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2024年8月26日(月)
2024年7月8日(月)
主演が坂本慎太郎ということで、坂本慎太郎ファンとしてはいつか見なければと思っていた。ようやくの鑑賞。
三人の不良が思いつきで始めたバンド「古武術」がフェスに出るまでのお話。
単なる思いつきであり、音楽の知識もないため、彼らの奏でる音色は、およそ「音楽」とは呼び難い代物になってしまう。
しかし、本人たちは、その演奏を「最高の音」だと呼び、ブチ上がる。自己肯定感の塊なのである。
さらに、校内でフォークソング専門のバンドを組んでいる「古美術」から絶賛されたことで、「古武術」は地元のフェスに出ることになってしまう。
はたして、音楽知識のない三人組はフェスで成功をおさめることができるのだろうか!?
バンド結成ものとしては異色の展開であり、シュールギャグと捉えられなくもないのだが、ロックの初期衝動に従い、挫折することもなく、自分の信じる「最初の音」だけを武器に突き進む三人の姿は、感動的ですらある。
「ガールズバンドクライ」にしろ、「BLUE GIANT」にしろ、「ふつうの軽音部」にしろ、音楽ものの作品は、自分が下手であることや、周囲から評価されないことに思い悩み、鍛錬を重ねなければいけないというセオリーがあるのだが、「音楽」はそうしたセオリーにはまったく縛られることがない。「初めて音が鳴った! おれが鳴らした!」という、たったひとつの感動が彼らの原動力なのだ。
その音を他者と比べて落ち込むことはないし、それが下手だという価値観すら持ち合わせていない。成り上がる必要もない。
自分が自分を肯定している。それだけで十分すぎるくらい、十分だ。
これがロックでなくて、なにがロックだろうか?
また、「音楽」において非常におもしろいのは、「古武術」をフェスにまで押し上げてしまった「古美術」の森田さんの存在である。
フォークソングを愛する森田さんは、今までずっと自分の音楽を信じ、鍛錬に鍛錬を重ねてきたはずだ。
しかし、「古武術」の演奏を聞き、彼らの生き方を見ることで、ロックに目覚める。
「古武術」の原始の音が、森田さんの人生を変えていく瞬間こそ、「音楽」の最大の見所なのではないかと思う。
音楽には、他者を変えてしまうほどの強烈なパワーがある。そのパワーは、鍛錬を重ねたから生まれるわけではないし、演奏が上手だから生まれるわけでもない。
ただ、ロックであること。そこに強い衝動があること。それだけが誰かを動かす力になるのだ。
不良たちが元通りの日常に戻っていったとしても、森田さんのなかに生まれたロックの炎は消えないだろう。
森田さんこそ、「音楽」の裏の主役であると信じている。畳む
#映画
2024年6月11日(火)
インターネットという装置を駆使したジャパニーズホラーではあるのだが、そちらは本筋ではなく、実際のところは死生観を揺さぶる哲学系映画だと思う。
黒沢監督は「CURE」や「散歩する侵略者」が好きだった気がする。このふたつもやや哲学系だったような……。二作品ともそろそろ詳細を忘れてきたので、そのうちにまた見たい。
「永遠に孤独なまま存在しつづけるということは、ただ死ぬよりもつらいことだ」というような結論を出しているっぽいようなところには、ついこのあいだ久しぶりに見た手塚治虫「火の鳥 未来編」のマサトの深すぎる孤独を思い出した。
「回路」に出てくる幽霊たちは、みんなマサトと同じ状態なのかもしれないよなー、と思うと怖い。
「永遠に生きる(永遠に死んでいる)」こと自体は苦ではないけれど、そこに「孤独」が加わると非常に深い苦痛に変わるのかもしれない……と考えさせられる。
また、生きている人間とも会話であまり分かり合えていないという絶望感も、幽霊たちの孤独な気持ちを補強しているような気がして、細やかだ。丁寧に積み重ねられた孤独が世界を埋め尽くしていくのは、爽快ですらあるかもしれない。
