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2024年2月25日
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2024年2月25日(日)
映画「かがみの孤城」(2022)を見た。原作は未読。
学校に行くことができない少年少女たち7人が集まる、鏡の中のふしぎな異世界に建てられた城。
その城には、願いの鍵と呼ばれる鍵が存在しており、それを見つけることができれば、なんでも願いが叶う。
期限は一年間。城に行けるのは、朝の9時から夕方の5時……ちょうど、彼らが学校へ行くはずの時間だ。
中学生であるということ以外に共通項がないはずの7人は、お互いにシンパシーを覚えながら、不器用に距離を縮め、城での一年間を過ごしていくが……。
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いくつかの仕掛けがきれいに決まるラストが気持ちいい、ファンタジーミステリー映画。
それぞれが不登校になった理由がかなりえげつないのだが、それゆえに、最後に前を向いて歩きだせたシーンはグッとくる。
一応、学校であったいじめを主軸としたお話なのだが、「加害者/被害者」という二項対立で人間を切り分けていないところが奥深いと思った。
いじめを受けたり、不当な差別を受けたりして学校に行けていない人ばかりがいるはずの孤城のなかで、ウレシノという名の少年が「こいつには冷たくしてもいいかな」という扱いを受けているシーンでは、視聴者も背後から刺されたような感覚があった。
いじめで不登校になったはずの主人公・こころが「たしかにウレシノにはこういう扱いをしてもいいと思っていた」と自分で気づいて反省するというシーンがあり、この流れはすごく大事な意味を持っていると思う。
いじめはいじめっ子を断罪すれば綺麗サッパリ片付くとか、いじめられっ子はいじめをしないというように思いがちだけれど、実際はたぶん、そんなことはない。
いじめられるつらさを知っているはずの彼らですら、他人に冷たくしたり、ハブったりすることをやめることはできていないのだ。だから、7人しかいない孤城というコミュニティの内部にも階層ができてしまっている。
誰の中にもそういう行動に至る因子があって、現実の世界ではたまたま、彼らがハブられる側に位置していたというだけなのだろうな、と思わせる棘のあるシーンで、これは物語全体へのスパイスとしてよく効いているように思う。
そのうえで、その後はウレシノとの仲を丁寧に修復していっているのも誠実で好きだったりする。
不登校児をケアする方法について、かなり丁寧に描かれているのは物語に説得力が出ていてよかったと思う。
特に、加害者の言い分だけを聞いて被害児童の家に担任の教師がひとりで押しかけてくるシーンは印象に残る。
映画の外側の現実でも、こうやってなかったことにされるいじめがたくさんあるんだろうなと思わせるし、だからこそ、被害児童と加害児童が無理やり対面させられるよりも前に、教師の訴えを突っぱねた母親の勇気ある行動に胸打たれる。
こころは、一度折れた精神を修復して、新たな道へと歩みだす。
この過程のなかで、加害児童の反省や懲罰といった要素はまったく描かれない。
他の不登校児たちに関しても、ただ前へ進んでいくという描写があるのみで、彼らを不登校にしてしまった元凶がどうなったかという話はまったくない。
でも、悪を罰することで折れた心がもとに戻るわけではない。
あくまで、傷ついた心を癒やすことが一番大切なこと。心を治すことができるのは、自分自身だけだ。
だれかを傷つける嫌な人は、他のコミュニティに移っても、必ず存在している。そのことは、ウレシノの件からもよくわかる。
ならば、この場でいじめっ子を断罪したとしても、転校したとしても、フリースクールに通ったとしても、結局は別のどこかで同じことが起きるかもしれない。最後には自分の心と向き合わなければならなくなる。
視聴者としては、加害児童にも痛い目にあってほしいという欲望を持たずにはいられないが、その「因果応報が見たい、決着がつかないともやもやする」という欲望もまた、仄暗い加害性をはらんでいるという視点は忘れずにおきたいと思う。
傷ついた心を癒やし、ふたたび歩きはじめるための秘密のキャンプ地のような孤城の物語に、そういう加害性を持ち込まないようにしたい。
