杜王町において、冬とは複雑な季節だと思う。非常に冷え込むため、町民以外にとっては過ごしづらい季節かもしれない。が、冬の杜王町こそが本来の姿なのではないかと思うほど、この町には冬の冷たさが似合う。それゆえ、わたしは冬にこそ、この町の住民でいてよかったと、心から思うのだった。
異邦人
「なまえくん?」
白い息を吐きながら、閑散としたアイスクリーム屋の前を歩いていると、後ろから声をかけられた。ゆっくりと振り返る。
シックな灰色のマフラーをしていたせいで、それがいつものギャンブラーであるということに気づくのがワンテンポ遅れた。
「やあ。どうしたのかね?そんな神妙な顔をして。賭博師がマフラーをしていてはおかしいか?」
よく考えてみれば、まったくおかしくない。彼なりに杜王町に馴染もうと必死なのだろうとわかるからだ。
といっても、彼は杜王町のことが好きなわけではまったくない。
イカサマギャンブラーは、悪目立ちしてはいけないというだけだ。必然的に、その土地に合ったふるまいというものが求められる。「悪目立ちしたせいで、誰からも相手にされない」というのは、詐欺師には致命的な状況だ。
杜王町においては、暗い色のマフラーとコート。そういった細かい擬態の努力が、のちのちの騙しのために生きるのだろう。……あまり関わりたくない世界ではあるが。
「ダービーさん、マフラー似合わないですね……」
「余計なお世話だ。これでも、いちばん似合うやつを買ってきたのだがね」
彼のマフラーは、近隣の百貨店の、警備員が見張っているエリアで見かけたことがある。
さすが、金遣いが荒い。こんな擬態のためにそこまで金を出す神経は、わたしには理解できない。
ちなみに、わたしのマフラーはふわふわとした淡いパステルカラー。すみには小さく猫のマークが入っている。成人している女性がつけるものではないと言われるかもしれないが、よほど近づいて見なければわからない程度の大きさなので、許してほしい。
「なまえくんはマフラーが似合うな」
「そうですか?」
めずらしく褒めてくれたのかと感動しかけたが、彼は続けてこう言う。
「その子どものようなセンス、きみらしくて安心したよ」
「ありがとうございます、ぜんぜん褒めてくれていないいつものダービーさんで、安心しました」
むしろ、普通に褒められたら、新しい詐欺が始まったのかと思って、パニックになるかもしれない。あー、褒めてなくてよかった。
「杜王町の冬は、初めてですか?」
「ああ」
「寒いでしょう? これからもっと寒くなるんですよ」
彼は馬鹿にしたように、鼻で笑う。
「日本人には、これが限界なのかもしれないがね。わたしはもっと寒い場所で稼いでいたこともある。これくらいどうってことはないよ」
そういえば、彼は賭け事のために世界中をめぐっていたという。強い人間を探していたのか、稼ぎすぎて同じ場所にとどまれず、移動を強いられているのか。実態は知らないし、知ろうとも思えないが……その自由な生き方にはやはり、あこがれる。
こちらは一生、杜王町でだらだらとOLをして過ごすのだ。女ひとりでも、強く安定した暮らしを目指して。結婚して引っ越し、なんてビジョンは考えられない。揺り籠から墓場まで、という特に関係のないフレーズが頭に一瞬浮かんで、消える。
わたしは、杜王町が好きすぎるのだと思う。ふるさとから離れていく人を見るたび、どうして外へ行ってしまうのだろうと疑問に思っていた。ただ見送るだけの人生に、満足してしまっている。
ダニエルという人は、わたしとは違う。故郷に満足することなどなく、いつまでも旅ばかりしているような、自由人。
この人は、そのうちにどこかへ消えてしまう、一時的な幻みたいなもの。
そう思っているから、必要以上に好きにならないし、心地よい距離感でいつまでも話していられるのかもしれない。
……すごく寂しいことだけれど、彼はわたしとは違う。
映画のなかの住人であるかのように。
まったく違う物語の住人であるかのように。
「きみは、冬が好きかね?」
「え? ええ。こんな町に住んでいると、やっぱり冬の景色はいいなあと思いますよ。雪が降ると大変ですし、現実的に考えると、夏のほうがラクですけど」
「そうか。わたしもね、この国の冬が好きだよ。身が引き締まる気がするからね」
彼はしみじみと言った。他人を騙すときの口調ではない。おそらくそれは、彼の本音だったのだろう。
高いマフラーを買ってきたのも、体裁を取り繕うためなどではなく、冬が好きだったからか。杜王町の冬を、楽しむためだったのか。「詐欺師だから」だと思い込んでいたので、申し訳ない気持ちになる。
杜王町の冬が好きだというのならば、彼はわたしと同じだ。
同じ季節に、同じくマフラーを巻いて。
彼は今、ここにいる。
「しかしね、なまえくん。そんなに冬が好きならば、もっとちゃんとマフラーを巻いたほうがいい。結び目がゆるくて、今にもほどけてしまいそうじゃあないか」
と言って、彼はわたしのマフラーに触れた。一度それをほどいてから、きゅっ、と優しく締めなおされる。
その思いやりのある優しい動きが、あまりにも意外で――わたしは頬がすごく熱くなるのを感じた。
いやいや、ちょっと待って。
この人が、こんな無意味な優しさを発揮するわけない。
他人を騙すとき以外に、優しいことなんてしない。
冷たくて、ひどくて、女なんて見下していて。
そういう人だと思っていた。
だから、だろうか。
マフラーの位置を直されたくらいで、こんなにも恥ずかしくて、胸がドキドキしてしまうのは。
「あ……え、だ、ダービーさん、あ、ありがとう、ございます」
「うん? ああ、そんなかしこまって礼を言われるようなことはしていないが……」
と言ってから、彼はたぶんわたしの妙な様子に気づいた、と思う。
人間観察がとても上手な彼が、気づかないはずはない。
気づいた上で、彼は冷静に言う。
「わたしはこれからカフェへ行ってくるが……。きみは、買い物にでも行くのかな?」
「あ、ええ。お鍋の材料でも買いに行こうと思って」
「では、これでお別れだな。また、今度会おう」
……気を使われたのだ、とすぐにわかった。
甘酸っぱい雰囲気が面倒くさくなったのかもしれない。早くカフェへ行きたかったのかもしれない。理由はわからないが、とにかく、彼はわたしの様子を察して、離れてくれた。最善の選択だ。このまま一緒にいられたら、道を踏み外してしまうかもしれない。
わたしは杜王町に住む、どこにでもいるOLで。
彼は、世界を股にかけた詐欺師で、ギャンブラー。
住む世界が違う。
それを忘れてはいけない。
いけないけど……。
「……きょうだけは、同じ世界にいたような、そんな気がする……」
火照る頬を片手で抑えながら、そうつぶやいた。
ダニエル・J・ダービーは軽快な足取りでカフェへと歩み出す。また、学ランを着た対戦相手を待つのだろう。いつも見ている背中だけれど、ひらひらとなびくマフラーはいつもと違った。その上品なマフラーが非日常の象徴のように思えて、わたしは白いため息をついてしまった。
20171101