その日は、星だけがチカチカしていて、一日中が夜だった。太陽がのぼる気配がまったくない。たぶん、もう原子分解されてしまったんだろう。星のほうが太陽よりも遠くにあるから、星はまだ無事なのだ。そんなめちゃくちゃな理屈で自分を納得させた。
「まーた、イヤミがやらかしたのかねぇ。原子分解光線だっけ?」
そうつぶやく彼の名は、松野カラ松。一応、わたしの恋人っぽい感じの人だ。といっても、セックスもキスもしたことがない。ふたりとも臆病だから、ただ『恋人』という名目に恐れおののいているだけで、いつのまにか半年くらい経ってしまった。
ナルシストは、恋の夢に酔うのが好きだ。その反面、現実の恋には弱い。恋人ができたって、恋の実践編なんて、できるわけない。わたしも彼と似たような人間だから、彼の気持ちはよくわかる。
この半年、楽しくなかったといえば嘘になる。でも、やっぱり、これは正しい恋人じゃないんだろうなあ、と思うことが多かった。
「おまえら変だよ、絶対おかしいよ。目の前に好きな女の子がいたらさあ、ふつうセックスするっしょ?」
というのは彼の兄であるおそ松の弁である。そのとおりなのかもしれないが、兄にそんなことを言われても気まずくなるばかりである。そもそも、わたしも彼も実家住まいのニートで、しかも彼は六つ子だというのだから、セックスをする場所なんてない。探せばあるのかもしれないけれど、探してまでセックスしようなんて思っていなかった。わたしも、カラ松も。
カラ松にはきょうだいが五人もいて、みんな、しょっちゅうこちらを茶化してくる。正直邪魔だなあと思うことも多い。
でも、その五人が全員死んでしまった今となっては、もう少し優しく接してもよかったかもしれないと思う。
どうして、この世界は滅びてしまったのか。どうして、わたしと彼だけが生き残っているのか。詳しい事情はわからない。なぜなら、わたしたちニートはいつも、昼の二時くらいに起床しているから。
状況から見て、たぶん、朝方くらいになにか事件があったのだろう。わたしたちがすやすやと眠っているあいだに、この世界は終わった。もうすでにテレビも存在しておらず、原因を確かめることは困難だ。おそらくはイヤミによる原子分解ビームでなにもかもが壊滅したのだろうと思われるが、詳細は一切不明。
わかっているのは、松野家のメンバーはもはやカラ松しか残っていないということ。
そして、わたしたちもいつ消えるかわからないということ。
それくらいだ。
砂地となった商店街を歩きつつ、わたしたちはなんでもない日のように会話を交わした。
もはや建物と呼べるようなものは、なにも残っていない。
「いやー。めちゃくちゃ静かだよな、世界」
「そうだね」
「 なまえもやっぱりそう思うか。日も昇らないし、インモラルな感じだよな。ちょっとムーディーだ」
「そうだね」
「でも……」
「でも?」
表情を曇らせた彼の、その先に続く言葉を、わたしは知っていた。
これは、いままで、ずるずるとやらずに来てしまったことをするチャンス。インモラルという言葉にふさわしい行為におよぶために用意された舞台だ。太陽が昇らないなんて、後ろ暗いことをしろと言っているようなものじゃないか。
そのことを茶化す人間がいなくなって初めて、わたしたちは堂々とそれをできる場所を手に入れた。
でも、こんな世界で、こんな静かに滅んだ世界の中心で、ふたりっきりで交わるなんて、臆病なわたしたちにはできそうになかった。
わたしはきっぱりと本音を言ってみた。
「でも、セックスしたくないね」
カラ松はホッとしたような顔で同意した。
「おう、おれも……性欲はバリバリあるけど、こんなところでヤるのすげえ怖いわ……」
「わたしも怖い。だって、無音なんだよ? 無音のなかにセックスの音だけ響くとか、どんな拷問?って思っちゃう」
「実はドッキリだったりした日には目も当てられねえっつうか……」
「わかる。もう絶対、あの五人がプラカード持って茶化しに来るよね。特におそ松とか後々までネタにしそう。ついでにズリネタにもされるかもしんないしマジ最悪」
「 なまえ 、うちの兄貴のこと、いつのまにか呼び捨てにしてるよな……そんで脳内イメージひでえな……」
だっておそ松だし。
さんざんセクハラされてるし。お尻も触られたし。
あんなやつに『さん』なんてつけたくない。
「でもさ、わたしたち消えちゃうかもしれないんだよ」
と、愚かなわたしはこの空気に抵抗してみたりする。
「童貞処女のまま死ぬとか耐えられなくない?」
「そうだな」
「でも、ここでするのも耐えられないよね」
「おれたち、どうすればいいんだ? なまえ 」
などと会話しているうちにも、たぶん世界はどんどん消えていっていて、さらさらとどこかでなにかが崩れていくような幻聴すら聞こえる。そんななかで、わたしたちだけが消えずにいられるはずがない。この星のすべての原子は、もう、終わっている。いったいどんな強力なビームを撃ったのだか知らないが、当のイヤミ本人の姿すら確認できない今、この危機的状況の意味を問うても仕方ない。
わたしたちは選択を迫られている。
清すぎる体という恥を抱いて死ぬか、
セックスという恥を抱いて死ぬか。
さあ、カラ松。
わたしたち、どっちを選べばいいのかな?
終末を目前にして、星がチカチカまたたいて、きれいだった。
今までに見たどんな星よりも、明るい輝きに見えた。
それよりもさらに輝く流れ星が一筋、大きく弧を描いて落ちていく。
「 なまえ 。おれは――」
カラ松はなにか決心したようにわたしのほうへ手を伸ばして、そっと、わたしの手に重ねた。そこから、その手を引き寄せようとした。抱きしめようと、した。
それが彼の精一杯だった。
そのとき、世界はなにかのスイッチを入れられたみたいに急激に崩れていって、結局、彼の姿はさっとかき消されるみたいに消えた。突然すぎて、なにか言う暇もなかった。別れを告げる時間すら、与えられなかった。やっぱりこれはイヤミの嫌がらせだったのではないかと、しみじみと思った。
たぶん、カラ松はキスくらいならしてもいいと思っていた。キスだけして、そこですべて諦めようと、感じていたと思う。だって、わたしもそう思っていたから。こんな静かな世界でセックスしたくないけど、キスだけなら、してもいい。だって、終わった世界でキスをするなんて、とてもロマンティックで彼好みだから。終わった世界で交わるより、そのほうがいいと思った。でも、かみさまはキスすら叶えてくれなかったんだ。
やっぱりわたしは、あの彼だけが好きだった。世界が終わった瞬間にわたしを犯すことを考えなかった臆病さが、ドッキリではないかと疑った慎重さが、鏡を見ているように恋しかった。性欲なんて持て余しすぎるくらいにあったはずなのに、童貞を捨てたくてたまらなかったはずなのに、彼は童貞のまま死んだ。同じ顔のほかのきょうだいとは明確に違うその速度が、わたしにはぴったりだった。もうすでに九割くらい終了している世界のまんなかで、初めて触れた彼の手のぬくもりを思いながら、ぽろぽろと泣いた。
世界は、もう、からっぽだった。
20171128