きょうも、わたしと李は街道をゆく。
晴天のもとであるのにもかかわらず、わたしのこころは曇っている。
高嶺に出会ったあの日から、どうも彼の様子がおかしいように思う。
人斬りの手がかりをつかんだのだろうか。
尋ねてみたいが、新しいことを知るのがおそろしくもある。
――どうか、幸せな旅を。
高嶺響。赤くしとやかな女。
あの日に、あの場所の近くで李が手がかりをつかんだとしたなら、近くにいた高嶺も人斬りのことを知っているかもしれない。
そのことを思うと、どうもこころがざわざわして落ち着かなくなるのだ。
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今でも、無我夢中で敵を倒していると、彼と初めて出会った日のことを思い出す。
彼は、このくにに災いをもたらす存在を倒すために、海を渡ってきたのだという。
最初、わたしはそんな彼と敵対した。理由はここで述べるには少々ややこしいので省略するが、彼の正義とわたしの正義が相容れないものであったから……とだけ言っておこう。
接戦だった。彼の最後の一撃である紅い炎が、わたしの頬をすっとかすめた。次の瞬間、わたしの渾身の一撃が、彼の腹に突き刺さった。手加減の一切ない、命がけの攻撃だ。
ひどい音がして、彼の体が地にたたきつけられた。彼の使っていた扇も、手から離れてひらひらと落ちる。両者とも、もはや次の一撃を繰り出す力は残っていなかった。限りなく相打ちに近い勝利だったといえる。
拳を交え、語り合い、そして互いの正義を確認し合ったわたしたちは、現在はともに旅をしている。わたしの倒したい敵と、彼の倒すべき暗黒。そのふたつはほんとうは同じようなものなのかもしれない、という予感がある。どんな敵が相手でも、ふたりで協力すれば、倒せるだろう。近頃は、そう信じられるようになってきた。
ただ、彼と旅をしながら、襲い来る強者たちと戦っているとき、やはり、彼とのあの死闘を思い出さずにはいられないのだ。わたしの武術は、不殺を前提としているものではない。あの日、全力で戦ったわたしは、運が悪ければ彼を殺していたかもしれない。実際、彼は地面に倒れたまま、なかなか起き上がらず、虫の息だった。
そのとき、わたしは彼が死んだと思った。「わたしが殺した」という事実が心に刺さった。
やさしい彼はもう、そのことは気にしていないという。
この幕末の世では、人が人を殺すことは珍しいことではない。でも、彼と一緒に旅をしていると、どうしても「あのときの自分はひどいことをした」と考えてしまう。彼はとても善良で、絵に描いたような正義の味方だ。悪人ではない。互いの信条ゆえにぶつからざるをえなかったとはいえ、あの日、わたしはとんでもない殺生をしそうになっていた。それだけは確かだ。
「どうかしましたか? なまえ 」
「……いえ。考えごとをしていただけです」
黙りこんだわたしに、彼は屈託なく語りかけてくる。彼の声で名を呼ばれると、なんだかくすぐったい。
彼の正義は、おそらく最後まで折れない。彼は心身ともに強い男だからだ。
きっと、わたしの正義はそこまで強くはない。戦う彼の繰り出す炎を見て、わたしは自分の心の弱さを確認する。あの日、人斬りになり下がりかけた自分を、もう一度見つめる。
今はただ、彼が羨ましい。彼がまっすぐに歩んでいく道すがら、わたしは自分のあさましさを思い知らされている。
光があるそばには必ず陰ができる。彼が光ならば、そのそばに必ず闇がある。もしかすると、その闇とは……。
闇、ということばが浮かんだとき、わたしはなぜか高嶺の顔を思い出す。
高嶺は陰のある女性だが、魅力的だった。彼女ともっと話がしたい。今でもそう思っている。
いつだったか、李は言っていた。誰でも、人斬りとなる可能性はある、と。だからこそ心を鍛える必要がある。闇はすぐそばにあるのだから。
光のそばに付き従う闇のなかには、なんらかの魅惑が潜んでいるのかもしれない。
そんな魅惑に出会ったとき、そちらへ歩み寄らずにいられるだろうか。
そんなことを考えて、空を仰いだ。
照りつける日光で、わたしと彼の後ろには濃い影が生まれていた。
うらぶれた光
(その光は紅く暗く)
(その光は紅く暗く)
20160119