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2022年8月11日
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2022年8月11日(木)
森山 慎「鍋に弾丸を受けながら」の2巻が発売した。
すごく大好きな作品なので、ちょっとずつ読んでいる。
作品の話をする前に、実話系の漫画への自分のスタンスと向き合っておこう。
他者を中心に描くエッセイ漫画は暴力である、という話をよくしているような気がする。
だからといって、すべてのエッセイ漫画が嫌いであるわけではもちろんない。
その暴力性を自覚しながら、できるだけ気をつけて暴力にならないように描いているエッセイ漫画については、すごく好きになるというだけだ。
「他人を漫画にする」という行為は、時に暴力的であり暴露的である。
たとえば、守秘義務のある接客業を題材にした漫画で、ちょっとおかしな客の話を赤裸々に描いたり。
かつての友人の話を、友人に無断で描いたり。
どう考えても本人の許可を取らないままで悪し様に描いているだろう、と思えるようなエッセイ漫画は世の中にたくさんあふれていて、こういう作品は苦手だ。
相手を論破してやりこめてやった、というような内容だと、さらに嫌な気持ちになる。
そこまで行かなくとも、エッセイ漫画では、嫌いな相手をブサイクに描くこともできるし、描き手に都合のいい作り話を描くこともできる。
場所と容姿と名前という情報が用意されていれば、読者がその人本人にたどり着いてしまうこともあるかもしれない。
アマチュアのSNS漫画などではたまに起こることだけれど、意図的に読者を扇動して、気に入らない人物を攻撃させることも可能だろう。
作者の視点で描いている以上、完全なノンフィクションではありえないし、事実に対してフェアではありえない。
でも、一見は完全なノンフィクションとしてふるまってもいる……少なくとも、自分から「これは嘘ですよ」と謳っているエッセイ漫画は少ないだろう。
『本当』っぽく見えてしまうからこそ、漫画化される他者に対して、誠実な態度を取らなければならないのではないかと思う。
矢部太郎の「大家さんと僕 これから」では、「自分が描いた大家さんは、あくまでも自分自身のフィルターや漫画的演出込みの存在であり、実際の大家さんとは違う『フィクション』である」という内容の言及がなされていて、すごく丁寧に人と(そして漫画が及ぼす影響と)向き合っていると感じた。
漫画が有名になればなるほど、モデルとなった人物のところに、漫画と同じようなふるまいを求める人が訪れるはずだ。
読者にとっては、その人物は現実ではなくキャラクターだ。
そういう状況になったとき、その人物がどんな思いを抱くのか。不愉快にはならないだろうか……。
そこまで作者が想像してこそ、きちんと責任を持ってこそ成り立つジャンルだと思う。
さて、「鍋に弾丸を受けながら」は非常に誠実に世界と向き合うリポート漫画である。
語り手は、世界中の危険な地域を旅しながら、その土地でしか食べられない至高の食を追い求める。
その旅の過程のリアルさ、日本にいるだけでは絶対に食べられない危険なグルメ、そして旅先で出会う人々との絆が魅力的だ。
しかし、この硬派な作品のなかで、たったひとつだけ、非現実的な設定がある。
「主人公は、二次元の過剰摂取によって脳が壊れている。そのせいで、すべての人間が美少女に見える」という設定である。
なにも知らない人は、この設定を、漫画の見た目を萌え系にするための商業的策略だと思うかもしれない。
でも、これは旅先で出会った人のプライバシーを保護しつつ、どうしても『その人物の容姿が読者にとって好ましいかどうか』という余計な情報が発生しがちな漫画において、それを発生させないという、非常に倫理的な追加設定である。
中年であろうと、子どもであろうと、老人であろうと、もともとどんな容姿の人であろうと、女性であろうと、男性であろうと、鏡に映る自分自身も含めて、すべてが等しく『美少女』になる。
そこにはモデルとなった人物に対してのルッキズムのジャッジは存在しないし、読者に勝手なジャッジをさせることもない。
なぜなら、全員の容姿が等しく『嘘』だから。
『嘘』で覆い隠すことで、その人物そのものには読者がたどり着かないように、配慮されている。
語り手が旅先で出会う友人たちのなかには、裏社会のすぐそばで生きているような人もいる。
そういう、プライバシーを暴露されてはまずいかもしれない人の容姿について、読者に情報を与えないという作品構造がすごくよくできている。
実在の人物を題材にし、公に発表するというのなら、これくらいの熱量で向き合うことが理想なのではないだろうかと個人的には思う。丁寧すぎるくらいでちょうどいい。
そうして、旅で出会った人々への敬意を払っていることがわかるからこそ、「鍋に弾丸を受けながら」の表現のリアリティは増していくのだと思う。
危険な場所で出会い、心を通わせあい、美食をともにしたことへの感謝の気持ちをちゃんと持っているからこそ、漫画にするにあたって、彼らを最大限に尊重しているのだろう。
