あまのじゃく
賭場で重要なものといえば、やはり運と度胸である。その次にイカサマの才能。そして、ディーラーをまるめこむ才能。彼はこれらのものすべてを持っているからこそ、きょうもバクチで荒稼ぎをしている。
「きょうも頼むよ。きみのことは信用している」
ダニエル・J・ダービーはそう言って、わたしに目配せした。彼は戦いを求めるバクチ打ち。わたしはそんな彼のディーラーをつとめている。ディーラーだなんて、カードを配るだけのラクな仕事だと思う向きもあるかもしれない。しかし、そんなことはない。なぜなら、わたしはただのディーラーではなく、天性の詐欺師・ダニエルのディーラーなのだから。
人前で堂々とイカサマをするというのは、精神に負担がかかる行動だ。日常的にイカサマばかりしていると、とても疲れる。一方、命がけでこの仕事をすることに見合う報酬は特にない。
「最初に言っておこう。きみの前任者は殺された。きみも殺されたくなければ、しっかりやってくれ」
初めて出会った日、彼はわたしにそう言った。事実かどうかは不明だが、まったくもって恐ろしい前置きだ。この日以来、わたしはカードをなめらかに配る練習を一日たりとも怠ったことはない。
「セカンドディールもろくにできない素人めが。このダービーに恥をかかせる気か」なんて言われたら、たまったものではない。
彼に仕えるイカサマディーラーは、わたしひとりのみではない。さすがに、毎度毎度同じ人間が担当したら、どんな精密なイカサマも発覚してしまうだろう。それではまずいということで、毎回、ローテーションでしのいでいる。彼の詐欺の腕を買っている者、逆に彼に詐欺の腕を買われた者など、さまざまな顔ぶれが揃っている。新米ディーラーは、彼に冷たい扱いを受け、やめてしまうことが多い。プライドの高い彼は、完璧な賭場を形成しないディーラーをもっとも嫌っているのだった。
「みょうじは、どうして他の連中のようにやめないのかね? そんなに高額な給料を積んでいるとも思わないが」
ある日、彼はそう尋ねてきた。ちなみに、彼がわたしに提示している金額は、一介の女性が普通に働いて得られるような額ではない。じゅうぶんに高額な給料なのであるが、金持ち相手に荒稼ぎしている彼に、そういう庶民的な感覚はない。ギャンブルで生計を立てている彼は、どれくらいの金を稼ぐことが一般的なのか、知らないのかもしれない。
「わくわくするからですよ」
わたしは手元のカードを繰りつつ言った。
雑談のあいだであっても、シャッフルの練習は欠かせない。
「負け知らずのバクチ打ちを、だれよりも近くで見られる。こんなにわくわくする仕事、ほかにないでしょう?」
「ほう。なかなか豪胆な女性のようだ。いままで見くびっていたかもしれないよ」
彼は急にわたしの繰っていたカードの束を手に取った。ハートのカードが一から順番に並べられた状態になっていることに満足し、笑みを落とす。あまりにも優雅で、ムダのない動作だった。
「きょうも絶好調だな。何度も言うけれども、きみのことは信頼しているよ」
信頼している、と彼は一日に何度も繰り返す。純粋に褒めているわけでは、もちろんない。彼以外の誰かに高い報酬を積まれても裏切ることのないように、プレッシャーを掛けているのである。常日頃から、他人の心に圧力をかけて支配するテクニックを自然に使いこなしている。まさに、ギャンブルをするために生まれてきたような男だ。まあ、わたしには彼を裏切るなんて気持ちはこれっぽっちもないのだが。
「……ありがとうございます。きょうもあなたに忠実なディーラーであることを誓いますよ」
そう言った瞬間に、とても心が高揚する。彼の才能に惚れた弱みなのだろうか。心臓がバクバクして、それでいて気持ちがいい。次の狩場に繰り出す瞬間が楽しみでしょうがなかった。
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気分が高揚しすぎてしまったのだろうか。その翌日、わたしはカードの端で指を切るというケアレス・ミスをやらかしてしまった。幸いにして本番のゲームの最中ではなかったが、カードを血で汚すのは、ディーラーとしては最悪のミスといえよう。
「貴様のようなやつは、このダービーのディーラーにふさわしくない。即刻クビだ!」とでも言い出すはずだと思い、わたしはビクビクしながら、彼のほうを見やった。
「……大丈夫かね?」
意外なことに、彼は怒らなかった。
それどころか、指の切り傷にするすると包帯を巻いていく。やはり手先の器用さでは誰にも負けないようで、わたしの指には、自分で巻くよりも美しく包帯が巻かれた。この彼は、医者にでもなれば、名医なのかもしれない。
「わたしが女性に優しいのが意外だ、という顔だな?」
彼は心を読んだように言った。読心術などなくとも、彼にかかればこのとおり。
イカサマ師の仕事は、相手の心を裸にすることだ。
わたしは正直に答える。
「ええ、僭越ながら」
「わたしだってね、バクチを打たないときはただのつまらない男だ。常に怖い顔をして、他人の心に圧力をかけているわけはない」
「ほ、ほんとうですか!?」
常に怖い顔をして、他人の心に圧力をかけているのだとばかり思っていた……。
わたしが急に大声を出したので、彼はむっとしたような顔になる。
「ほんとうだ。まったく、きみは驚くほど豪胆だが……少々失礼だな」
「ご、ごめんなさい、ミスター」
「ミスターではなく、ダニーでいい。わたしとなまえとの仲だろう」
