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2024年1月27日(土)
2024年1月26日(金)
映画化も決まったらしい、名探偵津田シリーズの第一弾をようやく見る。
フィクションの世界に突然放り込まれたら、人はどう振る舞うのか?
脱出条件がわからないなかで、チュートリアルキャラたちに導かれ、ものぐさ芸人は名探偵となる。
メタの世界で推理をさせられるのが楽しすぎる。
ある種のシンデレラ・ストーリーで、普段は悪態をついていじられてばかりの津田さんが、いつのまにか伝説の名探偵となってしまうというコンセプトが非常におもしろくて、見入ってしまう。
普通に生きている人は、生活のなかで「これはフラグだな」とか「証拠になるな」とは思わないので、「思い出してみてください。なにかあるはずです」なんて言われても、たぶん思い出さないんじゃないかと常日頃から考えているんだけれど、津田さんが一生懸命考えた末、ちゃんと思い出せるシーンでは毎回笑ってしまう。
ミステリー好きがやりたくてしょうがない「ドラマの探偵役」を、やりたくないのに無理やりやらされているという滑稽さも大変に好きで、たまらない。
ドッキリ企画がやや苦手で、「水曜日のダウンタウン」はたまにしか見ないのだが、メタの視点からドッキリの構造を紐解いていく名探偵津田シリーズ、どうにかこの先も続いてほしいなと思う。
ドッキリの本質は、嫌がらせやビックリ要素ではなく、現実と地続きの『フィクション』であることで、スタジオにいる芸人たちは『ドラマを見ている視聴者』だと捉えているの、あまりない冷静な着眼点だよな。オシャレだ。
#お笑い
2024年1月25日(木)
「ドラえもんのどら焼き屋さん物語」の発売が楽しみすぎる。
ドラえもんとドット絵の相性が最高によくて、見ているだけで癒やされそう。
販売プラットフォームのなかにPlayStationが入っていないのがやや不安だが、もしなかったらSwitchとSteamのどっちで買おうか、悩むなあ。
カイロソフトのドット絵で版権コラボをやるという発想がすごく新しく感じたし、かなり驚いたけど、ここまで高度なかわいさが発揮されるのであれば、ほかのジャンルともコラボしてほしくなってしまうなあ。
#ゲーム
2024年1月24日(水)
「スクエニの創りかた」の河津さん回を見た。
ロマサガハマりたての人間としては、こういう感じであのへんてこなゲームが完成しているのか……!と興味深かった。
RPGにおいて、プレイ時間の大半をしめるのはシナリオではなくバトルであり、一番力を入れているのはバトルだ、と述べているところが好きだったなあ。
誰がやっても同じになるシナリオをたどるだけなら、映画を見ていればいいだけ。ゲームである必要性はない。
そうではなくて、プレイヤー固有の体験を促したい、というくだりにはおおいに共感した。
最近のRPG超大作はシナリオ偏重なものが多いと思うが、単なる映画のようなものにならないためには、やはりゲームに固有ななにかの要素が必要だろう。
それが、サガシリーズにおいてはフリーシナリオとバトルだった。
自分がロマサガ2・3やサガフロにハマった理由も改めてわかった気がして、すっきりした。
#ゲーム
2024年1月23日(火)
数回前に魂ずのコバシさんを迎えて行っていた「マッチングアプリ女子会」の回がめちゃくちゃおもしろかったので、またマッチングアプリの話をやってほしいな~と思っていたら、まるまるマッチングアプリの回が爆誕。最高だった。
自分にとっては、マッチングアプリは異界だ。
なにが出てくるかわからない場所に、自分のプロフィールを晒してだれかと会うという、ハラハラドキドキのファンタジー、みたいに思っている。
とんでもないダメ男と出会ってしまう人もいれば、そのまま意気投合して入籍する人もいる。だれとも出会えずに会費を払いつづける人もいる。
婚活とは、言ってしまえば単なるくじ引きである。
