フレンチクルーラーみたいな恋をしよう

 どうも、妙な星の下に生まれついてしまったらしい。
 わたしの難儀な体質は、数年前に突然発症した。なんらかの病気、あるいは異能であるとしか思えないそれは、わたしの人生を確実に蝕んでいる。
 どんな体質かと問われたならば、『不幸体質』と答える。『怪我をしやすい体質』と言い換えたほうがいいだろうか。『怪我』という特定の不幸のみが、ありえないほどの高頻度でわたしに降りかかってくる。きのうは、階段の上から巨大な業務用ポリッシャーが落ちてきて右肩を痛めたし、その前の日には電車の来る前のホームから転落した。幸いにして、電車がホームに入ってくる前に助け出されたが、落下のショックで足を折ってしまった。こんなことが毎日毎日つづくのだから、いやになる。コストパフォーマンスの面では、あのとき電車に轢かれていたほうがよかったかもしれない。

「わたし、なにか悪いことでもしちゃったのかな?」
 と、知り合いの戯言遣いに聞いてみたことがある。彼の答えはこうである。
「さあ、べつになにもしてないんじゃないかな。仮になにかしてしまっていたとしても、今からじゃどうしようもないよね」
 彼はいつだって、こうやってのらりくらりとした受け答えをする。
 しかし、このつかみどころのない青年のおかげで、わたしは運命の相手に出会えたのだから……わがままは言うまい。
 わたしの『不幸体質』を知った戯言遣いは、まず医者を紹介してくれた。腕のいい医者がいれば、怪我をしても死なずには済むだろうという気遣いである。
 わたしはその医者に、一目惚れしてしまったのだった。

 その腕利きの医者は、いつだって、わたしに電話をかけてきては、電話口でひたすら泣いている。
「ぐすっ……きょうは、電話してくれないんだね……あ、あたしなんて、お、お呼びじゃないんだね……あたしのこと、嫌いになっちゃったのかな……」
「あの、べつに嫌いになってなんかいませんから。たまたま、きょうはそんなに怪我しなかっただけです」
「で、でも、ここ数日はずっと、呼んでくれてたのに、うっ、ぐすっ、きょうは呼んでくれないなんて、絶対、あたしのふるまいが気に食わなかったんだよね……あたしとは話したくないんだよね……あたし、無神経だったね……調子に、乗りすぎちゃったよね……ごめんね、ごめんなさい……許して……」
 め、めんどくせええ!!と叫び出したくなるほどの被害妄想っぷりだが、これがわたしの想い人である絵本園樹、通称『ドクター』である。死んでさえいなければたいていの人間を治すことができる、万能の天才ドクター……であるはずなのだが、性格に歪みが生じすぎていて、あまり尊敬できるような雰囲気ではない。むしろ、みんなから憐れまれているようだ。件の戯言遣いも、ちょっとおもしろがって、遠くから観察しているようだった。

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 さて、きょうはその戯言遣いのところへ、相談にやってきている。ドクターの件についてだ。
「あのさあ、いー兄さん。わたし、絵本さんのことが好きなんだけれど。告白してみてもいいかな?」
「ダメ。絵本さんはぼくのだ」
「あんたには玖渚ちゃんがいるでしょうが」
 まったく、この男は……。臆病そうに見えるのに、案外、下心を隠さないところがある。そういえば、この彼も絵本園樹を気に入っているんだっけ……。頻繁に怪我をするらしいし、わたしとキャラかぶってるんだよなあ。ドクターからも、やっぱり似たような人だと思われているのだろうか。
「いー兄さんは、女の子が女の子を好きになったら、いけないと思う?」
「さあ……別にいいんじゃない? それにともなう社会的な重圧とか、世間の目とか、そういうものを気にするなら、大変かもしれないけどね」
 わたし自身は、そういった他人の視線や世間体のようなものは、あまり気にしない。というか、この『不幸体質』のせいで、じゅうぶんに奇異の目で見られているため、これ以上そういう目で見られても、たいして変わりがない。
 ドクターはどうだろうか……と考えてみる。彼女は他人の視線を異様に気にする。が、水着で平然と出かけることのできる豪胆さも併せ持っている。わたしに告白されて、彼女がどう行動するのか……それは、予想できなかった。
 女性が女性を好きになることについて、彼女がどう思っているのかはわからない。
 恋ではなく、恩や思い込みだと言われてしまうかもしれない。しかし、恩を恋と勘違いして、なにが悪いというのだろうか。世の恋の大半は、恩、憧れ、思い込み、勘違い、そういう性質のものだと思う。だから、絶対にこの気持ちを恋ではないなどとは言わないことにしている。わたしは、絵本園樹に恋しているのだ。
 この気持ちをすっきりと昇華させるには、やっぱり告白をするしかない。
「失敗するかもしれないのに、よく危険な場所に飛び出していくね。そんなだから、怪我をするんじゃないかな」
 そんな戯言遣いの助言を華麗に聞き流し、彼女のところへ行くことにした。

