「欲しいのは幸せでも現実でもなくて、あなた。」
氾濫
「七夕とか、くだらないだろ。迷信に踊らされて、馬鹿みたいじゃないか」
「……こらっ!」
彼女は軽快にぼくの頭を叩いた。普段、そんな風に暴力をふるわれることはないので、一瞬意識がそれた。
「そんなロマンのないこと言っちゃだめでしょう」
「……なんでそんなに必死なんだよ」
頭をさすりつつぼくが問いかけると、彼女はぼくに顔を近づけてこう言った。
「乙姫と彦星が出会える日なんだよ!大切なんだよ」
「乙姫じゃなくて織姫だろ。大切なら間違えるなよ」
呆れた声音でぼくが言うと、あげ足を取られた彼女はむっすりとした顔になった。
「大切なのはそういうのじゃなくて、一年に一度だけ恋人が出会えるってところ!」
「一年に一回じゃ、浮気しててもおかしくないよな」
また叩かれるかと思ったが、彼女は手を出さなかった。
ふと視線を移してみると、彼女は小さく震えながらうつむいていた。やべえ、やりすぎた。
女の子ってやつは繊細だ……男でも安藤みたいに繊細な奴はいるけど、女の子のそれは予測が不可能だ。何せ、ぼくはリアルの女の子っていうやつをほとんど知らないのだから。経験値がゼロなのだ。
「忠志くんは、一年会わなかったら浮気しちゃうんだ……」
う、とぼくは言葉に詰まった。そういう風に考えてしまうのか。思考の飛躍が読めない。
「浮気なんかしない」
ぼくは慌ててそう言ったが、なんだか言い訳めいて響いた。
無言で顔をあげた少女は涙目で、ぼくはとてもうろたえた。
「だいたい、ぼくに浮気の相手なんているわけないだろ。逃亡犯なんだぞ」
「相手がいたら浮気するの?」
無邪気ながらも真剣な声だった。
「しないってば」と言いつつ、ぼくは彼女の目を覗き込む。
「ぼくには妙子しかいないって何度も言ってるだろ。生まれたときから……いや、生まれる前からずっと一緒なんだ。運命共同体の双子なんだから」
ぼくは頑張って力説した。彼女が一瞬だけ寂しそうな表情になったような気がした。「ずーっと一緒なんだよね。忠志くんの中では、そうなんだよね」……そんなよくわからない言葉が聞こえたような気がしたが、ぼくは自分の中でそのセリフを聞かなかったことにした。だって、妙子がそんなことを言うはずがないから。その不可解な言葉は記憶からデリートされて、その次の瞬間にはもう、なかったことになった。
そして、彼女は機嫌を直してくれたらしく、にっこり艶やかに笑った。よかった、いつもの妙子だ。ぼくの妹だ。
「運命共同体って素敵な言葉だよね。これからも、ちゃんと一緒にいてくれる?」
妙子がそう言ったので、ぼくは微笑みを返した。
そうだ、もしもぼくらが織姫と彦星だったとしても。
一年に一度しか会えない運命などぶち壊してやる。
決められた仕事などくだらないと、天帝の前で言いきってやる。
ぼくらは他の何を捨てたとしても、一緒に生き抜いてやろうと誓ったのだから。
運命共同体の双子の妹のためならば、ぼくはきっと、運命すらも捨てられるのだ。
100713
金田くん視点にしてみた七夕話。
すれ違いこそが幸せなのではないかと思う二人。