当たりの確率が上がる様々なバフアイテムを使いつつ、ちょっとずつはずれを除去していくという地道な作業。
これをめげずにきっちりとこなせるような人は、たしかに結婚できそうな気がする。
作業内容は、マッチングアプリでも、職場恋愛でも、お見合い結婚でも、たぶん変わらない。
しかし、マッチングアプリは、アプリという名のくじ引きの機械っぽいものを通してしまっているせいか、さらにくじ引き感が強くなっているような気がする。
それぞれのマッチングの結果が発表され、それを聞いて吉住さんが完全に他人事という調子でコメントをする。
吉住さん本人がマッチングアプリに手を出すことはなく、リスナーもそれと同じ立場で、他人の色恋沙汰を雑に楽しむ。
他人が回しているガチャガチャの中身をひたすら見つづけるような贅沢な時間が、刺激的ですごく興味深かった。
#ラジオ
2024年1月22日(月)
原作は何冊か読んだことがあるのだが、原作のイメージとはいい意味でかけ離れていた。
スナックの空気感を大事にしている、ゆったりとした進行に度肝を抜かれた。間を大事にしている感じ。
ギャグアニメはテンポが命で、おもしろければおもしろいほど早いテンポで短くまとめている(ギャグマンガ日和など)という印象があった。
ローテンポなのに、なぜかうまくハマっているのは興味深い。
本当にスナックにいるような雰囲気作り、楽しいな。
#視聴メモ
2024年1月22日(月)
とりあえず、1日あたり10分くらいの運動を、4日間つづけられている。
けっこう負荷がかかるので、これは痩せるのでは?痩せないとしても健康にはかなりいいのでは?という手応えがある。
ただ、疲れすぎて眠くなり、また食っちゃ寝してしまうという悪循環も懸念されている。
数年前にやっていた「フィットボクシング」は風景が変わらなくて飽きてしまったのだが、今回はちゃんとつづくのだろうか。
#ゲーム
2024年1月20日(土)
なぜか今になって、めだかボックスの新しいPVが発表されていた。
いろはアニメ化フラグなのか。それともめだかボックス再アニメ化?
今見てもやっぱりワクワクするし、再読したくなる。
西尾維新と漫画原作の相性がこんなにいいとは思わなかったよなあ。
ところどころ外してくるところもあり、それゆえに読む人を選ぶ作品だが、個人的にはそれも含めて楽しい漫画だと思う。
2024年1月20日(土)
鬼越トマホーク喧嘩チャンネルの真空ジェシカゲスト回を見る。
「どんな組み合わせだよ!?」と戸惑ったが、フランクな感じでの本音トークのテンションが逆におもしろい。
三芳町民と板橋区民で東武東上線トークが盛り上がるのも、埼玉県民としてはうれしいな。
「人身事故で電車が止まるとき、だいたいときわ台だった」という、本当に一部の人にしか通じない、謎のあるある。
あと、川北さんがクラスの人気者だったくだりを、こんなに深く掘り下げているのはなかなか珍しいかも。
大学お笑い勢でも非よしもと勢でもない鬼越トマホークならではの、外側の視点から見た真空ジェシカが新鮮だった。
#お笑い
2024年1月18日(木)
オモコロチャンネルより、「低レベルな格付けチェックをしていたらとんでもないことが起きた」を見た。
庶民的な食べ物で数十円の差を見破る、低レベル格付けチェックシリーズの第3弾。
本当にとんでもないことになった1本目から、さらにとんでもないことが起きる2本目へのスピード感がすごい。
おじさんが狭いところにミッチミチに詰まっているだけでもおもしろいのに、高いほうを「まずい……」と忖度なく言ってしまうのもすごく笑ってしまった。
あのシリーズは、たしかに値段に比べておいしくないときがあるので、なんとなく納得感もあった。
永田さんがからっぽの部屋を見て動揺しまくってるくだりが最高に楽しくて、バカバカしくて、大好きだったなー。
#視聴メモ
2024年1月17日(水)
どこまで詳細に書いていいものか悩みつつ、年始なので、ここまでの含み益の成果でも書いてみる。
