古今東西、推理小説はたくさんあるし、大学生が主人公の推理ものも多い。
必然、部活動やサークル活動を孤島でやることになり、殺人が起きるというシチュエーションもかなりある。
そのなかで、もっとも事件に巻き込まれやすいサークルとは、いったいなんだろうか。
私はこう思う。
『ミステリー研究会』だと。
そして、こうも思う。
もし、非常に優れた犯人が、これから犯行に及ぶために部活を選ぶことがあるとすれば。
おそらくはその犯人も、『ミステリー研究会』を選ぶのだろう、と。
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「きみたちは、人を殺したいと思ったことはあるか?」
狭い部室に、凛とした声が響いた。
「ない。ないです……多分」
戸惑いながら答えたのは、四辻琴子。活発そうな女子だ。
『多分』というところにすこし物憂げなニュアンスがある。
「瀧くんは、あるの?」
「思春期とかバイト先とかで、なかった?」
平然とそう答えたのは、瀧紡。
なんとなくチャラそうな感じの外見の男子だが、口調は落ち着いていて知的な印象。
「ええ~、ないよ! 普通、ないですよね?」
「私はある」
「僕はないです」
琴子の問いかけに、大門詠江と宰司が答える。大門はこのミステリー研究会の長である。モデルのような体型の持ち主だが、どこかボーイッシュな軽やかな雰囲気を身にまとっている。
宰は大門の身体のラインをずっと熱心に見つめており、どうやら推理小説にはそこまで興味がなさそうだ。
ここまでで、「殺したいと思った派」と「殺したいと思ったことがない派」の勢力数は、イーヴンだ。
必然的に、大門の視線はこちらに向く。
あとひとりで、勢力の多数と少数が分かれるからだ。
「きみは、どうだ?」
四人目の入部希望者である私は、まるで愛しい宿敵にでも出会ったように、彼女と向き合った。そして、すこしだけ考えてから、こう答えた。
「私は……人を殺したいと思ったことは、ないですね」
「そうかそうか。なんだか、意外だよ」
「そうですか?」
大門はテーブルに細い指を這わせ、ノックをするようにコツコツと鳴らした。
「ああ……きみは、『こちら側』だと思っていたんだがね。みょうじくん」
にやり。
すべて見抜いているような目をした大門詠江は、私だけに向けて、挑戦的な笑みを浮かべた。
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それから、2週間ほど経過した、ある日のこと。
ミステリー研究会の部室を訪れると、先客は一名だけだった。
大門である。
黒髪を物憂げにかきあげながら、「死の快走船」を読んでいる。相変わらず、ミステリならなんでも読む彼女らしい、マニアックなチョイスだ。
「結局、入部者はかなり少ない。まあ、ミス研らしいといえばらしいのだが……」
本から顔をあげず、彼女はこう切り出した。
「この人数では、孤島での連続殺人は演出できそうにないな」
「人数少なすぎて、すぐ犯人が確定しちゃいますからね……」
私が答えると、彼女は愉快そうに笑った。
「そう。残りがふたりになった時点で、自分が犯人ではないことはわかっているわけだから……生き残ったもうひとりが犯人だ。推理もクソもありはしない。ふざけた話だよ」
ふざけた話とうそぶきながら、くくくと愉快そうに笑った。
「どうして、そんなに楽しそうなんですか? 大門先輩は」
「どうしてだと思う? 当ててみたまえ」
「……『死の快走船』がめちゃくちゃおもしろいからとか?」
私の返しに、彼女はまた悪人っぽく笑った。
「ほんとうにそう思うか?」
「いや……思わないですね。だって、大門先輩、もう読んだことあるでしょう。再読で笑い声が出るほど愉快な気持ちになれるとは思いません」
「どうしてそういう結論になった?」
「大門先輩ほどの人が、『死の快走船』を未読だなんてありえないですから」
「うーん、論理的ではないが……そういう答えもありだな」
彼女は丁寧に栞を挟んでから、本をテーブルの上へと置いた。
「で、みょうじ。『六本荘の殺人』が映画化されたよな。きみは見たか?」
「唐突ですね。無論、ミステリファンとしては逃せないイベントですから……見ましたよ」
「私はまだ見ていないんだが、どうだった?」
「原作でのあの叙述トリックがどう映像化されるのか気になっていたんですが、まさかメタ的な処理でうまく切り抜けるとは思いませんでした。コメディ調の作劇も本格推理特有のバカバカしいリアリティにぴったりで、よかったですね」
「そうかそうか。それを聞いて、確信したよ」
大門は急に立ち上がり、開いていた部室の窓を閉める。
さらに、カーテンまで念入りに閉めてしまった。
さきほどまでさわやかな春の風が吹き込んでいた部室が、急に薄暗く、いかがわしい空間になる。
部屋を真っ暗にした大門はパイプ椅子に腰掛け、悠々と、名探偵のようにこう問いかけた。
