わたしの愛した、からっぽなかみさま
ザマスが落ち着いた表情で紅茶を淹れている。その隣で、ゴクウブラックと呼ばれる男がくつろいでいた。漂うのは優しい紅茶の香りだけだし、誰も余計な音を立てない。のどかな光景だ。しかし、彼らがこれからしようとしていることを考えると、そののどかさは非常に危ういものであると理解できる。
ザマス、そしてゴクウブラック。
このふたりは、まちがいなく罪人である。
手足をがんじがらめに縛られ、床に転がされたわたしの前で、優雅に紅茶なんか飲んでいるのだから。
「どうしました?」
柔和な調子でザマスが言って、わたしにほほえみかけた。わたしは手足を拘束された状態であるが、できるだけ気丈に笑みつつ、
「どうしたもこうしたもないですよ。今にも殺されそうだから、ヒヤヒヤしているんです」
と返した。
「そんなに簡単に殺しやしませんよ。利用価値があるかもしれないんですから」
ザマスはそう言った。わたしにどんな利用価値があるのか知らないが、ろくなものでないことはたしかだ。今のうちに舌を噛んで死んでおくべきかもしれない。……そんな勇気は、わたしにはないけれど。
「人間ゼロ計画、でしたっけ。最高のネーミングセンスですね」
開き直って、そう挑発してみた。どうせ殺されるのだ、多少やぶれかぶれになってもかまわないだろう。
「お褒めにあずかり光栄ですよ」
ザマスはにこにこしていた。皮肉というものが通じないらしい。
そのとき、わたしは命乞いの方法を考えていた。彼の仲間にしてほしいとか、なんでもいうことを聞くとか……そんなフレーズが頭のなかをぐるぐるまわっていた。結局、わたしはこう言った。
「その"人間ゼロ計画"……わたしにも手伝わせていただけませんか?」
心の伴わない、単なる命乞いだった。効き目があるとも思えなかった。
そのとき、ザマスとブラックが、同時に、にい……と嫌な笑いをした。妙に気の合った動きだ。まるで、双子かなにかであるような。
その表情を見たとき、自分が奈落へと転がり落ちていく音が聞こえた気がした。
「いいでしょう。あなたを利用するだけして、捨てることにしますよ」
口を裂くようにして笑った彼の邪悪な顔を見て、なぜかときめいてしまった。
そのとき、わたしも彼らと同じく、罪人となったのだと思う。
圧倒的な力を持つがゆえに、他人の助けというものを必要としていないザマスとブラックであったが、やはり寂しさはあったようだ。わたしという信者を得られて、ふたりはどこかうれしそうだった。
そりゃあ、そうかもしれない。
神さまなのだから。
誰かに信じてもらえるからこそ、神さまとして存在している意味があるというものだ。
たとえ信者が、憎い人間であったとしてもだ。
「ザマスさま――寂しいのではありませんか? 誰もあなたの理想に賛同しないから」
ある日、彼の隣でそう言った。
「うるさいぞ、人間。きさまにそんなことを言われる筋合いはないというものだ。今すぐ殺してもいいのだぞ」
殺気立った目で睨みつけられたわたしは、ふっとほほえんだ。
「――でも、わたしはザマスさまのことを信仰していますよ」
彼は戸惑った様子で、うつくしい手をわたしのほうへのばし、首をつかんだ。細腕のわりに力はとても強くて、首がへし折れそうだった。
「人間はひとり残らず滅ぶ。それなのに、わたしを信仰する? それできさまに、なんの得があるのだ?」
最初は、ただの命乞いだった。
協力すると言えば、彼の心が揺らぐと思った。
殺されずに済む。
戦う力のないわたしには、そうするしかなかった。
でも――今は。
首を絞められながらなので、うまく声が出せないな。そんなことをのんきに思いつつ、わたしは言う。
「ザマスさまの理想が好きなのですよ。人間が滅ぶところを見てみたいんです」
それは、現在のわたしの本音だった。どうしてそんなことを思うようになったのだか、自分でもわからない。
もともと人間なんて好きではなかったのだろうか。それはあるかもしれない。彼の出現によって、内なるわたしの本音が目覚めた。なんて考えてみれば、辻褄が合う。
あとは、もしかすると、彼のことが好きなのかもしれない。
彼が、とてもむなしくてかなしい神さまであることを、わたしは知ってしまった。
そんな彼の隣で、彼に必要とされたい。
いつのまにか、そう思っていた。
人間が滅ぶところを見たい――人間がいなくなれば、きっと彼は喜ぶに決まっているから。
なんというくだらない理由だろう。許されるはずがない。
人間として、もっとも愚かな選択をした。
これで、わたしも罪人だ。彼とおそろい。
「難儀な女だな、人間。わたしには、きさまの気持ちがまったくわからない」
でも、わたしはこの人の気持ちを知っている。
誰かに求められたいのに、誰にも求められない。
言葉を聞いてほしいのに、誰にも聞いてもらえない。
そのむなしさを。焦燥を。彼のなかにくすぶる無念を、わたしはぜんぶ知っている。
「わたし、あなたのことが好きなんですよ。あなたの理想も、顔も、声も、すべてが好きなんです。どうしてなのだか自分でもわからないけれど」
あなたがむなしい人だと、わたしは知っている。
あなたがまちがった人だということも、わかっている。