不安を煽るアングルや不気味な舞台装置がうまく作用している映画で、ジャンプスケアに頼らずに怖がらせる演出が楽しかった。
直接的な暴力描写がないということも含め、良質なホラー映画だと思う。
こういう上品めなジャパニーズホラー、他にも見たいな。畳む
#映画
2024年6月4日(火)
個人の感情が政府によって管理された未来の警察国家で、ひそかに感情に目覚めてしまった男の反逆を描く。
「アメリカン・サイコ」が大好きで、クリスチャン・ベールはこの役が一番好き!!と思っていたのだが、「リベリオン」も「アメリカン・サイコ」の主人公と同系統の演技っぽくてよかった。
かなり変人で、どこかロボットめいているんだけど、愛嬌があって憎めない感じ。いいんだよなー。
物語的にはややガバガバなところもあり、ツッコミどころも多々あるのだが、アクションのコンセプトが最高すぎて、なんの文句もない。
犬のくだりをはじめとする「シリアスな笑い」も完備していて娯楽として上質。
演出もおしゃれで、独特のアングルが気持ちよかった。
ガン=カタのことは知っていたけど、実際に元ネタを見たのは初めてだったので、「こ、これが噂のガン=カタ……!」と震えることとなった。
ほぼほぼカンフー映画に似た文法で描かれている気がして、カンフー映画好きとしてはかなりハマった。また忘れたころに見たい。
#映画
2024年5月26日(日)
ベスト映画もおもしろいけれど、ワースト映画には、その人にとって映画とはなんなのか、なにを重視しているのかなどが現れているような気がして、単なる悪口以上の、書き手の人生そのものを感じるのだった。
嫌いなものの話はしないほうがいい、というのが趣味の鉄則ではあるのだが、映画については他人のワーストを見るのも楽しい。
万人が褒め称える映画でも、自分にとってはつまらなかった、ということはよくあるし、共感できる。見たときの自分の体調や相性にもよると思うし。
だが、自分でワースト映画について考えてみると、いまいちなにも思い浮かばない。
何本かは浮かぶものの、10本には程遠いような気がしてならない。
つまらない映画や不快な映画はすぐに忘れてしまう脳なので、いざ思い出そうとしても、すっと出てこないのだった。
映画記録帳を見ながらなら、なんとかひねり出せるかもしれない。
10本ひねり出せたら、ここに書き留めておくか。
#映画
2024年5月25日(土)
「金の国 水の国」というアニメ映画を見た。
原作は未読だが、岩本ナオさんは前々からかなり気になっていた。
「町でうわさの天狗の子」をむかし途中まで読んでいて、少女漫画らしからぬ、枠をはみだしたような作品が来た!と思っていたのだった。
「金の国 水の国」も、ふたりの男女のラブストーリーでありながら、主軸は国交の断絶した両国を戦争させずに取り持つことだったり、ふたりが会っているシーンは極端に少なかったりと、チャレンジ精神を感じる構成になっている。
裕福だが、水だけがない金の国。
過去の戦争の被害から回復しておらず、貧しいが、水源だけは豊かな水の国。
互いのマイナス面を補うため、再度の戦争に突入しそうになっている緊迫の状況へと、国家間の謀略に巻き込まれ、偽りの結婚をしたふたりが立ち向かう。
サーラとナランバヤルは美男美女のカップルではないのだけれど、ふたりとも誠実で、好感が持てる。
特に、ナランバヤルの欠点のなさは凄まじい……こういう、昔の少女漫画で当て馬にされていそうなタイプのキャラを、ちゃんと魅力的な主役として育てているのがいいなあ。
作中では、サーラが決して美人ではないということがしっかり明言されていて、それに関しての鬱展開もあるんだけど、ここまでヒロインの美醜が物語に関わってくるのって珍しいなー、と思った。逆に「美人すぎてコンプレックス」みたいなのはありそうだけども。
作画や演出の平均点も高めで、満足感のある映画だったと思う。
丁寧にエンタメに徹する良作。