「あえてきみ自身に問う。みょうじ。きみは、何者だ?」
+++
部室に静寂が満ちた。
早く答えなければ……と思い、私は無理矢理に話し出す。
「何者って……しがないミステリー研究会の新入部員ですよ。すこし、推理小説が好きなだけの、つまらない一年生です」
「推理小説が好きなだけの一年生、ね。私の推理では、きみは『違う』んじゃないかと思うんだがね」
「と、いうと?」
大門は組んでいた足を逆に組み直した。
さながら安楽椅子探偵のように。
「私をナメてもらっては困る。入部希望者から焼き肉券希望者まで、さまざまな新入生を見てきたが、きみのような変わり種は初めてだ。とても興味がある」
「……なぜ? 四辻琴子や瀧紡のほうが、よほど変わっていると思いますが」
くつくつと笑いつつ、彼女は射抜くように私の顔を見つめた。
「まず、あの日、四辻琴子、瀧紡、宰司、きみの四名が推理ゲームをしに来た。四辻と瀧は特にゲームに熱心だったな。結局、きみは真相を言い当てることはなかった。四辻と瀧は真相を当て、焼き肉券を手に入れた」
「それがなにか? 私、推理するのは苦手で……犯人、わからなかったんです」
「嘘だな」
「嘘?」
なにを根拠に……と思いながら、背筋がぞくりと粟立つのを感じた。
久しぶりの感覚。
私という人間を、大門が見つめ、暴こうとしている。
だれにも見えないように隠していた『私』を……。
「きみはだれよりも早く真相に到達したはずだよ。ヒントカードが配られるよりも前に、ジオラマだけで気づいたんじゃないか?」
大門が言葉を紡いでいく。私が黙っているのをいいことに、次から次へと。
「だって、きみは最初からドアノブの青い糸をずっと見つめていたからね。それも、自分の首筋を押さえながら……」
薄暗い部屋に凛とした声が響く。彼女はこういう機会を待っていたのだろう。
彼女は『名探偵』になりたいのだろう。そうなるべくして生まれてきたのかもしれない。
しかしこの世界に、名探偵などという非現実的な存在は必要ない。どんな非凡な才能を持っていようとも、普通の人間として生きて死ぬしかないのだ。
私はすでにそれを知っている。
知っていて、こう反論した。
「そんなの、言いがかりにすぎませんよね。ちょっと首が痛かっただけです。それに、真相に到達していても、口に出さないんじゃ意味がありませんよ。焼き肉券がもらえないんですから」
「いや、きみは口に出したくなかったんだろうな。なぜなら、あの場にはきみと私以外に三人もオーディエンスがいた。耳打ちするにしても……目立ちすぎる」
「目立ちすぎる?」
大門はそっと首を傾げて、こう言った。
「そう。きみは目立ちたくないと思っていた。四辻琴子、瀧紡、宰司の三名は正解を得ることに必死だったが、きみだけは先に正解に到達した上で違うことを考えていた。そうだろう?」
「その根拠は?」
「問いに問いで返すなんて無粋だぞ。だが、そうだな。判断材料はある……」
深く呼吸をしながら、彼女は目を閉じた。
私はそんな彼女から、目が離せない。
彼女の白い喉元が、艶かしくうごめいて言葉を紡ぐ。
「『きみは人を殺したいと思ったことはあるか?』」
それは、あの日の問いかけだ。
そう……すべては、この問いかけから始まった。
「四辻と宰は『ない』と答え、私と瀧は『ある』と答えた。最後に残ったきみは……四辻と宰に便乗した。なによりも、目立たないためにな。明らかにそちらのほうが無難な答えだから」
「…………」
「たとえばだが、四辻が『ある』と答えていたなら、きみは『ある』と言ったんじゃないか? 多数派のほうが目立たないからな」
「…………」
私はあえて黙っていた。
彼女の推理がどこへ向かっていくのか、聞いてみたくなったからだ。
「では、きみはなぜ目立ちたくないのだろうか? 引っ込み思案だからか? いや、そんなことはない。引っ込み思案ならば、あんなやかましい三人がいないときに部室へ来て、私と一対一で推理ゲームをするだろう。きみはあえて他人がいるタイミングを見計らって部室へ来たんだ。なぜ?」
汗が、頬を伝って落ちていく。窓を閉めたせいだろうか。この部屋はどうやらひどく蒸すようだ。
「きみの目的は、ミステリーについて他人と和気あいあいと語り合うことではないし、ましてや焼き肉券でもない。きみは物色をしに来たんだろう。これから狩るべき獲物を」
「獲物?」
「証拠はもちろんないが、私は、きみには犯罪願望があると思っているんだ。どうだ、違うか?」
……ひとつだけ、この妄想過多な彼女に答えられることがあるとするならば。
『違わない』。
これだけだ。
彼女の根拠なき妄想は、当たっている。
+++
「もともと、変だとは思っていたんだ。きみは真っ先に真相を見抜いたのに、ずっと黙っていた。推理ゲームに参加することすらなく、その一方でミステリー研究会には入りたがった。きみは、自分は『推理する側』ではないということを、暗に私に示していたのではないか?」
