わたしという存在は、いつもなにかをつぎはぎしたパッチワークによってつくられていると言っていい。オリンピックのエンブレムの話なんてする以前の問題として、わたしの脳内にはオリジナルなんてものはない。「この言い回しがおもしろい」と思って脳内であたためていたとっておきのネタは、よくよく思い返してみると他人の言葉だったりする。その他人の言葉も、実は元ネタがあって、そこが初出ではない。そもそも、まったく他人の言葉でない言葉、なんてものはめったにない。ためしに、検索窓に自分の思いを入れて検索をしてみればいい。何度か言い回しを変えたり抽象化を進めたりすれば、よほど探し方がへたでないかぎり、同じような他人が観測できるはずである。人の思考には一定のパターンがあり、個性的で唯一無二の人などいない。
インターネットは他人と隣り合うことのできるツールで、このツールさえあれば、「こんなことを考えているのはわたしだけかもしれない」というような種類の孤独からは高確率で退避が可能である。次に訪れるのは「こんなことを考えている人間はほかに存在するが、その人と自分は関係がない」という空虚だ。ここから逃げ出すことは難しい。そこにあるのはコミュニケーションの壁、匿名の壁、そしてインターネットの壁。インターネットというバーチャル空間に手をつっこんでみても、その向こうにいる人間と連絡が可能だとは限らない。むしろ通じ合えないことのほうが多い。人間と関係しているというよりも、漫画を読んでいる状態に近い。だから結局、「こんなことを考えているのはわたしだけかもしれない」という孤独が「自分とは関係ない人が同じことを考えている」という空虚にすりかわっただけで、問題は解決しないのだった。
長々と無意味な話をしてしまったが、何が言いたいのかといえば、鏡潤一郎について語りたいのだ。
彼は迷惑な男である。しかし魅力的な男でもある。彼は、明確にオリジナルだ。こんな人間は検索窓に何を入れたって発見できないという確信がある。その独自性にこそ惹かれるのかもしれない。
わたし自身は、からっぽな人間で、自分はオリジナルではないと思っていた。しかし彼は言う。わたしこそがオリジナルであると。なぜなら、オリジナルとそれ以外を見分ける能力を持っているから。彼のよくわからない説明によれば、わたしがオリジナルとそれ以外をまぜこぜにして悩んでしまうのは、その能力ゆえだという。その能力は非常に珍しいもので、めったに発現しない。ゆえに価値がある。
鏡潤一郎という人は、他人に理解できるような説明をする男ではない。わたしが相手ならばなおさらのことである。そんな彼の説明をベースにして考えを進めるものだから、わたしまでこんな難解な文章を書くようになってしまった。遺憾である。
「オリジナルというのはね、かけがえのないものなんです」
かつて、鏡はそう言った。珍しくまともな口調だった。
「一度失われたら二度と手に入らない。オリジナルとはそういうものだ。だからぼくはきみを失いたくない」
愛の告白ならともかく、彼はわたしを実験動物として見ているのだから、この言葉は特に心に響くものではないはずだった。だがわたしときたら、この一言にときめいてしまった。一度失われたら二度と手に入らないオリジナル。わたしは、そういうものになりたい。検索窓に何を入れても発見されない自分に、ずっとなりたかった。だから彼に付き従ってもいいと思った。その先に何が待ち受けていようとも、オリジナルになれるのならばいいと思ったのだ。
――しかし、彼がわたしに求めているのは、死んだ姉の面影だった。特別な存在感を持つ彼の姉を、特別な力を持つわたしに重ねていただけだ。彼もまた、失われたオリジナルを探し求めていた。すくなくとも、彼にとって、わたしは完全なオリジナルではない。
でも、彼はわたしにとってオリジナルだ。今日も危険な彼についていく。わたしという人間を、たった一人のオリジナルとして認めてもらいたい。彼の姉なんて関係なく、わたしをわたしとして認識させたい。そう伝えたならば、彼はおそらくこう言って冷笑するだろう。
「きみには無理だ。やれるものならやってみればいい」
彼は待ってくれるだろう。わたしが、彼の姉か、彼の姉とはまったく異なるものに変質するその日まで。彼は優しくないから、その日が来るまでは黙って待っているだろう。生かさず、殺さず、ただじっくりと嬲るように。彼と過ごすそんな日常を、わたしはいつしか楽しんでいる。結果なんて出なくてもいいのかもしれない。しかし、いつかなんらかの結末が訪れるだろう。オリジナルと、そうでないものを非情に隔てる結末。馬鹿げた世界と彼が呼ぶもの。
馬鹿げた世界を待ち望む彼の顔を眺める、それがわたしの日常である。
今日も仕事に忙しい白衣の男のことを考えながら、わたしは窓辺でクリームソーダを飲む。パチパチと舌の上ではじける炭酸。炭酸は苦手なのに、最近どうもこれを飲まずにはいられない。舌に理不尽な暴力を放ちながら甘く消えていくクリームソーダは、あの男に似ていた。精神的暴力男。わたしは今、そのフレーズの意味を身を持って体感していると言っていい。