投資信託の含み益、15035円。
国内株式の含み益、148348円。
米国株式の含み益、1322円。
それプラス、配当金としてもらったのが、15481円。
含み益と配当金の合計は、180186円となった。
現在、新NISA開始によって日経平均株価が爆発的に上がっており、その補正もありそう。本来はもうちょっと下かも。
だけど、そんなにちゃんと勉強していなくても、開始8ヶ月でこれだけ増やせるというのはおもしろい。
種銭がたくさんある人しか得をしないと思われがちだけど、数百円、数千円からでもコツコツと入れていくと意外と積み重なっていくし、投資信託に関しては複利パワーもあり、まだまだこれから増やせるかも。
なお、かなりマイナスになってしまっている米国株については猛反省している。
秋頃に、よくわからない超高配当株(タバコとか)をたくさん買っていたら、アメリカの脱タバコの雰囲気に押されたのか、単に高値掴みだったのか、どんどん下がっていった。
すでに損切りラインを大幅に超えている気もするが、減配しなければ切らないというルールでやっているので、損切りしていない。
配当の金額を考えるとまだトントンではあるのだが、タバコはこれからまだまだ下がる気がする。いつ切ればいいのか、ヒヤヒヤしながらホールドしている。
よくわからないものを買うのはやめよう!!という当たり前の教訓を得た。
#投資
2024年1月16日(火)
思わぬところから、とんでもない良書が飛び出してきた。
『笑いながら読み進めると、突然“真の豊かさ”を問われる哲学の書。』という若林さんの推薦文がついているのだが、本当にそんな本だった。
世に出ている芸人本は、バカ売れした人のものがほとんどだと思う。
しかし、世の中に存在しているほとんどの芸人は、売れていない。
売れているのはほんの一握りの人だけで、あとは地を這いずるようにして生きているはずだ。
ランジャタイやマヂカルラブリーやモグライダーが売れたことによって、ホームとなる劇場を持たない『地下芸人』という存在にスポットが当たった今こそ、売れていない芸人を主役にした本が出てもいいのではないか。
そんなふうに思っていたときに、この本が発売された。
「芸人という病」は、マシンガンズの西堀さんが、売れないまま何十年も経ってしまったおじさん芸人たちにひたすらインタビューをしていくという構成になっている。
「R-1の芸歴制限に達したことで、R-1に挑まなくてよくなって安心した」というような、意識低い系芸人トークが繰り広げられ、みんな、芸人としてはどう頑張っても食っていけなさそうなのに、どうしても芸人をやめられない。
やめられない理由はそれぞれ違っているが、芸人であることが、すでに『職業』ではなく『生き方』になってしまっていて、どれだけ赤字になってもやめられないという話はおもしろかった。
彼らは惰性で芸を続けているだけで、「絶対にM-1で優勝する!」というような大きな夢はすでに持っていないし、モチベーションもない。
M-1で優勝した錦鯉を見て羨ましがったり、自分もワンチャンあると思ったりはするが、いたってマイペースな暮らしをつづけている。
でも、芸人であるだけで幸せそうで、満ち足りて見える。
われわれは、老後に備えて2000万円の貯金があること、定職があること、結婚して子どもがいることなどを勝手に幸せに必要かもしれない条件だと思っているが、お金もろくに持っていないし、定職もないままおじさんになってしまった彼らが、サラリーマンよりも幸せそうに見えるのはなぜだろう。
だれにも注目されなくても、『芸人である』というただそれだけのことで満ち足りてしまうのだとしたら、そこにはどんな魔法があるのだろう。
西堀さんの淡々とした語りが彼らから引き出す価値観は、どう見ても異様だが、妙に安心感のあるものだった。
幸せとはなんなのか。芸人とはなんなのか。若林さんの言うように、これは哲学だ。