「…………」
「きみが良心的で内気なミステリファンではないと確信したのは、さっき、映画の話をしたときだ」
「『六本荘の殺人』?」
「きみはたしかこんなふうに答えたな。『原作でのあの叙述トリックがどう映像化されるのか気になっていたんですが、まさかメタ的な処理でうまく切り抜けるとは思いませんでした。』一見、ミステリファンの鑑のような丁寧な感想に見えるが……私にしてみれば、違和感しかないな」
「どうしてです? ミステリファンとして、叙述トリックがどう処理されるかというのは……あ!」
ようやく、私は彼女の作った罠に気づいた。
手が震える。はらわたが煮える。
なぜこんな簡単なことに気づかなかったのか。
「私はたしかに『六本荘の殺人』を読んでいるさ。だから叙述トリックを使った作品だということは知っている。そこを踏まえた上で、『ミステリファンっぽい解答』を模索したところまではよかったな。しかし、私は『映画はまだ見ていない』とも言ったはずだ。ありえないんだよ。『良心的』で『引っ込み思案』の推理オタクが、サークルの先輩に対して、まだ見ていない映画のトリックのネタバレをするというシチュエーションは。ネタバレを何よりも恐れるミステリファンにあるまじき失態だ」
「それは、映画に夢中になっていたせいで、ついうっかりしゃべりたくなって」
「そんなうっかりは、きみのキャラクターにそぐわないじゃないか。焼き肉券を前にしても、真相を喋らなかったきみが? ついうっかり真相をバラした?」
大門は、うつくしいがドスの利いた声で、裁判官のように言い渡した。
「きみはミステリファンのふりをしているだけで、ミステリの知識が豊富にあるだけで、ミステリを……『名探偵』を愛していないね?」
彼女の言うとおりだった。
私は、『名探偵』を愛することはない。
ミステリを犯罪のための教本にすることはあっても、『名探偵』の活躍に心が躍ることなどない。
だって、私は彼らの敵なのだから。
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大門はすべてをやりきって、カーテンと窓を開放した。非常に満足そうだった。一方で、私は屈辱で全身を震わせていた。
私はこのミステリー研究会で、本物の『名犯人』になるために入部を志願したのである。あの日、入部希望者三名とともに推理ゲームのレクチャーを受けたのは、これから『被害者』となるであろう人々の顔を確かめたかったから。
推理ゲームに対し解答を提出しなかった理由は、大門の言うとおり。推理力を見せつけて目立つと、あとあと疑われると思ったから。
それに、推理なんて、バカバカしくてできなかった。推理なんてのは、ぶつけられるものであって、自分がするものではないのだ。生まれたときから、ずっと。
彼女が生まれながらにして名探偵だというのならば。
私は、その逆だ。
「きみのそういう顔が見たかった。ようやく素顔を見せてくれたな、みょうじ。そのほうが似合うぞ」
「……いつから」
「ん?」
「いつから、私が怪しいと?」
「初めて校門で見かけたときから、すでに目をつけていた。運命を感じたんだよ」
気が触れているとしか思えない発言だが、ハッタリや嘘で言っているようには見えない。
「なにかやらかしそうだと思ったんだよなぁ。勧誘してよかった」
「そんな勘を発端に、ここまで追い詰めるなんて。私の完敗じゃないですか。じゃあ、質問を変えます。これから、大門先輩はどうする気なんです? 私を退部処分にでもしますか?」
「なぜ、そんなことをしなければならないんだ?」
今度は彼女が質問に質問で返した。
凛とした瞳は、まったく揺らいでいなかった。
「きみはまだなにもしてないじゃないか。困るんだ、ちゃんと『やりきって』くれないと。私はミステリー研究会に期待しているんだよ。血湧き肉躍る茶番劇を」
「…………っ!?」
この反応は、さすがに予想外だった。きょうは予想外の連続だ。
「私、人を殺すかもしれませんよ。窃盗や恐喝をするかも」
「つまらない軽犯罪はやめてほしいな。もっとスリルがなければおもしろくない」
「ミステリー研究会ごと、なくなってしまうかもしれませんよ。皆殺しです」
「いや、きみは皆殺しなんてことはしないだろうな。だって、きみは『名探偵』と対峙したいと思ってここへ来ているのだろうから」
『名探偵』と対峙したくて、ミステリー研究会へやってきた。
その意見は、推理ではなくただの彼女の憶測なのだろう。根拠なんてないはずだ。
しかし、合っている。
私は、この人に出会うためにここへ来たのだ。
たった今、それがわかった。
「全員殺してしまっては推理のしようがない。そんなつまらない幕引きは『名犯人』ならば選ばないだろう。それに、連続殺人には人数が足りないとさきほど言ったばかりだ。殺せば殺すほど窮地に陥る」
淡々と語っているが、彼女は部員が殺されてもいいのだろうか?