 絵本園樹は、ミスタードーナツの一番奥の席で、フレンチクルーラーを大量に積みあげていた。周囲の人々は「え、これ、ぜんぶこの人が食べるの?うそでしょ?」という顔で見ている。そんな視線は気にせずに、むしゃむしゃと幸せそうに食べる表情が愛らしい。彼女はわたしを見ると、小さく手を振った。
なまえちゃん。こ、このフレンチクルーラーはあたしのだよ? あげないからねっ」
 開口一番、涙目で懇願された。
「べつにいらないですよ。わたし、オールドファッションとハニーディップ派なんです」
 自分のドーナツの載ったトレイをテーブルに置いて、彼女の向かいに座る。
 そして、深呼吸をひとつ。心臓がバクバクしてきた。
 さあ、言うんだ。言って、世界が終わってしまうとしても……やっぱり言わなければならない。
「わたし、ドクターのことが、好きです。ドクターさえよかったら、お付き合いしてください」
「すき……? あたしを……?」
 彼女の表情が完全に止まった。
 数十秒後、急速に真っ赤な顔になった彼女は、わたしを見つめてぶつぶつ、なにか言い始めた。
「あたしのことが好きな人なんているはずない……あ、あなたは、あたしに怪我を治してもらってるから、それを恩のように感じて、それで、打算で、あたしに告白してくれただけ……あるいはお金が目当てとか、騙そうとしているとか……ああいやだ、ちょっとでも嬉しいと思っちゃったあたしってばかみたい、そんなだから、騙されるんだ……も、もう二度と、騙されないって決めたはずなのに、すごく嬉しくなっちゃって、あ、あたしもう死んでやる……死ぬんだ……」
 非常にわかりづらいが……どうやら、嬉しがっているらしい。わたしは、胸をなでおろした。
「騙してないですよ。わたし、ほんとうにドクターが好きなんです」
「う、うそだ……うそです。そんなことあるはずない。こ、こんな、」
 彼女の顔の赤みがどんどん増していく。目には涙がたまりはじめていた。
 そんな反応がとてもかわいらしくって、笑んでしまう。
「最初に会ったとき、わたしに言ったことを覚えてますか?」
「最初? ……たしか、階段から落っこちたときだよね」
「ええ。階段からまっさかさまに落ちて、手と足が折れちゃったわたしに、ドクターは小声でこう言ったんですよ。『すごい、両方とも折れてるなんて、治しがいがある。昇天しそう』って」
「そんなこと言ったかな……? ご、ごめんね、怪我している人の前で不謹慎だったよね、ごめんなさい、許して、なんでもするから……ぶたないで……ぶたれるのはいや……っ!」
 彼女にしてみれば、わたしはたくさんいる患者のうちのひとりにすぎなかった。今でも、そうなのかもしれない。
 でも、わたしにとっては、医者は彼女ひとりだけ。
 彼女は、特別なのだ。わたしの怪我を治してくれるのはいつだって、彼女だった。
 その関係にいつしか、甘い魅惑を感じていた。彼女の手が、わたしの怪我に触れるたびに……特別な関係なのだと錯覚したくなってしまう。ほんとうは、そんなことは考えてはいけないのに。不謹慎なのは彼女ではなく、わたしのほう。
「ぶちませんから、顔をあげてください。そのドクターの独り言を聞いて、わたし、嬉しくなってしまったんですよ。わたしが怪我をすると、周囲の人はみんな、わたしをゴミを見るみたいな目で見るんです。それが何日も何ヶ月も何年もつづいて、ほんとうにいやになってた。好きで怪我しているわけじゃないのにって。でも、ドクターはわたしの怪我を祝福してくれた。必要としてくれた。それがすごく……嬉しかったんです」
「あたしだってね、嬉しかったよ」
 絵本園樹は、わたしの目を見つめて、話しだす。
 フレンチクルーラーの山に手をつけることもせず、一生懸命に。
なまえ ちゃんは、いつも、あたしに、ありがとうって言ってくれる。あたしの治療を、心待ちにしてくれる。医者ってさ、不幸なときにしか、出会えないものでしょ? だから、みんな不幸そうな顔で、あたしのことを見るんだ。でも、なまえちゃんは違うよね。……怪我しても、幸せそう」
「だって、ドクターに会えるから」
 と言って、にっこり笑ってみせた。
「ふふ。なんだか、楽しくなってきちゃった。あたしも、なまえ ちゃんのこと、好きかもしれない」
「じゃ、お付き合いしてくれますか?」
「うん、いいよ。あ、あたしのことなんて、三日でいやになっちゃうと思うけど……その未来を考えるだけで、うっ、も、もう泣いちゃいそうだけど……あたしのことなんて、絶対好きなんかじゃ、ないんだろうって、なにかの罠かもしれないって思っちゃうけど……でも、でもっ、あたし、負けない。負けないから……」
 いつものネガティブな長台詞が始まりそうだったので、いそいで制した。
「いやになったりしませんし、罠でもないですよ。ドクターのこと、大切にしますね」
 ふたりで笑いあいつつ、彼女のフレンチクルーラーと、わたしのハニーディップを交換し、一個ずつ食べた。食べ慣れない味のせいだろうか、彼女はちょこんと首を傾げて、なにか考え込んでいた。このリスのようなかわいらしい女性と、きょうから恋人同士になるのだと思うと、わくわくしてきてしまう。
 穴のあいた、丸いものを交換するなんて……まるで結婚の儀式のようだ。
 彼女にもらったフレンチクルーラーは、脳に突き抜けそうなほど甘い味がして、まるで恋そのもののようだった。
 こうして、わたしは絵本園樹の恋人になった。
 彼女がとなりにいてくれるのならば、どんな怪我だって怖くはない。
 甘い恋は、どんな痛みも容易に打ち消してくれるのだから。

20170202