風呂のない部屋に住んでいても、借金がたくさんあっても、その日暮らしでも、彼らは芸人であるだけでこれまでと同じ日々を生きていける。
世界情勢が悪化し、世の中が暗くなっていくなか、それでも幸せに生きていくにはなにが必要なのか。
自分らしさを見失わないためには、どう生きればいいのか。
そんなことを考えさせてくれる本だった。
#読書
2024年1月15日(月)
映画を見てから読もうと思っていたため、原作は未読。
新年初映画なのに、全然めでたくないものを見てしまった。
作りは丁寧で、見ごたえがあると思う。
心霊現象を否定したい人がよく繰り出す論理として、「原始時代、戦国時代、戦時中など、過去を遡りまくれば、そこらじゅうで無数の人が死んでいるはず。そんな数の幽霊がウロウロしていたら、ギュウギュウ詰めで、この世は霊の満員電車のような収拾がつかない状態になっているに決まっている。でも、そんな状態の霊を見た人はいない。だから、幽霊はいない」というものがある。
しかし、この論理は、逆に考えれば、「太古の昔から霊がいるとしたら、この世はもうすでに収拾がつかない状態になっているのではないか?」という論理に変えることもできる。
交通事故で死んだ霊が地縛霊としてそこにいるという話よりも、無数の霊がずっと同じ場所に溜まっているという現象のほうが、よほど怖い。
さらに、その霊たちが死に引きずり込んだ人たちも、同じようにそこに溜まっていくとしたら……。
抗いようもない巨大な穢れに、人はどうやって対処していけばいいのだろう。
「残穢」は、そんな無数の『穢れ』を思わせる話だ。
マンションで起きる奇妙な霊障の話は、土地のルーツを探るたびに、過去の犠牲者の存在を浮かび上がらせる。犠牲者たちの霊がさらなる霊障を呼ぶ様子が明らかになるにつれ、それを調査する主人公たちにも霊障が襲いかかる。
好奇心で情報を手繰り寄せれば手繰り寄せるほど、無限に陰惨な出来事にぶち当たる様子が、ドミノみたいで気持ちいい。
こういう巨大な穢れが、世界中の至るところに存在していて、奇怪な自死や心中を呼びまくっているのだろうと視聴者に想像させてくる展開がうまい。
直接的な肉体への攻撃はしてこず、みんな霊障でメンタルをやられて死ぬという部分もじわじわと品のいい怖さだと思う。
唯一、残念なのは霊のCGのチープさ。見えないからこそ怖かった穢れが、実態を持った瞬間に怖くなくなってしまうのが惜しいと感じた。
これはまったく見えないほうが怖くてよかったと思うんだよなあ。
Jホラー映画に非常に映える雰囲気を持つ竹内結子と橋本愛、そして異様なほどに好奇心旺盛な変人作家の佐々木蔵之介がいい味を出していて、キャスティング力の強い映画だ。
どんどん死んでいくモブキャラたちも絶妙に怖い顔つきの人が多くて、雰囲気づくりがうまいよなと思う。畳む
#映画
2024年1月15日(月)
でも箱無しだったので、見るだけにとどめた。
デジタンクは今までノーマークだったが、改めて見るととても欲しいな……。
デジタンクはロマン。
一般人が乗って戦うロボアイテムって他にもあるのかな。あまり思いつかない。
2024年1月14日(日)
前年は、最終的に「カゲヤマの記憶がどんどん鮮明になって、敗者復活戦の象徴のようになっていく」というよくわからない脳内状況だったが、2023年は「スタミナパンとフースーヤの記憶だけがどんどん鮮明になって魅力を増していく」という似たような状況にある。どういうこと?
もっと「エバースは今後伸びる! 二年以内にストレートで本戦まで行けそう!」「来年には令和ロマン枠になっているかも」みたいな、かっちょいい話がしたいのに、スタミナパンしか頭にない。
敗者復活戦のあと、スタミナパンがでぶチャンネル完全再現YouTubeをやりはじめたのが、くだらなくて最高に大好き。
でぶチャンネルにオリジナルツッコミを加えた「トシダに見せてみた」がアップされ、さらに完成度が増した感がある。なんの完成度を極めてるんだよ……!