できるなら、喜多嶋のように、自分の傷を優しさに変えて、その優しさでいろんな子どもたちを包み込めるような、そういう生き方がしたいなと思った。
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その城には、願いの鍵と呼ばれる鍵が存在しており、それを見つけることができれば、なんでも願いが叶う。
期限は一年間。城に行けるのは、朝の9時から夕方の5時……ちょうど、彼らが学校へ行くはずの時間だ。
中学生であるということ以外に共通項がないはずの7人は、お互いにシンパシーを覚えながら、不器用に距離を縮め、城での一年間を過ごしていくが……。
いくつかの仕掛けがきれいに決まるラストが気持ちいい、ファンタジーミステリー映画。
それぞれが不登校になった理由がかなりえげつないのだが、それゆえに、最後に前を向いて歩きだせたシーンはグッとくる。
一応、学校であったいじめを主軸としたお話なのだが、「加害者/被害者」という二項対立で人間を切り分けていないところが奥深いと思った。
いじめを受けたり、不当な差別を受けたりして学校に行けていない人ばかりがいるはずの孤城のなかで、ウレシノという名の少年が「こいつには冷たくしてもいいかな」という扱いを受けているシーンでは、視聴者も背後から刺されたような感覚があった。
いじめで不登校になったはずの主人公・こころが「たしかにウレシノにはこういう扱いをしてもいいと思っていた」と自分で気づいて反省するというシーンがあり、この流れはすごく大事な意味を持っていると思う。
いじめはいじめっ子を断罪すれば綺麗サッパリ片付くとか、いじめられっ子はいじめをしないというように思いがちだけれど、実際はたぶん、そんなことはない。
いじめられるつらさを知っているはずの彼らですら、他人に冷たくしたり、ハブったりすることをやめることはできていないのだ。だから、7人しかいない孤城というコミュニティの内部にも階層ができてしまっている。
誰の中にもそういう行動に至る因子があって、現実の世界ではたまたま、彼らがハブられる側に位置していたというだけなのだろうな、と思わせる棘のあるシーンで、これは物語全体へのスパイスとしてよく効いているように思う。
そのうえで、その後はウレシノとの仲を丁寧に修復していっているのも誠実で好きだったりする。
不登校児をケアする方法について、かなり丁寧に描かれているのは物語に説得力が出ていてよかったと思う。
特に、加害者の言い分だけを聞いて被害児童の家に担任の教師がひとりで押しかけてくるシーンは印象に残る。
映画の外側の現実でも、こうやってなかったことにされるいじめがたくさんあるんだろうなと思わせるし、だからこそ、被害児童と加害児童が無理やり対面させられるよりも前に、教師の訴えを突っぱねた母親の勇気ある行動に胸打たれる。
こころは、一度折れた精神を修復して、新たな道へと歩みだす。
この過程のなかで、加害児童の反省や懲罰といった要素はまったく描かれない。
他の不登校児たちに関しても、ただ前へ進んでいくという描写があるのみで、彼らを不登校にしてしまった元凶がどうなったかという話はまったくない。
でも、悪を罰することで折れた心がもとに戻るわけではない。
あくまで、傷ついた心を癒やすことが一番大切なこと。心を治すことができるのは、自分自身だけだ。
だれかを傷つける嫌な人は、他のコミュニティに移っても、必ず存在している。そのことは、ウレシノの件からもよくわかる。
ならば、この場でいじめっ子を断罪したとしても、転校したとしても、フリースクールに通ったとしても、結局は別のどこかで同じことが起きるかもしれない。最後には自分の心と向き合わなければならなくなる。
視聴者としては、加害児童にも痛い目にあってほしいという欲望を持たずにはいられないが、その「因果応報が見たい、決着がつかないともやもやする」という欲望もまた、仄暗い加害性をはらんでいるという視点は忘れずにおきたいと思う。
傷ついた心を癒やし、ふたたび歩きはじめるための秘密のキャンプ地のような孤城の物語に、そういう加害性を持ち込まないようにしたい。
できるなら、喜多嶋のように、自分の傷を優しさに変えて、その優しさでいろんな子どもたちを包み込めるような、そういう生き方がしたいなと思った。畳む
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