再会は別れとともに
エジプトに行くんだ、と花京院典明は言った。どこか誇らしそうな、男らしい顔つきだったから、どきりとしてしまった。いつもの、優しくてやわらかな印象の彼ではなかった。でも、こういう雄々しい顔をしているほうが、たぶんほんとうの彼なのだと思う。
きょうは、彼とともに喫茶店に来ている。彼はとても急いでいるようで、紅茶を一杯飲んだら、すぐに出立しなければいけない、と言った。わたしは珈琲、彼は紅茶。ちょっと強がってブラックの珈琲を頼んでしまったのだけれど、はやくも後悔している。
「どうして、エジプトに?」
と問いかけても、彼はなにも答えなかった。わたしには言いたくないということらしい。言いたくないのならば、行くということも言わなければいいのに……。寂しく思いつつ、目の前にある珈琲を飲み干した。珈琲はとても苦くて、喉が焼けそうになる。一拍置いて、精一杯の明るい声を出してみた。
「エジプトかあ。どんな国なのか、いまいちわからないけど……おみやげ買ってきてね?」
「ああ。とびきりいいやつを買ってくるよ」
「呪いの人形はやめてね?」
と冗談を言って、笑みをつくってみた。
「はは。たしかに、呪いの人形も売っているかもな。エジプトなら」
彼は軽やかに笑って、窓の外を見る。外は快晴。こうして喫茶店の窓辺で会話するには、うってつけの日だった。
「きみと出会ったのも、こんな日だったな」
と彼は外を見たままで言い、紅茶を一口飲んだ。わたしとは違い、上品な飲み方だ。こういう一挙一動がとても魅力的で、目が離せなくなる。失礼なのは承知で、見入ってしまうのだ。
「そうだね」
花京院典明がわたしの前からいなくなったのは、つい先日のことだった。彼は突然、転校してしまった。転校の前日には、ちょっとだけあいさつを交わしはしたものの、時間がなく、ほとんど話せなかった。
彼は、他人に心を開かない人だった。「愛想が悪い」とか「人見知りだ」とか、いろんな悪口が彼の周囲を飛び交っていた。でも、そんな彼にはなにか、大きな秘密があるような気がしていた。ただ愛想が悪くて人見知りなのではなくて、もっと深くて重い理由があるのではないかと、ずっと思っていた。
そんなミステリアスな彼に惹かれたのかもしれない。いつのまにか、彼を喫茶店に誘うようになっていた。最初は拒否していた彼だったけれど、何度も話すうちに、遊びに来てくれるようになった。転校するまでの短いあいだに、随分と打ち解けたような気がする。ゲームの話や、学校の話、テレビで見たニュースの話など、彼とさまざまな話をしながら、店に入り浸ったものだ。彼と話していると、時間が飛ぶように過ぎていった。どんなにどうでもいい話題でも、彼がいれば楽しく思えた。
結局は、別れの言葉もほとんど言わずに転校してしまったのだから、彼はわたしに対して、心を開いてくれてはいないのだろう。でも、わたしの方は、彼のことをよくできた友だちくらいには思っていた。連絡してもいいのかわからなかっただけで、お互いの連絡先も一応は知っていた。
わたしは、自分に別れをちゃんと言ってくれなかった彼を恨んでいたのかもしれない。寂しかったのかもしれない。だからこそ、今回、わたしのところへふたたび彼がやってきてくれたのは、とてもうれしい。エジプトへ行くという報告のみで、詳しいことはなにも教えてくれない彼だけれど――やっぱり、優しいのだと思う。
「なあ、みょうじさん」
「なに?」
彼はとても深刻な顔をしていた。深刻だけど、ふしぎと晴れやかな表情だ。
「きみは……どうしてぼくに声をかけたんだ?」
「どうしてって……」
さて、どうしてだろう。いまさら、そんなことを聞かれても、思い出せない。あえて理由を挙げるとするならば、やはり彼の秘密めいたところに惹かれたのだろう。しかし、実際のところ、わたしはどうして彼に対し、あんなにも必死にアプローチをしたのだろう。教室の隅で、いつもひとりで、ちょっとだけ憂鬱な目をした花京院典明。彼に接触しようと思った理由は、なんだったんだろう。
「あなたが、重い秘密をひとりで抱えているような気がしたから」
結局、そんなふうに答えた。
そうか、と軽く頷いて、彼はわたしにほほえみかけた。
「そのことだけれど、ぼくの秘密は、もうひとりで抱えるものではなくなったんだ」
「え?」
一瞬、わたしにそれを打ち明けてくれるのだろうか、と期待してしまった。
「ぼくには仲間ができた。同じ秘密と目的を持った仲間だ」
「そっか。転校した先で、友だちができたんだね?」
「まあ、そんなところだ」
彼は唇の端を持ち上げて、うれしそうに笑っていた。
なんだ、わざわざ呼び出したのは、友だちができたからだったのか……そんなふうに、わたしは結論づけた。
口下手な彼が、ひとつひとつ順番に報告してくれるのが、とてもほほえましかった。
「よかった、あなたが幸せそうで。転校していったとき、すごく寂しかったけど……いまは、なんだか別人みたいに、大きく見えるかも」
「ぼく、そんなに変わったかな?」
「変わったよ。悪い憑き物が落ちたみたい」
「そうか」
彼はなにか考えるような素振りを見せ、しばらく沈黙してから、こう言った。
「ぼくは、これからエジプトへ行く。とても重要な用事があるのでね。その用事が終わったら……きみに言いたいことがあるんだ」
「言いたいこと?」
「ああ。だから、帰ってきたら、またこの喫茶店で会ってくれないかな」
「うん、いいよ。なんだろう、すごくどきどきしちゃうかも」
言いたいことというのは、いったいなんだろうか。ずっと抱えつづけている秘密について教えてくれるのかもしれない。エジプト行きや仲間に関する報告という可能性もある。あるいは――ともうひとつの可能性を想像しかけて、やめた。想像というよりも妄想に近い、根拠のない期待をするのはわたしの悪い癖だ。
彼は、帰ってきたら打ち明けてくれると約束したのだ。ならば、帰ってくるまで待っていようではないか。
「楽しみだなあ。おみやげも、花京院くんの話も」
「期待されると、あとでがっかりされそうで怖いけどね」
「ふふ。でも、期待しておくよ。エジプト……気をつけて行ってきてね」
「ありがとう。みょうじさん、帰ってきたら、また会おう」
喫茶店から出た彼は、戦士のように背をぴんと伸ばして、別れの言葉を告げた。教室の隅で、隠れるような人生を送っていた彼はもうどこにもいない。彼が成長した瞬間に立ち会えなかったのは残念だけれど、彼が弱い自分の殻を脱ぎ捨てて歩きだしていたのは、やっぱりうれしくてしょうがなかった。もう、気弱な彼の姿を教室で追いつづけることは二度とない。彼は、わたしに見えないところで、おとなになっていた。
立ち去っていく後ろ姿を見ながら、彼のことが好きなのかもしれない、と自然に思った。彼がいったい、なにを打ち明けてくれるつもりなのかはわからないけれど――わたしが未来の彼に打ち明けるのは、もしかすると恋の物語なのかもしれなかった。
20170302
エジプト行きの前になにかするって、タイムスケジュール的にかなり厳しいな!
と思いつつ、強引にねじこんでみた出立前の妄想でした。
エジプトへ行く前の彼が、スタンド使い以外に完全に心を開くことはないのだろうな~と思いつつ、でもちょっとくらいは仲のいい存在がいたらいいなあ……みたいな話です。