#映画
2024年4月22日(月)
野木亜紀子さんが脚本ということで、ずっと見たかったのだが、見る機会を逃していた。
平家の呪いを背負い生まれた異形の子『犬王』と、平家の呪いで盲目になってしまった『友魚』。犬王は猿楽を極め、友魚は琵琶を極める。
ふたりは前衛的ともいえるパフォーマンスで一躍名声を得るが……という話。
ミュージカルパートが非常に長いので好みは分かれそうだが、室町時代の閉塞感や階級社会の絶望、世の中から退けられる身体障がい者としての『犬王』と『友魚』の表象など、ひとつひとつの描写が丁寧な映画だと思う。
はじめは名前にこだわりを見せなかった友魚が、名声を得、物語への執着を見せると同時に、自分の名前を命をかけて守るようになるのが興味深かった。
ただ、音楽はもうちょっと室町時代でも演奏できるような音で構成してほしかったし、最初に異形の姿のままで舞い踊る犬王がすごく魅力的だったから、どんどん人間に近づいていくのは淋しくもあった。
これも諸行無常なんだろうか。最後にはまたあの姿で踊ってくれて、嬉しかったな。
キャスト勢の名演技もすごくハマっていて、見ごたえあったと思う。
森山未來&アヴちゃんのハマりっぷりは凄まじいし、ツダケンもかっこよすぎる。
最近のツダケンはクールで感情抑えめな役が多い印象があるけど、こういう感情が乗っかりまくったヒールもいいよなあ。畳む
#映画
2024年3月31日(日)
セカイ系で育った世代にとっては、教科書のなかにしかないような作品で、今まで見る機会がなかった。
改めて見てみると、たしかにセカイ系の気配を感じる映画だった。
特に「涼宮ハルヒの憂鬱」に関しては、ほとんど「ビューティフル・ドリーマー」の発想のまんまなのでは?というほどに影響を感じる。
ただし、個人的にはこれ自体はセカイ系ではないと思った。
「どうしてコンビニの物資がなくならないのか?」「どうして電気と水が供給されるのか?」という客観的で冷静な視点は、セカイ系作品とは相容れないものだという感覚がある。
内的世界と現実世界の境界がなくなり、思春期の少年少女の内的な感傷が現実の状況に直結してしまうような世界観……というのが、やっぱり狭義でのセカイ系かなと思う。社会の描写が極端に希薄である感じ、というか。
『セカイ系』はもはやマジックワードの代表格なので、こうやって定義を云々することそのものが無意味かもしれないけれども。
「モラトリアムが永遠に続けばいいのに」という感覚はかなりセカイ系っぽいのだが、そこにモラトリアム(=日常系ラブコメの作品構造そのもの)へのメタな悪意のようなものが潜んでいるのは、戦略を感じさせすぎて、あまりセカイ系っぽくない。
「ビューティフル・ドリーマー」の夢のパートだけを抽出して煮詰めた結果が、かつてのセカイ系なのかな、と思う。
作画や不気味な演出は非常に印象的で、絵的に見ごたえのある映画ではあるのだが、この話は「うる星やつら」でやる必要性はないのではないか、という余計な思考が入り込んでしまい、シナリオについては絶賛とまではいかなかった。
自分は「うる星やつら」には明るくないのだが、それでも、このラムちゃんには違和感がかなりある。
なにより、日常系ラブコメの世界を破壊して、ツギハギして『永遠の円環』をつくるという発想はあまりに邪悪であり、こういう攻撃的な創作手法はやや苦手だ。
と言いつつ、「ルパン三世 カリオストロの城」のようなもので、何度も見ていったらすごく好きになりそうな気もする。
カリオストロの城も、ルパンとしては本当に嫌なんだけど、映画としては見ごたえあるんだよな。畳む
#映画
2024年3月11日(月)
うーん、これはなかなか評価が難しい映画かもしれない。
途中まではかなりおもしろく見ていたのだが、ドラえもん映画としてはちょっと求めているものと違うかなと思う。
以下はネタバレが含まれる感想。
