2022年11月1日の投稿[1件]

ヒオカ「死にそうだけど生きてます」を読了。

貧困家庭で虐待されて育ち、おとなになってもその影響を引きずりつづける著者による半生の記録と、日本社会の抱える問題について書いた本。
いつしか日本社会に溶け込んでしまった『自己責任』というよくない概念と、その裏で踏みつけにされつづける貧困者の姿を丁寧に語っていて、具体的ですごくわかりやすかった。

高校の制服が買えない。
参考書が買えなくて勉強ができない。
大学の飲み会に行けない。
流行についていけない。
新しい下着や洋服が買えない。
成人式に着ていく振り袖がない。
家賃の予算は3万円で、ぼろぼろのシェアハウスにしか住めない。
問題が起きて引っ越ししようとしても、やはりその先もシェアハウス。
すべては、お金がないから。

そういったちょっとした不具合がいたるところに散りばめられた人生では、すこしの体調不良ですら、命を脅かす出費となりうる。入院先の病院で「これ以上入院していたら破産してしまう」と言って泣くくだりは本当に悲しくて、つらかった。

『子どもの貧困は救うべきだが、20歳を超えているなら自己責任だ』など、驚愕するような残酷で想像力のない意見が著者のところへ届いているのを見て、やっぱりこの国は致命的に病んでいるのかもしれないと思う。20歳で急に人生や環境が切り替わることはなく、子どもの貧困と大人の貧困は完全に地続きである。

人生の初期パラメータは、どんなに努力しても埋めることのできない格差である。
最低限の教育が受けられるかどうかも、いい学校へ行けるかどうかも、奨学金を借りずに大学に行けるかどうかも、たいていは生まれたときの環境によって、ほぼ決まっている。
学力そのものは努力で伸ばせても、『学力を努力で伸ばせる程度に恵まれた勉強環境』は努力しても手に入らない。
静かな勉強部屋があるとか、四六時中怒鳴りつけてくる親がいないとか、ヤングケアラーでないとか、親がきちんとした食事を三食つくってくれるとか、親の収入が充分であるとか……そういった環境を当たり前に手にしている人は、それが恵まれているとは気づかないだけだ。
努力で格差を埋められるような逆転劇は、誰にでもできることではない。むしろ、珍しい部類のものだからこそ話題になる。

恵まれている人ほど、自分の現在の社会的地位は『自らの努力で勝ち取ったもの』だと思いたがる。
手に入れられなかった人に対し、『努力が足りなかった』『自己責任だ』と思いこんでしまう。その考え方こそが、格差を余計に広げていくのに。
自分の強者性に自覚的になりながら、弱者性とも丁寧に向き合っていきたいと思える、そんな本だった。

#読書

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