でも、それでも。
あなたがいれば、わたしは幸せになることができる。
むなしい正義を支えることがいちばんの幸せだと気づいてしまった。
むなしい彼のそばにいることができるのは、同じようにむなしいわたしだけだ。
中身のない恋心に身を委ねる、わたしだけ。
「ザマスさま。わたし、人間なんていなくなればいいって思います。だから、お手伝いをさせてください。なんでもします」
人間なんていなくなればいい。もちろん、わたしもふくめて。
人間を裏切って、彼に味方をする愚かなわたしに、罰を。
いっときの感情に流されるわたしは、死なねばならない。彼のきれいな手で、破壊されてしまいたい。
「すべて終わったら、わたしのことも殺してくださってかまわないです。だから、手伝わせてください」
彼の瞳の奥に光る、狂気に似た強い光がわたしを射抜いた。
彼が正義と呼んでいるその光に、強く惹かれた。
結局のところ、彼を信仰したのはわたしひとりだけだった。
かなしい神さま。
誰にも信じてもらえないなんて、そんなのはもう、神でもなんでもない。
「人間とは、こんなにも愚かなものなのか」
と言いながら、彼はうれしそうだった。すっ、と彼の手がわたしの首から離れる。彼がうれしそうだというだけで、わたしもうれしい。
「よかろう。きさまを使い潰して、すべて終わってから、わたしが直々に殺してやる。だから、それまで、死ぬなよ」
ありがとうございます、とわたしは言った。本心からの言葉だった。
わたしと彼は、手を取り合うようにして、破滅へと突き進んでいった。
「人間は愚かだ」と彼が嘆くたび、「そうですね」とわたしが頷く。
彼の嘆きのひとつひとつを、丁寧に受け取っていく。
その作業に生きがいを感じていた。
彼はいつも最後にこう言うのだ。
「きさまは愚かだな。しかし、その愚かさは有用だ」
彼にとって、なにが有用だったのかはわからない。
ただ、わたしは彼のその言葉を欲していた。
ずっと、ずっと。
初めて恋をした子どものように。
それからの彼は、目標に向かってまっすぐに歩みつづけた。人類をゼロにするためだけに、ふたりの彼は、力を尽くしたのだ。
それをすぐ隣で見ていたわたしは、本気で期待していた。
いとしい彼が人類を打ち倒し、最後にわたしを殺してくれることを。
しかし、実際にはそうはならなかった。
――めちゃくちゃになった世界。ぼろぼろな姿でかろうじて立っているサイヤ人たち。彼らはまぎれもなく勝者だった。どこからどう見ても、正義だった。それがわたしには悔しかった。
では、敗者とは誰か? 悪とは、誰か?
わたしは、瓦礫のなかで崩れ落ち、体を真っ二つに切り裂かれ、今にも消えようとしている敗者に駆け寄る。
ゴクウブラックはすでに彼と合体しており、彼とともに立っているのは、わたしのみとなっていた。
もはや、この人は、わたしを殺してくれることもないのだろう。
彼の体がどんどん消えていく。サイヤ人たちは、わたしを制そうとしたが、かまわずに走った。
「ザマスさま……」
おずおずと彼の名を呼んではみたが、それ以上、なにを言えばいいのかわからなかった。
「やあ、人間……きさまは、このぶざまな結末を予期していたのか?」
「そんなわけ、ありません。わたしは、あなたに勝ってほしかった。誰もいなくなった世界で、あなたに殺してほしかった……」
「きさまはやはり変わっているな。わたしならば、そんなことは、絶対に望まない。殺してほしいなどと……愚かだ」
彼の体はもう半分以上が消えていたが、彼はなぜか、わたしを見据えて愉快そうに笑った。
「なあ、人間……名はなんという?」
そういえば、彼に名前を話したことがなかった。
「なまえです」
「そうか。よい名だと思うぞ、なまえ」
社交辞令のように言った彼の声が、とても不器用な愛の残滓に思えて、目を閉じた。
きっと、目を開けたらもう彼はいないのだ。この世のどこにもいない。もう出会うこともない。
彼のむなしい正義の結末を見たくなくて、いつまでも目を閉じたまま、そこに立ち尽くしていた。背後からわたしを呼んでいるサイヤ人たちの声は聞こえず、ただただ、彼に初めて呼ばれた名前だけが、耳の奥で心地よく響いていた。まるで、神さまが最期に与えた呪いみたいに。
人類は彼の蛮行に絶望していただろうが、わたしは彼のことを希望だと思っていた。からっぽでなにも持っていないわたしに、なにか意味のあるものを与えてくれる、特別な希望だと。しかし、そのあいまいな希望も消え去り、もはやここには、なにもない。
さようなら、わたしの神さま。わたしの恋。世界の破滅を夢見た、乱暴で自己中心的なのに、どこか必死なまなざしが好きでした。手に入らない絶望に手を伸ばしたあなたこそが、皮肉にも、わたしのたったひとつの希望だったのです。からっぽのわたしを残して、あなたは行ってしまわれた。わたしは、もはや一歩も進むことはできないでしょう。ただ、あなたのいた場所に、たたずみつづけるだけなのです。これまでも、これからも、ずっと。
20161207
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