新ドラオリジナル作品に関しては、「ひみつ道具博物館」と「南極カチコチ大冒険」が大好きで、かつ、「宝島」と「月面探査記」で非常にがっかりして映画を見に行くのをやめてしまったという経緯がある。
評価軸としては、物語としておもしろいかどうか以外に、「ドラえもん映画らしさをどこまで守っているか」、「ドラえもんの設定をどこまで理解しているか」という部分を重視しているのかもしれない。
「空の理想郷」は物語としてはそこまで悪くないし、テーマ性も独自でおもしろい。
伏線の回収は非常に丁寧で、ゲストキャラも魅力的……といいこと尽くしのように思えるのだが、「ドラえもんらしくないな」「ドライだな」と思うシーンが随所にあって、最終的にイマイチな印象になってしまった。がっかりしてばかりだった「宝島」に比べたらいい映画ではあるけど、やっぱり満足度は低いかな。
いろいろ言いたいことはあるが、一番気になるのは、ラストシーンでソーニャを一度殺してしまったくだり。
この展開が、映画ドラえもんとしてはグロテスクすぎると思う。
一気に、「そこまでしなくても」という気持ちになってしまった。
ドラえもんは、『青くて耳がない』からドラえもんたりえる。
作品によって理由は違えど、耳をかじられたこと、青くなってしまったことも含めて、個性だ。
ドラえもんが爆死したけど、メインチップが残っていたから、来週からは『黄色くて耳のある』ドラえもんの体でリスタートしますね!と言われたら、それは違うでしょ、とみんな思うはず。
ドラえもんはドラえもんの体でこれまで生きてきたからこそ、大量量産型ではない、自分だけの心と個性を持っている。そんなロボットだ。
なのに、「空の理想郷」は、ゲストキャラに関してはメインチップさえ残っていれば再生できる、ロボットだから体は変えていい、という価値観を持ち出してくる。
この認識はたしかに理屈としては正しいが、歪であり、やりすぎだと感じる。
自分の命を賭してまで、みんなを助けるという展開も、児童向け作品でやるのは一世代遅れているのではないか。
2000年代くらいならいいかもしれないけど、令和では全員が助かるルートを模索してほしい。
あくまで個人の好みの話であって、物語的必然性の話ではないが、ソーニャを殺すくだりは本当に不要だと思う。
ゲストキャラにやっていいことの範囲を超えている感じがする。
彼が非常にいいロボットとして描かれているからこそ、死と再生を美談として扱うエンディングにもやもやしてしまう。
ただ、ここでこんなにもやもやするということは、『ドラえもんとソーニャという二体の猫型ロボットが友情を育む』というメインストーリーに関しては成功している、という証拠でもある。
細部は丁寧に埋められている箇所が多く、雑な映画ではまったくないんだよな。そこがまた複雑な気持ちにさせる。
「映画ドラえもん」に自分がなにを求めているのかを映し出す、リトマス試験紙のような映画といえるかもしれない。畳む
#映画
2024年2月25日(日)
学校に行くことができない少年少女たち7人が集まる、鏡の中のふしぎな異世界に建てられた城。
その城には、願いの鍵と呼ばれる鍵が存在しており、それを見つけることができれば、なんでも願いが叶う。
期限は一年間。城に行けるのは、朝の9時から夕方の5時……ちょうど、彼らが学校へ行くはずの時間だ。
中学生であるということ以外に共通項がないはずの7人は、お互いにシンパシーを覚えながら、不器用に距離を縮め、城での一年間を過ごしていくが……。
いくつかの仕掛けがきれいに決まるラストが気持ちいい、ファンタジーミステリー映画。
それぞれが不登校になった理由がかなりえげつないのだが、それゆえに、最後に前を向いて歩きだせたシーンはグッとくる。
一応、学校であったいじめを主軸としたお話なのだが、「加害者/被害者」という二項対立で人間を切り分けていないところが奥深いと思った。
