彼が破壊したものはなんだったか


 未来から、トランクスと名乗る青年がやってきたとき、わたしはビルスさまに同行していた。タイムマシンだとか未来の危機だとか、そんなことは料理人のわたしには縁のないことだった。ビルスさまが魚肉ソーセージに舌鼓を打っているのを見ながら、ビルスさまと一緒にいるかぎり、わたしは地球の危機を肌で感じることはないのだろう、と思った。ビルスさまという方は、いつだってのんきなのだ。こちらまでのんきになってしまうくらい、破壊的にのんきなのだった。
 ただ、この少しあと、ブルマと話した内容だけは、心に残っている。
「魚肉ソーセージやカップ麺をありがたがる神様なんて、ぜんぜんグルメじゃないわよね……プリンも大好きだし、お子さま舌なのよね」
 と言って、ブルマはこちらを見た。ビルスさまの悪口が言いたいわけではないだろう。彼女は、そんな無意味なことは言わない。案の定、本題はこの次に発せられた言葉だった。
「そんな神さまのところで、あなたがいつまでも修行しているのが、わたしは不思議なんだけど。どうしてかしら」
 ……それは、自分でも、不思議だった。わたしは、遠くを見ながら語り出す。
「ビルスさまといると、驚かされることばかりです。カップ麺をあんなにおいしそうに食べられたら、たしかに、心折れますよ。料理人として、悔しいと思うこともありました」
「じゃあ、なぜ?」
 何度も考えたことだ。わたしだって、自分のわがままのためだけに、ここにいるわけではない。ビルスさまへの個人的な好意もないことはないのだけれど、それ以前に、わたしには知りたいことがある。
「カップ麺や魚肉ソーセージが料理ではないと感じるのは、われわれが地球人だからですよね。料理の定義ってなんでしょう。キッチンを使うこと? 時間をかけること? わたしには、はっきりと定義できません」
 常識というのは、当然のようにそこにあるくせに、どこかあいまいだ。そのあいまいさのなかに、危うさを感じる。
「わたしたちは、地球の常識にとらわれているだけかもしれません。ビルスさまのなかに、食料を差別化するための常識はないんです。魚肉ソーセージも、カップ麺も、プリンも、神の前では等しく、"地球人の叡智の結晶"です。神さまにとって、そこには何の違いもないんでしょう。すでにある常識に縛られない。料理に貴賎をつくらない。それって、料理人に必要な感覚だと思いませんか?」
 その感覚を学ぶために、わたしはビルスさまのところで勉強しているのだ、と思う。
 もちろん、レアな食材を使いたいとか、いつ死ぬかわからないような状況で学びたいとか、そういう理由もあるのだけれど。
 それを聞いたブルマは、ぽつりと言った。
「あなた、重症ね。重篤な恋だわ」
「恋? ビルスさまにですか?」
 ブルマは首を横に振って、否定の意を示した。
「いいえ。料理に恋して、恋して、恋し尽くしてるの。そういうの、わたしはわかるけど。大変だと思うわよ」
 料理に恋を。
 当たり前のように料理が好きだったわたしとしては、ピンとこない話だった。
 当たり前すぎて、意識の外にあることなのかもしれない。
「どうして? どうして、大変なんですか」
「それは自分で考えなさい。考えなくても、たぶん、そのうちにわかると思うけど」
 わたしはビルスさまの顔を思い浮かべた。
 そのあと、ウイスや予言魚さん、孫悟空やベジータの顔も思い浮かべてみた。
 わたしは確かに、料理が好きだ。他のことなんて、考えたこともなかった。
 しかし、ブルマはそれを大変なことだという。
 どうしてだろう?
『――きみは、複雑な人だな』
 ビルスさまにそう言われたのを、急に思い出す。
 複雑とはなんだろう? わたしは常に単純に生きてきたのではないか。
 しかし最近、急激に、複雑さを得たような気がする。思い悩むことも増えた。
――その複雑さの本質とは、なんだ?
 ビルスさま。あなたなら、教えてくださいますか?
 なんでも真っ先に見ぬいてしまう、彼の意見が聞きたくなる。
 その意見が聞きたくて、わざと悩んでいるような気すらする。
 自分の気持ちがわからない。不可解だ。料理以外の悩みが、わたしのなかに流れこんできている気がする。
 いつのまにか、目的と手段が入れ替わりつつある。目的とはなにか、手段とはなにか。それはよくわからないけれども――ふと、そんな予感がした。


20160802  
 
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