シシガシラが「敗者復活戦の会場ではウケたかもしれないが、本戦はフィールドが違う」みたいなニュアンスの講評を受けているくだりがあった気がするけど、正直、敗者復活戦のお笑い観や会場の空気のほうが好きだったりもするんだよな。
スタミナパンでゲラゲラ笑って、カゲヤマでなごんで、ランジャタイが「国民最低~~~!!!」と叫び散らし、トム・ブラウンがキモくない漫才に負けてズッコケて……みたいなムードって、本戦ではあまり存在しない気がする。
おもしろければなんでもいいはずなのに、実際のところはテクニカル点の配分が大きくて、歌ネタや下ネタ、しょうもないネタや大喜利ネタは徹底的に排除されていくような場所よりも、「本当にうんちしてま~~す」で大爆笑する場所のほうが、自分のお笑いの理想に近いような気がしてならない。
カゲヤマはKOCで爆跳ねしたし、スタミナパンも爆跳ねしてほしいな~と期待している。
#お笑い
2024年1月12日(金)
耳に心地よすぎて、3回くらい聞いてしまった。ツボすぎる……。
マシンガンズの西堀さんが突発ゲスト。
マシンガンズを見ていると、漫才や平場におけるニンの大切さがしみじみとわかる。
卓越したテクニックがあるわけではないが、飾らないありのままの性格が伝わる漫才と、漫才とのギャップが少ない平場でのトーク。
錦鯉も似たような部分はあるけど、錦鯉はまさのりさんの『バカ』を隆さんが丁寧にパッケージしているからこその優勝。
マシンガンズにはそういうパッケージはなく、ふたりとも同じ地点に対等に立っているようなイメージがある。
錦鯉よりもさらに原石の状態で、常に素っ裸でそこにいるような存在感が非常におもしろい。
「そういうところを見て、みんなファンになるんだろ?」と自分で言ってしまうところも笑える。
パッケージングされたクズやバカというよりは、本音をぜんぶボロボロとその場に出してしまうありのままの『ダメなおじさん』に見えて、自然に笑っちゃうんだよなー。
真空ジェシカや令和ロマンなど、テクニックと知力、分析能力で勝ち上がるコンビが増えてきているが、それでも、漫才においてもっとも大事なものはニンだろうと思う。
みんなが必死にいろいろ勉強して、分析して、努力して……という賞レースの大舞台だからこそ、準備不足のまま、素っ裸で上がってきてしまったおじさんは伝説になる。
周囲の芸人が賞レースにヒートアップすればするほど、あの日のマシンガンズの輝きは増すばかりだ。
そんな西堀さんを全力でいじり倒す井口さんと、一緒になってツッコミを入れている河本さんのノリノリぶりが最高だった。
後輩の配信に来て、快進撃やバズリを自慢するみっともない先輩というキャラ付けも非常に笑えるし、後輩との距離感が近すぎるのも親しみがわく。
どのトークを聞いても、西堀さんの素の雄叫びが聞けるから楽しいんだよな。
西堀さんのダメな部分が見えた瞬間に、井口さんがズバズバとツッコんでくれるのが気持ちよすぎて、もっとこの組み合わせが見たいなと思った。滝沢さんも来てほしい。
全然関係ないんだけど、ぶちラジを聞くたび、毎回「OPジングルが妙に印象的だよな~」と思っていた。
この妙に耳に残るジングルは、6年前に石野卓球が作った曲なんだということを今更知った。どうりで耳に残るわけだぜ……!
#ラジオ
2024年1月12日(金)
勇者アバンにはいろんなキャラが出てきて嬉しいけど、推しは時系列的に100%出られないんだよね……と嘆きながら毎回読んでいたが、9巻では推しのコンパチが出てくるというサプライズがあった。嬉しい!でも不穏!