いじめを受けたり、不当な差別を受けたりして学校に行けていない人ばかりがいるはずの孤城のなかで、ウレシノという名の少年が「こいつには冷たくしてもいいかな」という扱いを受けているシーンでは、視聴者も背後から刺されたような感覚があった。
いじめで不登校になったはずの主人公・こころが「たしかにウレシノにはこういう扱いをしてもいいと思っていた」と自分で気づいて反省するというシーンがあり、この流れはすごく大事な意味を持っていると思う。
いじめはいじめっ子を断罪すれば綺麗サッパリ片付くとか、いじめられっ子はいじめをしないというように思いがちだけれど、実際はたぶん、そんなことはない。
いじめられるつらさを知っているはずの彼らですら、他人に冷たくしたり、ハブったりすることをやめることはできていないのだ。だから、7人しかいない孤城というコミュニティの内部にも階層ができてしまっている。
誰の中にもそういう行動に至る因子があって、現実の世界ではたまたま、彼らがハブられる側に位置していたというだけなのだろうな、と思わせる棘のあるシーンで、これは物語全体へのスパイスとしてよく効いているように思う。
そのうえで、その後はウレシノとの仲を丁寧に修復していっているのも誠実で好きだったりする。
不登校児をケアする方法について、かなり丁寧に描かれているのは物語に説得力が出ていてよかったと思う。
特に、加害者の言い分だけを聞いて被害児童の家に担任の教師がひとりで押しかけてくるシーンは印象に残る。
映画の外側の現実でも、こうやってなかったことにされるいじめがたくさんあるんだろうなと思わせるし、だからこそ、被害児童と加害児童が無理やり対面させられるよりも前に、教師の訴えを突っぱねた母親の勇気ある行動に胸打たれる。
こころは、一度折れた精神を修復して、新たな道へと歩みだす。
この過程のなかで、加害児童の反省や懲罰といった要素はまったく描かれない。
他の不登校児たちに関しても、ただ前へ進んでいくという描写があるのみで、彼らを不登校にしてしまった元凶がどうなったかという話はまったくない。
でも、悪を罰することで折れた心がもとに戻るわけではない。
あくまで、傷ついた心を癒やすことが一番大切なこと。心を治すことができるのは、自分自身だけだ。
だれかを傷つける嫌な人は、他のコミュニティに移っても、必ず存在している。そのことは、ウレシノの件からもよくわかる。
ならば、この場でいじめっ子を断罪したとしても、転校したとしても、フリースクールに通ったとしても、結局は別のどこかで同じことが起きるかもしれない。最後には自分の心と向き合わなければならなくなる。
視聴者としては、加害児童にも痛い目にあってほしいという欲望を持たずにはいられないが、その「因果応報が見たい、決着がつかないともやもやする」という欲望もまた、仄暗い加害性をはらんでいるという視点は忘れずにおきたいと思う。
傷ついた心を癒やし、ふたたび歩きはじめるための秘密のキャンプ地のような孤城の物語に、そういう加害性を持ち込まないようにしたい。
できるなら、喜多嶋のように、自分の傷を優しさに変えて、その優しさでいろんな子どもたちを包み込めるような、そういう生き方がしたいなと思った。畳む
#映画
2024年2月22日(木)
30分という時間が短く感じる、上質な戦隊映画だった。
1時間くらいあってもよかったのでは?という出来。
本編の途中に挟まる形になっている劇場版だが、手堅くまとまっている感じでよかったと思う。
本編の終盤の重大局面で、急にジャックポットストライカーという謎のコレクションが出てきて、「こんなやついたか?? 見たのに忘れているのか??」とクエッションマークが浮かびまくっていたのだが、映画でお披露目されたキャラだったのか。
本放送がはじまったとき、「ルパンレンジャーの敵は『警察』らしい」という話を聞いて、「いや、原典的に言えば、敵は『探偵』じゃないと」とぼんやり思った記憶がある。
そんなやかましい人に対し、満を持してお出しされた探偵。その名もエルロック・ショルメ!