この申し出にはかなり驚いた。そんな仲になった記憶はなかったからだ。下の名前で呼ばれたのも違和感がある。
仕事の上で、もっとも信頼すべき上司ではあると思っていたが……。
彼のほうが年上であるということも手伝って、『ダニー』などとはとても呼べそうにない。
「ダ、ダニ……………エル、さま」
「ダニーでいいと言っているのにな。まあいい。では、『ダニエル』だ。さま、はやめてもらおう」
「……ダニエル」
これはなんとか呼ぶことができた。違和感は拭えないが。
「豪胆なのだか、小心なのだか、よくわからないやつだな」
「わたしはいつだって小心ですよ。あなたにくらべれば」
「そんなふうにひがむことはないだろう」
「ひがみますよ。天才ギャンブラー・ダービーの前にいる者は、だれだって」
彼は不服そうに唇を尖らせる。
「人間関係とは、賭けと同じ『騙し合い』だとわたしは考えている」
「存じております」
「しかしね……なまえを騙した覚えはないのだ。いつだって誠実に接してきたつもりだ」
「は?」
思わず、彼をまじまじと見てしまった。わたしの知るダニエルは、そんなふうにいじける男ではない。
いつだって誇り高く、だれにでも威圧的で……それこそが彼の最大の特徴なのだ。自分以外の人間のことなんて、全員見下しているとでも言いたげな冷たい眼差し。わたしの大好きな、彼の魅力。
きょうの彼はいつもの彼ではない。なんだか、変だ。
「この際だからはっきりさせよう。わたしはきみに恋愛的な好意を抱いている。好きだからこそ、ディーラーとしてそばに置いている」
彼からこう言われた瞬間、わたしはあるひとつの仮説を思いついた。
が、あえて黙っていた。
思いついたことをすぐに口に出していては、ギャンブラーはつとまらない。
切り札は勝ちが確定するまでとっておけ――というのが、彼の教えである。
「さりげなく想いを伝えようとしているというのに、きみときたら鈍感すぎて、なにも気づいてくれやしない。だから、こうして面と向かって伝えるはめになった」
「鈍感で申し訳ありませんでした。まさか、ミスターにそのような感情があるとは、思っていませんでした」
「わたしのことを何だと思っているのかね」
「人を人と思わない天才ギャンブラー、でしょうか。恋愛には縁がなさそうです」
「ギャンブラーが恋をしないというのは、偏見だと思わないかね」
「まさか、恋はギャンブルなのだから、とか、知ったふうなことを言ったりしませんよね?」
「…………」
いたずらを見つかった子どものような顔で、彼は黙ってしまった。
言うつもりだったのか。「恋はギャンブル」って。
どうにも困った人だ。先が読めない。
「……ミスターは、わたしにどうしてほしいのですか?」
「恋人になってほしい、と言ったら?」
きわめて事務的な答えになりそうだったが、わたしは言った。
「……喜んで、と答えます」
「グッド。では、あらためて頼んでみよう。わたしの恋人になってくれないか、なまえ」
「……喜んで」
わたしは、確かめたかったのかもしれない。自分の仮説が正しかったかどうか。
もし、この仮説が正しかったならば、わたしはダニエル・J・ダービーの策略を見破ることができたということになる。
それは、ひとりのギャンブラーとしても、彼のディーラーとしても、とてもうれしいことだ。
わたしが彼の恋人になることを承諾した瞬間、彼は唇の端をつりあげ、『ギャンブルに勝利したとき』と同じ、凶悪な顔になった。
……それによって、わたしは先ほど浮かんだ自分の仮説の正しさを知る。
ダニエル・J・ダービーは他人を好きになったりしない。
「恋はギャンブル」だなんて、陳腐なことを本気で言ったりしない。
まかり間違っても、わたしに本気で告白したりしない。
もし、彼がわたしに告白するなんてことがあったのならば、それは『騙し』だと考えるべきだ。
彼は息をするように他人を騙しすぎて、それを日常として捉えているふしがある。
急にうぶな男を演じて、わたしを自分の恋人にする。
それが、今回の彼の気まぐれな『詐欺』の正体だ、というのがわたしの仮説だ。
「ダニー。わたし、あなたのことを尊敬しています。そんなあなたと恋人になれて、とてもうれしい」
「わたしもだよ」
真実を指摘しようかどうか迷ったのだけれど、きょうのところは気持ちよく騙されておくことにした。
彼のことを恋愛の相手として見たことなんて、これまで一度もなかった。
しかし、だれよりも尊敬している彼の恋人になるのも、案外悪くないかもしれない。
「……毎日のように人を騙しているとね、自分の本心がわからなくなることがある。しかし、きみといれば、なにかわかるような気がするのだ」
どこまでが本心なのだかわからない言葉を吐きつつ、彼はわたしの手をそっとにぎった。その行動に、本気でときめいてしまった自分に驚く。先ほどわたしは、「彼の行動はすべてが騙しだ」と判断したばかりだ。けれど、きょうの彼の手はいつもよりずっと熱くて、そこには想いがこめられているような気がした。本気で恋をしてもいいような錯覚があった。
先ほど巻いてくれた包帯の部分が、まだ熱を持っているような気がして、心臓がバクバクしてきた。
わたしは今、騙されているかもしれない。でも、騙されていないかもしれない。
裏返したカードを見ているような、そのゆらゆらした不安定な感覚がわたしを惑わせる。彼の騙しはいつだってわたしを惑わせるのだ。そんな彼だから、ついていこうと思えるのだろう。
20170628