彼の存在そのものがハドラーの変化を表しているような気がして、かなり不穏である。
そろそろ終わりそうだな?とずっと思っているけど、なかなか終わらない。
終わってしまうと楽しみが一つ減るので、できるだけ長くやっていてほしい。
ハドラーの性格が変わってしまった(のか?)きっかけのようなものが、次の巻では語られるのかなー。
「あれ、この人って原作だとどんなんだったんだっけ?」と原作を読み直したくなる、良スピンオフだと思う。
#読書
2024年1月10日(水)
古原靖久TVより、マトイ兄さんのゲスト回の前編を見た。
いろんな特撮のキャストを迎えて古原さんとおしゃべりをするという企画の、ゴーゴーファイブ編。
古原さん自身がゴーゴーファイブの本編をガッツリ見て覚えていて、細部をトークしてくれているのが非常に嬉しい。
ゴーゴーファイブといえば、透け面、追加戦士なし、スーツアクターの存在感という三要素は外せないのだけれど、そのすべてに細かく言及していて、とてもいい。ポイントを押さえまくっている。
西岡さんのざっくばらんでさわやかな感じも、まるでマトイ兄さん本人がしゃべっているみたいで、好きだなあ。
「ゴーレッド」と「ゴーオンレッド」でお互いにシンパシーを感じているというくだりも微笑ましくて大好きだった。和むなー。
#特撮
2024年1月9日(火)
2024年のクリア1本目。
ゲームはじめとして申し分のない、非常に特異な存在感のゲームだった。
主人公は、永遠につづいている、終わりのないファミレスに閉じ込められる。
店の中には店員はおらず、客だけが数千年、数万年の月日を過ごしている。
客たちのなかには、脱出を試みたり、自殺を図ったりしたことがある者もいるが、現在はすでにすべてを諦めており、達観して静かに暮らしているようだ。
主人公は、ファミレスのそれぞれの席に座っている客たちと雑談をしながら、永遠のはじまりを歩みはじめる。
果たして、このファミレスから脱出することはできるのか。
『永遠』や『不変』を受け手に体験させる・実感させるということは、ゲームという媒体に限らず、難しいと思う。
普通の人間ならば、体験したことがない特殊な現象だからだ。
アニメ版「涼宮ハルヒの憂鬱」における「エンドレスエイト」は、『永遠』や『不変』という現象へのナマの体感を無理矢理に呼び起こす試みを行った作品として、もうちょっと評価されてもいいのではないか?と常々思っているのだけれど、そういうことを言っている人はどうやら少ないようだ。
『永遠』も『不変』も、娯楽としておもしろくするのは難しいのだと思う。
おもしろさは、基本的に『変化』と共にあるものだから。
アクションゲームなら、先のステージに進むごとに新たな敵やルールが増えて『変化』していくし、ノベルゲームなら、シナリオが先に進んでいくことで『変化』が生まれる。
シミュレーションゲームなら、なんらかの数値を育成や商売によって上げる『変化』が望まれる。
なにも変わらないということは、ゲーム性がないこととほぼ同じだ。
しかし、「ファミレスを享受せよ」は、心地よい『永遠』と『不変』を丁寧に描いている。
そのために「コマンド選択式アドベンチャー」の形式を採用するという発想が非常におもしろい。
通常のノベルゲームなら、選択肢を選ぶごとにどんどん場面が転換して、前の場面に戻るとか、同じことを繰り返すというようなことはあまりない。『不変』とは無縁だ。
しかし、コマンド選択式アドベンチャーは、簡単に『不変』を発生させることができる。
以前行った場所で「しらべる」「話す」などを選ぶと、どれだけ話が進行していても、以前とまったく同じメッセージが表示されることが非常に多い。
もちろん、丁寧にメッセージを変えてくるゲームもあるが、シナリオと関係のない場所や人物に新規のメッセージを用意していることは少ない気がする。ある意味では『手抜き』ともいえる。
「ファミレスを享受せよ」は、『永遠』のなかを生きる人たちの会話を切り取った作品だ。
そのキャラクターの席まで出向いて、話題コマンドを選択すると会話がはじまる。
新たな話題が追加されることもあるが、以前の話題はそのままになっており、以前の話題を選択した場合はまったく同じ会話が流れる。
同じ会話が流れるということは、通常の生活においてはありえないし、ノベルゲームでもありえない。
通常のノベルゲームなら、プレイヤーは急いでスキップのボタンを押したりして、無理矢理に切り抜けることもありそうだ。
