「李さん、そろそろ休憩しませんか」
「……いいでしょう。この山は、なかなか手ごわいですね」

 何度繰り返したかわからないやりとり。いつだって、休息の提案をするのは少女の方だった。おそらく、彼は休息をとろうとはめったに思わないのだろう。少女は、その鍛錬の深さに、恐れ多い気持ちになる。自分は、彼と十歳も違わないはずなのに……彼の境地には至れそうにないな、と思うのだ。

 やはり、彼が祖国で学んだという「無常」という概念になにか関係があるのだろうか。
 彼女は、武道の「技」こそ学んだものの、武道における「心」というものをまるで習得していない。それゆえ、武道においてまず「心」を重視する彼の正義の拳には、勝てない。出会ったときのように、完全に悪や修羅となれば勝てるのかもしれないが、そんな勝ち方をしても仕方がない。自分は、彼の正義に、同じく正義でもって勝ちたいと思うのだ。

 ふたりは、何度目かわからない登山の真っ最中だった。非常に急な崖のような山には、トゲのような突起がたくさん生えており、そこを手がかりや足がかりにして登ることができる。もちろん、一歩でも踏み外すとあの世行きだ。武道における精神集中を最大限に駆使し、ふたりははりつめた心持ちで山を登っている。

「あなたのような娘さんが、登るような場所ではありませんね。他の道を探すべきだったやもしれません」
「いえ、わたしは鍛錬を積みたいので。失敗したら死ぬ、と思うと、いつもよりも精神が研ぎ澄まされるような気がします。とてもよい経験です」
少女が必死に李を慰めると、彼は苦笑した。
なまえさんは、自ら鍛錬を望むのですね。そういった人は、珍しい」
「李さんも、鍛錬を望んでいるのではないのですか」
李は困ったように、
「そうですね。暇さえあれば修業を積み、できるだけ強くなりたいと思いました。正義のためです。しかし、そのような者は、寺にしかいないと思っていたのですよ。ましてや、あなたのような年端もいかぬ娘さんが……」
少女は、娘さんという呼び名を聞き、すこしむっとした顔になる。
「いつまでも娘さんなどと呼ばないでください。わたしは、お師匠の武道を受け継いで、誰よりも強い拳法家になりたいのです。たとえ子どもでも、女性でも、拳法さえあれば強くなれるのだと、お師匠は教えてくれました」
李は丁寧に謝った。山登りの最中でなければ、華麗な抱拳礼が見られただろう。
「そのとおりですね、あなたに失礼だったかもしれません。ひとりの拳法家としてのあなたと向き合いたいと思っているというのに、どうしても、あなたが女性であることに慣れぬのです」
少女は、なんだか照れくさくなって、話すのをやめた。自分はまだ幼い。ゆえに、女性、という響きに、違和感を感じる。自分はまだ「子ども」だ。「娘さん」と呼ばれてむっとするのも、女性扱いをされているからというよりも、子どもとしてあしらわれている気がするからかもしれない。そんな感じ方をすることこそが、子どもの証だというのに。

「あなたは、自分が子どもであることに引け目を感じているかもしれませんが」
と、心のなかを読んだように李が言った。少女は、不意をつかれて、何も言えなくなってしまった。李はつづける。
「それは、わたしも同じなのです。わたしだって、まだ年端もいかぬ青二才には違いない。大僧正はわたしにこの役目を任せてくださいましたが……すこしくらいは、不安なのですよ」
少女は、彼が初めて心中を吐露してくれたような気がして、微笑んだ。
「李さんは立派な大人です……すくなくとも、わたしはそう思っています」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、励みになるというものです」
もしかすると、こうやって少女を微笑ませるために、彼はあえて自らを青二才と称したのだろうか。そんな可能性に思い当たり、やはり彼のほうが自分よりも大人ではないかと、少女は内心で苦笑したのだった。


こどもごっこ
(不安を分け合えるのならば、子どもであるのも悪くはない)

20141125