ついに来た!! ネーミングもそのものズバリで大変に嬉しい。
もうちょっと、推理キャラを印象付けてくれたら最高だったと思うが、わかりやすさを重視して『シャーロック・ホームズ』にすることもできたはずなのに、あえて『エルロック・ショルメ』としてくれたところに拍手したい。
やっぱりルパンの相手はエルロックじゃないと。
演技的に浮いてしまいがちな『芸人枠』でもあるのだが、演技経験の多いココリコの田中さんを連れてくるというウルトラCで、ルパパトのドラマ性にもマッチしていた。
ダブルレッドの関係性の掘り下げという、本編でもかなり重要な要素をガッツリとやってくれているし、敵地にふたりで閉じ込められるという緊迫した展開も非常によく、劇場版ではなく本編の一部としてやってくれてもよかったのでは?という内容だった。
OPのアクションパートもかっこよかったなあ。
残念なのはノエルの出番の少なさだが、彼ひとりだけが一番最初に真相を見抜いていて、短時間ながら追加戦士としての有能さを見せつけていたので、これはこれでいいかなという感じ。畳む
#映画
2024年1月15日(月)
映画を見てから読もうと思っていたため、原作は未読。
新年初映画なのに、全然めでたくないものを見てしまった。
作りは丁寧で、見ごたえがあると思う。
心霊現象を否定したい人がよく繰り出す論理として、「原始時代、戦国時代、戦時中など、過去を遡りまくれば、そこらじゅうで無数の人が死んでいるはず。そんな数の幽霊がウロウロしていたら、ギュウギュウ詰めで、この世は霊の満員電車のような収拾がつかない状態になっているに決まっている。でも、そんな状態の霊を見た人はいない。だから、幽霊はいない」というものがある。
しかし、この論理は、逆に考えれば、「太古の昔から霊がいるとしたら、この世はもうすでに収拾がつかない状態になっているのではないか?」という論理に変えることもできる。
交通事故で死んだ霊が地縛霊としてそこにいるという話よりも、無数の霊がずっと同じ場所に溜まっているという現象のほうが、よほど怖い。
さらに、その霊たちが死に引きずり込んだ人たちも、同じようにそこに溜まっていくとしたら……。
抗いようもない巨大な穢れに、人はどうやって対処していけばいいのだろう。
「残穢」は、そんな無数の『穢れ』を思わせる話だ。
マンションで起きる奇妙な霊障の話は、土地のルーツを探るたびに、過去の犠牲者の存在を浮かび上がらせる。犠牲者たちの霊がさらなる霊障を呼ぶ様子が明らかになるにつれ、それを調査する主人公たちにも霊障が襲いかかる。
好奇心で情報を手繰り寄せれば手繰り寄せるほど、無限に陰惨な出来事にぶち当たる様子が、ドミノみたいで気持ちいい。
こういう巨大な穢れが、世界中の至るところに存在していて、奇怪な自死や心中を呼びまくっているのだろうと視聴者に想像させてくる展開がうまい。
直接的な肉体への攻撃はしてこず、みんな霊障でメンタルをやられて死ぬという部分もじわじわと品のいい怖さだと思う。
唯一、残念なのは霊のCGのチープさ。見えないからこそ怖かった穢れが、実態を持った瞬間に怖くなくなってしまうのが惜しいと感じた。
これはまったく見えないほうが怖くてよかったと思うんだよなあ。
Jホラー映画に非常に映える雰囲気を持つ竹内結子と橋本愛、そして異様なほどに好奇心旺盛な変人作家の佐々木蔵之介がいい味を出していて、キャスティング力の強い映画だ。
どんどん死んでいくモブキャラたちも絶妙に怖い顔つきの人が多くて、雰囲気づくりがうまいよなと思う。畳む
#映画
2023年12月10日(日)
喫煙の美学を感じる映画、かつ反戦映画でもあり、昭和を通して現代社会を覗き見ているのが楽しかった。
