Scene-05
「億泰くんは、将来の夢ってありますか?」
表情の読めない顔で、少女がそう問いかけてきたことがある。
「かわいい女の子と結婚して、でっけえ家に住みてえなあ」
そのときは、勢いでそんなことを言ってしまった。本気ではなかったと思う。半分以上、冗談だった。父の問題もあるし、この先、スタンド使いとの闘いが勃発しないとも限らない。現実はそこまで甘くない。
それを聞いて、彼女がふっと寂しそうに笑った。
「そっか。億泰くんなら、きっといいお嫁さんを見つけられると思います」
今にして思えば――なんと残酷な答えだっただろうか。
彼女は結婚することなんてない。戸籍も肉体もない。
ただ、魂がそこにあるだけなのだから……
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「そんなに息切らして、どうしたんですか?」
いつもの畑の前で、彼女がふしぎそうに首を傾げる。そんな彼女になにを言えばいいのか、わからなくなった。
しかし、真剣な億泰のまなざしを見ただけで、彼女はなにかを察してしまったようだった。
「……もしかして、知ってしまいましたか。わたしがもういないってこと」
「もういないなんてこと、ねえよ! ここにいるだろうが! おれと、話してるじゃねえか!」
むきになって否定してしまう。
『もういない』なんて言われると、彼女のことを好きな自分の気持ちすら迷子になってしまいそうだ。
「……億泰くんは優しい。そんな億泰くんだから、すごく好きです」
自然に告白された億泰は、負の感情を振り切るように首を横に振った。
待ち望んでいたはずの告白なのに、こんな状態では受け取ることすらできない。
激情にまかせて叫んでしまう。
「優しくなんか、ねえよ! なあ、おまえを殺したやつの正体を知りてえか?」
少女は黙したまま、なにも答えない。億泰の声は緊張で震えていた。
「杜王町には、おまえのほかにも、殺人鬼に殺された女の子の幽霊がいた。その子は、殺人鬼が死んだのを見届けて、天に上っていったぜ。おまえも、自分を殺したやつが死んだのを見届けることができたら……成仏するのか?」
――虹村形兆の末路を知れば、ここから消えるのか。
――吉良吉影の末路を知った杉本鈴美と同じように……。
――おれを置いて、消えるのか。
「わたしが億泰くんに頼みごとをしたのは、どうしてだと思いますか?」
質問に対して、別の質問で返された。
億泰は困惑の表情で、彼女を見返す。彼女の小さな手は、自分の服の裾をにぎりしめていた。
「……似ていたから。わたしを殺した人に……」
「似ているのは当たり前だ。そいつは、おれのアニキだよ」
「そっか。やっぱり、そうなんですね……」
それだけ言って少女は笑う。ずっと抱えていた疑問だったのだろう。すっきりしたような笑顔だ。
ふたりのあいだを吹き抜ける風はなまぬるく、重たかった。
億泰は頭を下げた。
「謝っても謝りきれねえのはわかってる。アニキは取り返しがつかないことをした。おれも、みょうじに呪い殺されても文句言えねえって本気で思うよ」
少女はおかしそうに笑む。
あきれているみたいな、いとおしさを含んだ笑みだった。
「この話には、つづきがあるんです。たしかに、最初は『似ていたから』声をかけた。ちょっとでも、あの人がだれなのか知りたかったから。でも――今はもうどうでもいいんです。億泰くんと話すことそのものが楽しいから。億泰くんがだれに似ていても関係ない」
「おれと話すのが、楽しい……?」
「わたしを殺した人に興味がないって言ったら、嘘になるかもしれません。でも、その人がどうなっても、わたしは気にはしない。億泰くんの顔を見ていたら、なんとなくわかっちゃいますし。そんなことよりも、億泰くんと話す日常のほうがずっと大事です。それに……」
彼女は億泰をまっすぐに見て、透き通った声でこう言った。
「あなたはわたしのために泣いてくれた。それだけで、優しい人だってわかります」
そう言われてから、自分が涙を流していることに気がついた。
いつだったか、トニオの店で思い切り泣いたことを思い出すくらいの、滂沱の涙だ。
「億泰くん、ありがとう。もういないわたしのために泣いてくれて」
まるで見計らったように、急にさわやかな風が吹いた。
道端の花がさらさらと揺れ、淀んでいたふたりの空気が色づいて輝きだす。
億泰は思い出す。
彼女と話した、他愛のない日常の物語。
彼女と一緒に眺めた杜王町の景色。
いつも同じ景色ではあったけれど、ふたりで見るといつもの町ではないかのように思えた。
素敵な町だと心から思えた。
恋をしていたから。
「わたし、ずっと寂しかった。ひとりでここに立っているのに、だれも見てくれなかったんです。自分はもういないんだってこと、毎日噛みしめてた。わたしを殺した人を恨んでたわけじゃなくて、ただ孤独がつらかったんです。だから、億泰くんに出会えてほんとうによかった。最初に話したのが優しいあなたで、よかった」
彼女は控えめにそう付け加えた。彼女は自分の運命を恨んでいない。
すべて自然なものとして受け容れている。
虹村形兆への憎しみなんて、これっぽっちも抱いてはいなかった。
これもまた『黄金の精神』と呼べるのだろうか……億泰は自分に問いかけてみたが、よくわからなかった。彼女が抱いているものは、黄金というよりは、透明なクリスタルのような気高さかもしれない。
「……いつか、成仏しちまうのか?」
「そうかもしれません。きっと、そういう決まりなんです。いつかはわからないけど、そのうち空へ行かなきゃいけない日が来る」
「奇遇だな。おれもそうだ」
「え?」
「いつか死んで、魂が空に飛んでいく。それはおれだって一緒なんだ。だから、どっちかがいなくなる日までは、こうやってしゃべろうぜ」
面食らったように黙ってから、ぱっと笑顔になる彼女の姿が、見ものだった。
「ありがと、億泰くん。そんな億泰くんのこと、やっぱり好きです」
「おれも好きだぜ、なまえ」
幽霊と人間との恋なんて、不毛だとみなが言うかもしれない。
しかし、恋なんてもともと不毛なものではないか、と億泰は思う。
もしも東方仗助や広瀬康一にやめろと言われたとしても、億泰は自分を曲げないつもりだ。
つかみとった大切なものを手放すなんて、絶対にしたくない。
一度、大切なものを手放してしまった自分だからこそ、今度こそはちゃんとつかんでいたい。
――人間は成長してこそ生きる価値がある。
今になってようやく、兄の言葉の意味がちゃんとわかったような気がした。
「初めて、名前で呼んでくれましたね」
「これからはずっと名前で呼んでやるよ」
「顔、まっかですよ?」
「う、うるせえ! おれはもともとこういう顔だ!」
杜王町の春は始まったばかりだ。
青い空を再びあおぎながら、あとで仗助にこのことを伝えに行こうと、億泰は思った。
20170617