だが、このファミレスにおいては、同じ会話を繰り返すことは、十二分にありえる現象である。
なぜなら、彼らが永遠のなかを生き抜く存在だから。
無限の時間を生きるなかで、同じ話題にたどり着くこともあるだろうし、話題がなくなって飽きることもあるだろう。
なにしろ、数千年、数万年という時間を、同じ場所で、同じ人々と一緒に暮らしているのだから。
プレイヤーは「またこの話か」とは不思議と思わない。これが『永遠』であり『無限』なのだと感じる。
そして、この『永遠』に説得力があるからこそ、終盤になってからの『変化』の描写が生き生きと輝きはじめる。
「コマンド選択式ADV」という形式に新たな意味を与えるゲーム設計が、非常に特異で興味深い。
無限のファミレスを終わらせるか、それとも、そのなかで生きつづけるか。
プレイヤーは突然、哲学的空間へと叩き込まれる。
この特異なゲーム設計を最後まで貫き通しているところが、またおもしろい。
中盤で、パスワード入力を要求する小さな箱を主人公が手に入れるというシーンがある。
通常、この手のパスワード入力に対しては、どこかに『答え』が用意されている。
暗号があったり、意味ありげな数列が書かれたメモがあったり……それがノベルゲームや脱出ゲームの常識だ。
しかし、このファミレスには、そんな常識は通用しない。
主人公がこの箱を開けるために選んだ行動と、周囲のキャラクターたちが見せた反応こそ、『永遠のファミレス』を象徴しているような気がして、すごく好きだ。
ということで、2時間くらいあればサクッとエンディングコンプできる良作だった。
唯一無二の存在感があって、短いのにきれいにまとまっているのが好感度高い。
優しい色使いや、達観したキャラクターたちもすごく心地よくて、いつまでもこのファミレスにいたいと思わせてくれた。畳む
#ゲーム
2024年1月9日(火)
まだ起動はしていないが、絶対好きなやつだと思う。楽しみ。
きょうは「逆転裁判456」に備えて、しばらく積んでいた「逆転裁判123」を軽く遊んでいた。
もう何度もクリアしている逆転裁判シリーズなのだけど、PS4のでっかい画面でやると、なんだか違うゲームみたいな錯覚に陥る。
#ゲーム
2024年1月7日(日)
前作ほどのインパクトはないが、少年たちの発達や事情に寄り添っていた前作とはスタンスを変えて、そんな少年たちを支援する側にはどのような心構えが必要なのか、という視点で書かれている。
保育や教育現場での支援の必要性が主に書かれているが、大人の職場でも似たような現象は起きている。
「本当に支援を必要としているのは、この人は支援したくないなと思うような嫌なことをする人」だというくだりは、日常で起きたあれこれを思い出して、「そうだよな~」と思わされた。
なにをどう教えても、絶対に失敗してしまうようなタイプの境界知能や発達障害の人って、どの学校にも職場にも一定の確率で現れるのではないかと思うけれど、そういう人は非常に無愛想だったり、挨拶ができなかったり、空気が読めなくて場を凍りつかせることを言ってしまったり、攻撃的だったりと、仕事以外の行動にも問題があることが多い。
それによって、「この人とは一緒に働きたくないな」という空気が徐々にできあがり、致命的なミスが積み重なり、やがて退職したりさせられたりしていく。
でも、本来、そういう「この人と働きたくないな」と思わせる人には、周囲の理解と協力が必要だ。
そうでなければ、違う職場で無限に同じことを繰り返すだけになってしまう。
愛想がよくて気配りができて、「この人と働きたい!」とみんなが思うような人には、たぶん支援はいらない。
しかし、この『支援』を実現するのは非常に難しいと思う。
支援者を支援する人の存在が必要不可欠だし、その人たちにもケアが必要となるかもしれない。
社会全体がこういう境界知能の人を忌避し、学校や職場から追い出しているからこそ、少年院や刑務所に入ってしまうことになり、そこからの復帰も遠のいていく。そうなる前に、どこかで誰かが支援する必要がある。
個人個人の問題としてではなく、社会全体で考えていかなければいけない問題だと思った。
社会を構成する一員として、考えさせられる一冊。
#読書
2024年1月6日(土)
これを初めて聞いたときは永田さんのことを知らなかったので、「移動するのが好きな永田さんって何者なの?」と思っていたのだが、実際に永田さんのYouTubeを知ったあとにこれを聞くと非常に笑える。
たしかに移動している……すごく移動している……!!
