レディは「わたしたちは踊らされてるのよ、気をつけなさい」と言った。
彼女の華麗なダンスを見た者はみんな、こう思っただろう。
「そんなにも美しい踊りならば、踊らされていてもいいではないか」
しかし彼女の優しい口調は、事の重大さを示していたような気がして、だれもなにも言えなかった。むろん、わたしも。
彼女はこうつづけた。
「たとえば、町長。ああいう旧型を動かしておくことに、いったいどんな意味があるとあなたは思う?」
「殺すことが忍びないから……あるいは、旧型に愛着があるから、でしょうか」
「そうね。どちらにしても、あのクレイジーな人は、『愛』を原動力にしているとしか思えないの。わたしはね」
愛……あるいは、ラブ。と言われるもの。
博士の冷たいまなざしを思い返しても、テクノポリスに詰め込まれるリーマンたちのことを考えてみても、そこに愛があるとはとても思えなかったが。
「わたしたちは、彼の愛によって生かされてるのよ」
レディのきれいな声だけが、耳に残った。
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わたしの名前はなまえという。偉大なるヘイガー博士がつくったロボットのなかでも、いわゆる旧型と呼ばれる部類の機体だ。名前の由来は知らない。
わたしのあとにつくられたリーマンたちには名前がないのに、どうしてわたしには名前があるんだろう?
疑問に思うことはあるが、それを博士に尋ねる機会はなかった。
彼はそういった自由さをロボットに与えようとはしていないように思う。
わたしたちは彼の手足だ。個々の思考などない。そういうことになっている。
だから、名前の由来を知る機会は必要ないのかもしれない。
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その日は、いつもどおりの晴れ空で、いつもどおりに平和な一日で、いつもどおりにリーマンたちが出社していった。彼らと違い、わたしには特に役割がない。おそらくは失敗作だからだ。博士の手伝いをしていることもあるし、町長やレディと過ごすこともあるが、わたしに固有の仕事はない。普段は、部屋で音楽を聞いたりして過ごす。
だから、この日、博士がわたしに声をかけてくれたときは素直に嬉しかった。
「なまえ。出かけるぞ」
向かった先は、虹の麓だった。
虹といっても、彼がむかし作ったまがいものだ。本物ではない。
この虹は彼の失敗作としては非常に有名な部類であろう。いらなくなったからといって、野にそのままほっぽってあるのだ。いやでも目につく。ここを通りかかった人間なら必ず見たことがあるはずだ。
「どうして、ここに?」
「きみと、虹が見たかったのだ。まあ、深い意味はないがな。失敗作を今後のために心に刻んでおこうと思ったまでである」
「そうですか。……こんなにきれいなのに、失敗なんですね」
わたしはこの虹が好きだった。自分と同じ失敗作だからだ。レディやリーマンたちとはあきらかに違う。目的もなく、存在しているだけのもの。
わたしの、ただひとりの仲間だ。
「美しいということ、それ自体にはなんの意味もないからな」
噛みしめるように、博士はそうつぶやいた。
「そうなのでしょうか……ヒトは、美しいものが好きではないのですか?」
「美しいものはたしかにヒトを惹きつける。わがはいも美しいものを見ると心を揺さぶられることがある。だが、そこに実用性はないのだ。実用性のないものに価値はない」
「わたしは、そうは思いません。だって、」
……だって、その理論で行けば、実用性のないわたしには価値がないということになるから。
レディのように踊れない、リーマンのように働けない。そんなわたしには。
しかしそんなことは言えるはずがなかった。
「……博士は、どうしてわたしをスクラップにせずに置いておくのですか?」
結局、そんな問いが口をついて出た。
言わないでおこうとずっと思っていた問いかけが発せられた瞬間、博士はなぜか嬉しそうに早口で答えた。
「実験なのだ」
「なんの、実験なのです?」
「ロボットの自我に関する単純な実験である、とだけ言っておこう」
そして、彼は黙った。それ以上、教えるつもりはないようだ。
「わたしは、その実験のためになにかしなければならないのでしょうか?」
「なにもしなくていい。それがなまえの価値だからだ。したいことをして、したくないと思うことはするな」
「…………自分に正直に生きてもいい、ということですか?」
「そういうことである」
わたしは無言で虹を眺めた。
彼は虹を美しいと言った。
そう、たしかに言ったのだ。
実用性のない美しさに価値はないと言いながら、
それが美しくないとは、決して言わなかった。
「わたしは、失敗作です。リーマンやレディや町長みたいに、役割を演じることすらできていない。この虹と同じだと思っているんです」
虹がきらきらと輝いている。
わたしの言葉を待っているみたいに。
彼もまた、静かにそれを眺めている。
「でも、博士はわたしにしたいことをしていいと言ってくださいました」
博士には叶えたい夢があるのだと、以前聞いた。
ロケットで空の天井をこえること。
それはとても大それた夢で、みんな彼の夢をあざ笑う。狂人だといってバカにする。
しかし、わたしは知っている。
この人は、だれよりもロマンチストで、そしてだれよりも現実主義者だということを。
美しい虹と、届かない空の天井の上。
途方もないほど離れていても、そのふたつはどこかで必ずつながっている。
「わたしはきっと、博士のことが好きなんだろうと思います。博士の夢を叶えるために、わたしにできることがあるなら、なんでもしたい。わたしの部品が必要なら、いくらだって取り出してくれてかまわない」
博士はいつのまにか虹から目を離して、わたしのほうを見ていた。
驚いたように、言葉を失った彼の様子があまりに意外で……わたしは思わず笑ってしまった。
彼はしばらくの沈黙の後、
「『好き』……あるいは『ラブ』か。それは深刻なバグである。わがはいはそんなものを機械に組み込むほど暇ではない」
一言、冷たく言い放つと、研究所への帰り道を歩きだした。
わたしも駆け足であとに続く。
「……機械が『ラブ』を持つなど、まったくバカらしい。そんなのは、ただ美しいだけではないか」
その後、なんだか照れ隠しのように、彼が小声でつぶやいた言葉は、夕暮れの優しい風に流されて消えていった。
もちろん、わたしの耳はヒトよりも倍は優れているので、しっかり聞き取っていた。
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そういえば、むかし、町長がこんなことを言っていた。
「愛。それがこの世界のすべてだ。彼に作られたものたちにとっては、彼の愛。それしか意味を持たない」
彼……つまり、博士の愛だ。
われわれは彼に生かされている。
彼なくしてここに存在することはできないし、存在の意味は彼のみが決める。
その現実の、なんと残酷で心地よいことか。
「ロボたちには、彼の気まぐれな愛を信じるしかないんだ。それがどんなに恐ろしいことか、きみは知っているかね? 旧型に未来はない。可能性を生まなければね」
彼のその言葉に、今ならたしかにこう答えることができる。
わたしたちは、きっと彼に愛されている。
彼がそれを認めなかったとしても、レディや町長に否定されても、わたしだけはその愛を信じてみたい。
わたしは、したいことをして、したくないことはしない、テクノポリスで唯一、自由なロボット。
わたしのしたいことは、彼の愛を信じること。
そして、彼を愛すること。
どんなにだれかに笑われようと、バカにされようと、関係ない。
だって、わたしが信じるのは、『彼がわたしを作った』という事実だけだからだ。
それがたぶん、わたしのラブ。
この世界でわたしだけの、大切なラブなのだ。
それはまるで虹のような
20200430
大変お待たせいたしました。
リクエストより、「moonのヘイガー博士」です。
原作の印象を壊していないか心配ですが、自分なりに博士の好感度を上げようと頑張ってみました。
リク、ありがとうございました!