伏線回収やら新たな事実が明かされたりやらで、途中から頭のなかが渋滞していた。情報の密度が半端ない。
少しずつ敗戦後の希望が見え始めた昭和から、いまだ戦争や搾取にあふれる令和へ。
偉い人間は蜜を吸いつづけるが、弱い者は容赦なく全てを剥ぎ取られ、尊厳を奪われ、やがて殺される。特に女性と子ども、下っ端の労働者や異端者は真っ先に搾取される。
まさに令和の日本そのものの風景で、娯楽映画としての体裁を保ちながら、さりげなく社会を斬っているのがかっこよかった。
戦争のあいだは政府や上官に人生を奪われ、そして戦後もやっぱりその構図はどこかで再生産されつづける。そのグロテスクさにゾクゾクするし、そんな絶望の淵から、鬼太郎という小さな希望が見える瞬間に震える。
冷徹でグロテスクなのだが、シニカルに社会を見つめている構図がすごく好きだった。
タバコの受け渡しを通して人間関係を描いているのもおしゃれだったなー。
もう一度見たくなる映画だった。
畳む
#映画
2023年10月10日(火)
ドラゴンボール超の批判されがちな点として、インフレの激しさや、強くなりすぎた悟空への感情移入のしづらさがあるが、こういった問題を一時的に解決する映画として、「スーパーヒーロー」は非常に優秀な一本だと思う。
かつて、「ドラゴンボールZ 神と神」で、『破壊神』という絶対に超えられない別次元の強さを持つ存在によって、人間とサイヤ人をベースにするインフレの体系をぶち壊すという方法論が好きだった。
破壊神と天使、他宇宙を登場させることによって、ドラゴンボールの世界には悟空よりも強い存在がたくさんいるということが明かされ、その後のドラマが作りやすくなった。
絶対に勝てない相手がいる、孫悟空は最強ではないとわかったことは重要で、その後もシリーズをつづけていく上で、なくてはならない作品だった気がする。
「スーパーヒーロー」は、「神と神」とは別のアプローチでインフレ問題と向き合う。
「神と神」はインフレのさらに上に視線を向けた作品だったが、「スーパーヒーロー」はインフレの下側にスポットを当てた。
悟空、ベジータ、ビルス、ウイス、そして魔人ブウとブロリー。
超サイヤ人ゴッドSS以上であったり、ボスクラスに匹敵する強さの存在が場にいると、普通の戦闘要員は活躍できなくなり、キャラクターとして死んでしまう。
序盤から愛してきたキャラたちが、急激に魅力を失って単なるお荷物になってしまう悲しさは、かなり前から作品内に漂っていた。
今回は、このあたりの異次元に強すぎる人たちをあえて物語の舞台から『締め出す』ことで、ピッコロと悟飯、そしてガンマ1号と2号の活躍を描いているのがいい。
ピッコロさんの活躍が見たいという願望は、ドラゴンボール超に限らず、以前からみんなが共有していたものだと思うので、それがきっちり解消されたのはよかったなあ。
ピッコロさんは、適度にコミカルで、常識的で、それでいて強くて、すごく感情移入しやすいキャラだったんだなあ……ということを改めて知るのだった。主人公適性が高い……。
もう一本くらいピッコロさん軸の話があってもいいのでは?と思うくらい。
悟空や悟飯と比べると、違和感なくスッと感情が同期できるから気持ちよかったな。
また、超サイヤ人ゴッドSSクラスのキャラを排除した上で立ち向かう敵がレッドリボン軍というのも、やっぱりよくできている。
まったく新しい敵ではなく、かつてインフレする前に倒した敵を、ほぼインフレ抜きのキャラたちで倒すという熱い展開。
「ブロリー」のようなシリアスなトーンではなく、全編を気楽なギャグで包み込んだ、かつてのレッドリボン軍がいたころのテンションで仕上げているのも、こだわりを感じる。