「永田は移動しているイメージはないから」「とどまっているイメージではあるから」と畳み掛けるガクさんがいい味出しているんだよな。
結局、移動についてはなにもわからずに話題が流れていったのもおもしろかった。
一緒に人力舎に入ったふたりが、ずっと友だちでいるのがなんだかいいな~と定期的に思う。
永田さんの性格や芸風を知れば知るほどに、「永田さんと友人たちってどういう距離感なんだろう?」と思いを馳せてしまうのだが、その友人のうちのひとりが川北さんだというのは納得感があるな。
#ラジオ
2024年1月6日(土)
一年のうちで一番しんどいような気がする、正月休み明けの仕事の日だった。
短い休みなのに、生活リズムが凄まじい速度で崩れていくので、そこからの立て直しが毎回大変なのだった。
崩さないように過ごせばいいんだろうけど、どうしても夜更かししてしまうよなー。
早起きできるように、早くトレーニングしないと……。
あー、サガフロがやりたい。
2024年1月5日(金)
7人の主人公を制覇し、残るはヒューズ編の制覇のみ。
7人のシナリオのそれぞれに裏話としてヒューズ編が付属しているので、実際のところは14周あるということになるのだろうか。主人公制覇のトロフィーは8周めでもらえるけど。
ヒューズ編はそれぞれの個別ルートでは説明が足りなかった部分を丁寧に補完してくれていて、シナリオのおさらいとして優秀。
ヒューズの軽快なキャラもおもしろくて、やりがいがある追加コンテンツとなっている。
「この周回ではどのキャラを育てようかな?」「育てたことないキャラに手を出してみようかな?」という楽しみもあって、まだまだやりこめそうだ。
小説がおまけでついているらしい攻略本も気になっている。
#ゲーム
2024年1月4日(木)
Xは、どんな獲物も絶対に逃さない最強の殺し屋だ。
しかし、彼にはある欠点があった。
彼は、スマートウォッチのリングを閉じることを生きがいにしており、時計から出される指示を最優先にして行動してしまう、とんでもない『スマートウォッチおじさん』だったのだ……!
年末年始、いろいろな本を用意していたのに、なんだかんだであまり読めず、スーパー銭湯でだらだらとギャグ漫画を読むのが読書はじめになってしまった。
でも、バカバカしくて、それでいてスマートウォッチ関係の描写はすごく細やかで、おもしろかったなー。
スマートウォッチを買ったことがある人なら必ず一度は陥るであろう、生活よりもスマートウォッチを優先してしまう瞬間を切り取りまくっていて、その滑稽さやナンセンスさにすごく共感する。
「宇宙戦艦ティラミス」や「聖☆おにいさん」的な、細かいバカバカしさが好きな人にはハマりそう。スマートウォッチおじさん、かわいい。
すでにFitbitを持っているのだが、アップルウォッチを買いたくなってしまった。
西部劇っぽい世界観なのに、実は埼玉が舞台で、山田うどんとベルクがあるのも笑ってしまう。埼玉の治安は悪い。
#読書
2024年1月2日(火)
どことなく自分がいつも連れ歩いているクマのぬいぐるみに似ていて、あわてて拾いあげる。
しかし、すごくよく似ているが、顔つきがすこし違う。これは、他人のクマだ。
暗くて大きな目と、取れてしまいそうな腕が儚げに映った。
我が家に連れ帰ってあげたほうがいいのではないか?という思考が浮上して、手のなかにいるクマをじっと見つめた。
このままでは路上で朽ち果てていくだけ。
お迎え先があったほうがクマにとっては幸せなのではないか、と自然に思った。
しかし、クマの暗い瞳を見つめていると、背筋がゾクゾクしてきて、不吉なものであるような気がしてきた。
家に持って帰ったら、とんでもないことになる。
そんな予感がして、もともと落ちていた場所に、丁寧に座らせた。
そんな初夢を見た。
我が家のクマのぬいぐるみとは、もう二十年近い付き合いになる。
修学旅行先で購入したもので、ミニサイズなので、旅行や帰省のときにはいつもカバンに入っている。
かなりぼろぼろだけど、大切なクマだ。
そんな我が家のクマへの愛着が見せた初夢だったのだろうか。物悲しい気持ちになった。
#夢日記
2024年1月2日(火)
2024年1月1日(月)
紅白を途中まで見て、孤独のグルメを見て、神社へ行って、年越しそばを食べて……という流れでこの時間になってしまったので、今日の日記はタイムアップです。
今年は、昨年よりももうすこし創作を頑張りたいですね。
オリジナルもやりたいし、二次創作もやりたいし……時間をうまく使えるようになりたい。
美術館を見に行って、ダラダラして、ホテルでひと休み。
明日に向けて、ゆっくり寝るぞー。