不謹慎な女性だとは思っていたが……。
それとも、そうやって私を牽制して殺人を止めようとしているのか?
呆れると同時に、私はこう感じていた。
……挑みがいがある。
「だが、覚悟しておいてほしい。ミステリー研究会で殺人事件があったなら……この大門詠江が必ず解決に乗り出すし、きみは真っ先に疑われるぞ」
脅しているような内容だったが、威圧感はない。むしろ彼女は楽しそうだった。
本気で言っているのだとしたら、かなりぶっ飛んでいる。
「今度はもっとおもしろい推理勝負を期待しているよ……なまえくん。きみが私の運命の人だと信じてね」
「ええ……私も、期待しています。大門先輩」
+++
前々から、思っていたのである。
『名探偵』というものがもし本当にいるのだとして、彼ら彼女らはなにに恋をするのだろう、と。
答えは簡単だ。
『謎』である。
ふしぎなもの、胡散臭いものがあればそこに引き寄せられ、熱中する。それが探偵である。
もしも、モリアーティ教授や怪人二十面相のような『名犯人』的人物が現実にいるとするのならば……おそらく、彼らは『名探偵』に『愛される』のだろう。
恋人なんかよりもずっとずっと深いところで、物語の奥底で結ばれる。
それが『探偵』と『犯人』の関係性なのだ。
あれから、ふしぎなことに、人を殺そうとは思わなくなった。もともと、ミステリー研究会は、幽霊部員を除けばたった四人ぽっちの小規模サークル……一旦殺してしまうと、その後、欲を満たせなくなるという問題については、前々から懸念があった。一度計画を実行しただけで、最悪、廃部になってしまう。コストパフォーマンスがあまりに最悪だ。部員を生かしておけば、露見しないかぎりは何度でも犯罪に挑める。
今にして思えば、やはり、大門詠江は名探偵だ。
起こるはずだった『ミステリー研究会殺人事件』を未然に防ぐことができたのだから。
殺人の代わりと言ってはなんだが……今は、彼女をあっと言わせるための計画を練っている。人を殺すよりも、もっとずっとスリルがあって、推理しがいがあって、あの大門にも勝てるような犯罪の計画だ。
私は自分の犯罪願望を満たし、他人を騙して快楽を得る。
彼女は名探偵として役割を果たし、生きている実感を得る。
Win-Winの関係。
きょうも、キャンパスで私を見つけた大門は、小走りに近寄ってきてこう耳打ちする。
「なあ、なまえくん。例の計画はまだか? 最近、他の部員があまり来なくて、暇なんだが」
どこか艶のある声でそう言われて、背筋がぞくぞくした。
どうやら彼女も、『謎』や『犯人』という誘惑には逆らえないらしい。
そして、私も。
『名探偵』に事件をぶつけてみたくて、仕方がない。
そんな内心を押し隠しながら、とりあえずは冷静なふりをする。
「どこの世界に、犯人に事件を催促する探偵がいるんですか」
「早くしないと、私は卒業してしまうぞ。そのときは留年すればいいのか?」
「落ち着いてください。私、大門先輩に勝ちたいんです。だから……」
今度は私が、彼女の耳元でこう囁いた。
「待っていてください。悪いようにはしませんから……ね?」
彼女はそれを聞いて、身を震わせ、頬を紅潮させてから、勇ましい戦士のようにこう答えた。
「ああ。いつまでも待つさ。私はきみのために生まれてきたのかもしれないからな」
彼女は『名探偵』で、私は『犯人候補生』。
まるで甘やかな恋のようなふたりの関係は、あくまでもこれから始まる。
彼女こそが名探偵
20190903
リクエストボックスより、大門先輩の百合夢です。いうほど百合じゃなくてごめんなさい。
大門先輩はつむろじにおいて、『導く者』だと勝手に思っているので、夢主のことも導いてほしいな~という思いからこんな感じになりました。
リクエストありがとうございました!