#読書
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すごく大好きな作品なので、ちょっとずつ読んでいる。
作品の話をする前に、実話系の漫画への自分のスタンスと向き合っておこう。
他者を中心に描くエッセイ漫画は暴力である、という話をよくしているような気がする。
だからといって、すべてのエッセイ漫画が嫌いであるわけではもちろんない。
その暴力性を自覚しながら、できるだけ気をつけて暴力にならないように描いているエッセイ漫画については、すごく好きになるというだけだ。
「他人を漫画にする」という行為は、時に暴力的であり暴露的である。
たとえば、守秘義務のある接客業を題材にした漫画で、ちょっとおかしな客の話を赤裸々に描いたり。
かつての友人の話を、友人に無断で描いたり。
どう考えても本人の許可を取らないままで悪し様に描いているだろう、と思えるようなエッセイ漫画は世の中にたくさんあふれていて、こういう作品は苦手だ。
相手を論破してやりこめてやった、というような内容だと、さらに嫌な気持ちになる。
そこまで行かなくとも、エッセイ漫画では、嫌いな相手をブサイクに描くこともできるし、描き手に都合のいい作り話を描くこともできる。
場所と容姿と名前という情報が用意されていれば、読者がその人本人にたどり着いてしまうこともあるかもしれない。
アマチュアのSNS漫画などではたまに起こることだけれど、意図的に読者を扇動して、気に入らない人物を攻撃させることも可能だろう。
作者の視点で描いている以上、完全なノンフィクションではありえないし、事実に対してフェアではありえない。
でも、一見は完全なノンフィクションとしてふるまってもいる……少なくとも、自分から「これは嘘ですよ」と謳っているエッセイ漫画は少ないだろう。
『本当』っぽく見えてしまうからこそ、漫画化される他者に対して、誠実な態度を取らなければならないのではないかと思う。
矢部太郎の「大家さんと僕 これから」では、「自分が描いた大家さんは、あくまでも自分自身のフィルターや漫画的演出込みの存在であり、実際の大家さんとは違う『フィクション』である」という内容の言及がなされていて、すごく丁寧に人と(そして漫画が及ぼす影響と)向き合っていると感じた。
漫画が有名になればなるほど、モデルとなった人物のところに、漫画と同じようなふるまいを求める人が訪れるはずだ。
読者にとっては、その人物は現実ではなくキャラクターだ。
そういう状況になったとき、その人物がどんな思いを抱くのか。不愉快にはならないだろうか……。
そこまで作者が想像してこそ、きちんと責任を持ってこそ成り立つジャンルだと思う。
さて、「鍋に弾丸を受けながら」は非常に誠実に世界と向き合うリポート漫画である。
語り手は、世界中の危険な地域を旅しながら、その土地でしか食べられない至高の食を追い求める。
その旅の過程のリアルさ、日本にいるだけでは絶対に食べられない危険なグルメ、そして旅先で出会う人々との絆が魅力的だ。
しかし、この硬派な作品のなかで、たったひとつだけ、非現実的な設定がある。
「主人公は、二次元の過剰摂取によって脳が壊れている。そのせいで、すべての人間が美少女に見える」という設定である。
なにも知らない人は、この設定を、漫画の見た目を萌え系にするための商業的策略だと思うかもしれない。
でも、これは旅先で出会った人のプライバシーを保護しつつ、どうしても『その人物の容姿が読者にとって好ましいかどうか』という余計な情報が発生しがちな漫画において、それを発生させないという、非常に倫理的な追加設定である。
中年であろうと、子どもであろうと、老人であろうと、もともとどんな容姿の人であろうと、女性であろうと、男性であろうと、鏡に映る自分自身も含めて、すべてが等しく『美少女』になる。
そこにはモデルとなった人物に対してのルッキズムのジャッジは存在しないし、読者に勝手なジャッジをさせることもない。
なぜなら、全員の容姿が等しく『嘘』だから。
『嘘』で覆い隠すことで、その人物そのものには読者がたどり着かないように、配慮されている。
語り手が旅先で出会う友人たちのなかには、裏社会のすぐそばで生きているような人もいる。
そういう、プライバシーを暴露されてはまずいかもしれない人の容姿について、読者に情報を与えないという作品構造がすごくよくできている。
実在の人物を題材にし、公に発表するというのなら、これくらいの熱量で向き合うことが理想なのではないだろうかと個人的には思う。丁寧すぎるくらいでちょうどいい。
そうして、旅で出会った人々への敬意を払っていることがわかるからこそ、「鍋に弾丸を受けながら」の表現のリアリティは増していくのだと思う。
危険な場所で出会い、心を通わせあい、美食をともにしたことへの感謝の気持ちをちゃんと持っているからこそ、漫画にするにあたって、彼らを最大限に尊重しているのだろう。
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