから」
「甘いな。どこまでも甘い」
 ベジータはそう吐き捨てる。
 その甘さが、戦闘に生きるものとそうでないものの、決定的な差なのかもしれない。わたしは、戦いにリアリティを感じられない。ビルスさまと過ごして、サイヤ人に出会ってもなお、超人じみた戦闘が、おとぎ話の一部にしか思えないのだ。
「でも、ベジータさんだって、ビルスさまのことを信じているからこそ、ここで修業しているのでは?」
 わたしの指摘を聞いて、ベジータは嫌そうな顔をした。
「あのお方は気まぐれだ。とても信じられはしない。だが、おれはできるかぎり、破壊神をコントロールしたい。おれがいるあいだは、地球を簡単に破壊させはしない。それだけだ」

――あのお方は気まぐれだ。とても信じられはしない。

 彼のその一言が、わたし自身の本心のように思えて、心が震えた。
 わたしは、ビルスさまのことが好きだ。ウイスのことも気に入っている。しかし、その一方で、彼らを信じてはいないのかもしれない。神と人とは、水と油のように、どうやってもまじわらないものなのだろうと思うことがまだある。
 好きだ、という気持ちだけでは、どうにもならないこともあるのだ。
 住む世界が違ういきもの。
 次元が違う、神と人の生き方。
「そんなふうに泣いたって、おれの意見は変わらない。……きょうのところは、引きあげさせてもらうがな」
 ベジータの言葉で、自分が泣いていることに気がついた。同情を引きたかったわけではないし、悲しかったわけでもない。ただ、自然と涙が出てきてしまったのだ。
 神さまはとても遠い、という事実に心をとらわれたのかもしれない。
 涙をぬぐって顔をあげると、すでにベジータはいなかった。
「ビルスさまだったら、なんて言うのかな、こんなとき……」
 わたしがここにいるのは、宇宙一の料理人になりたいという野心のため。さまざまな食材を使うことができるキッチンは、わたしにとって最上の修業場だ。
 ベジータがここにいるのも、似たような理由なのではないのだろうか。
 わたしは、わたし自身のわがままのために、ここにいるのだろうか。
 わたしがここにいることは、間違っているだろうか。
 地球に帰ったほうがいいのだろうか。
 わたしはこの先、地球を破壊するトリガーとなるだろうか。
 ベジータの言うことは正しい。正しいけれど、どうしても、納得ができない。
 答えは出ない。
 ただ、涙だけがまたあふれそうになっていた。
 孤独な修業場では、たびたびこういうことが起きる。ビルスさまやサイヤ人たちとどれほど仲良くなろうとも、キッチンに戻れば、わたしはひとりきりだ。ひとりきりのときに、心がなにかに囚われてしまったなら……ぬけ出すのは容易ではない。
 
 こんなときにかぎって、ビルスさまはキッチンには現れなかった。
 いつもさりげなくわたしを救ってくれるウイスも、きょうはいない。
 心細い気持ちは、料理にぶつけるしかなかった。わたしとまともに会話してくれるのは、いつだって調理場だけなのかもしれない。
 結果として、わたしらしくない料理ができあがってしまった。
 まずいわけではないが、どうも普段とは味が違うようだ。
 料理を出さないわけにもいかないので、食卓にはそれを出してしまった。
 ……罪悪感に似たものを抱きながら。

 それを食べたビルスさまは、ふしぎそうに首を傾げた。
「きょうのごはん、あまりおいしくないね。なにかあった?」
「なにもありません。……なにもないから、寂しいのかもしれません」
 わたしの返答を聞いた神さまは、それ以上はなにも追求しないで、食べ終わった皿をつきだした。
「おかわり、くれる?」
「おいしくないのでしょう? おかわりは、いらないのでは?」
 いじけたわたしの声を聞いて、ビルスさまはむっとしたようだった。
「きょうは、あまりおいしくないごはんを食べたい気分なんだ。はやく持ってきて」
 わたしよりもずっとずっと長く生きている彼は、わたしの気持ちを察して、気を使ってくれていた。すくなくとも、わたしはそう感じた。
「はい……すぐに持ってまいります」
 キッチンで料理を皿に盛りながら思う。わたしはなにをしているんだろう。わたしの為すべきことは、最上の料理を、彼らにふるまうことだ。なのに、その責務を放置してまで、物思いにふけってしまった。これでは、料理人失格だ。
 きょうのところは、罪の意識に満ちた料理を彼に出そう。しかし、あしたからは元通り、すべての力を費やして、料理を作らなくては。それが、ビルスさまの気まぐれなやさしさにむくいるために、わたしができる唯一のことではないか。
 そう思い直して、調理場を出た。
「ビルスさま、どうぞ」
 料理を差し出すとき、相手の目を見なくてはならない。いつもそう思っている。目をそらしてしまったら、料理に自信がないということになってしまうからだ。しかし、さすがに今回は、彼の目を見るのが怖かった。
 わたしの瞳の奥まで覗きこむような表情で、彼は口の端をつりあげてにこにこ笑っていた。
「迷いのある目だね。しかし、まだ負けてはいない」
 その言葉は、わたしの奥の奥まで届いて、勇気に変わる。
 こほん、と咳払いして、神さまはこう宣告した。
「ひとつだけ言っておく。今、ぼくはきみの料理がとても気に入っているんだ。そのうち飽きてしまうかもしれないけどね」
「は、はい」
 緊張してこわばるわたしに、彼はこう言った。
「そんなきみが急に地球に帰ったりしたら、ぼくは暴れるからね。サイヤ人たちにもそう言っておくから、そのつもりで」
「あ、ありがとうございます、ビルスさま!」

 神さまはいつだって気まぐれである。
 しかし、そう思う人間の側だって、実は気まぐれだったりする。
 気まぐれに悩んだり、悲しくなったり――かと思えば、急に楽しくなったり。
 彼と同じように気まぐれなわたしは、いつか彼のほんとうの思いにたどり着けるだろうか。
 足りない寿命を必死に活用して、彼の心に触れてみたいと、きょうのわたしは思うのだった。


20160603
 
 
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