とても考え抜かれた映画だと感じる。畳む
#映画
2023年8月8日(火)
「ヒーローなんてね、仮面ライダーに任せておけばいいのよ!」というセリフがすべてを物語る、ドンブラザーズの喜劇パートの集大成だった。
ドンブラザーズとはいまだにうまく向き合えていなくて、放送時から、大好きな部分と苦手な部分がグラデーションになって混在している作品という印象。
「超光戦士シャンゼリオン」の日常パートの延長にあるような過剰なコミカルさと、その裏に隠れたシリアスパートの重さ。このふたつのギャップが本作の売りだと思っている。
各話の完成度の高さや、一度乗ったら降りられないジェットコースターぶりはさすがの井上敏樹……という感じだったのだけれど、自分がスーパー戦隊シリーズに求めているものはこれではないんだよな、という意識も常につきまとっていた。
最終回を過ぎてもなお、自分はドンブラザーズのことが好きなのか、嫌いなのか、一言では表現しきれない複雑な思いを持ったままでいる。
楽しいジェットコースターではあったと思うのだけれど、自分が見たい戦隊の理想とはかなりずれるような、そんな感じだ。
めちゃくちゃおもしろいけど、自分が見たい仮面ライダーではないな……と思った「仮面ライダー鎧武」と似たような体感かもしれない。
うまく言葉で表現できずにいるけど、「エグみの強すぎる話を特撮で見たくないな」という思いがあるのかもしれない。
さて、「新・初恋ヒーロー」はそんなドンブラザーズの『陽』の部分、過剰すぎるギャグパートのみを寄せ集めて構成された映画で、見やすくてよかったと思う。
シリアス要素はあえて抜いて、30分の尺に濃度の高いギャグのみを敷き詰めるという荒業で、印象的な映画に仕上げている。
それでいて、椎名ナオキの胡散臭さをひっそりと高めたりもしていて、焦らしもうまい。
映画泥棒とのコラボも楽しいし、良作映画だった。
マスターが一番いいところをかっさらっていくのもいつも通りで好き。
映画というよりは本編の一部のようなテンションで、ツッコミどころ満載な通常運転のドンブラザーズを楽しめた。
#映画
2023年4月25日(火)
毎度おなじみのGoogleスプレッドシートの出番だ。
たぶん未視聴なのは4本だけなんだけど、「異次元の狙撃手」と「漆黒の追跡者」の記憶がなさすぎて、違いがわからないという……どちらかはたぶん見た。もしかすると両方見たかも。
このあいだ、地上波で「漆黒の追跡者」をやっていたのを録画しておけばよかったなー。それで、どっちが視聴済みかわかったのに。
プライムビデオで見られるうちに、できるだけ制覇して、数を減らしておくか~。
コンプまであと一歩だ。
#映画
2023年4月15日(土)
なかなか大胆かつ盛りだくさんな筋書きで、かなり楽しめた。
ミステリー要素は少なめで、個人的なコナン映画の好みとはズレるのだけど、それでもこれだけ要素を盛ってあれば満足だ。
先日見た「BLUE GIANT」と同じ監督らしいというのが驚き。
たしかに大胆さは近いかも。
ネタバレにならない範囲で書ける感想はこれくらいかな。
灰原好きは絶対に見るべきだと思う。
#映画
2023年4月12日(水)
最近はあまりついていけていなかった劇場版コナンだが、これは見ないとだめだろう!ということで。
公開当時から気になっていたエピソードだったけど、ようやく見られた。
「揺れる警視庁 1200万人の人質」のファンにはたまらない、松田&萩原のエピソード追加がよすぎる。
ミステリ的にも二転三転する真相が楽しめて、そこまでアクション偏重でもなく、よかったと思う。
一週間しかみんなの前で生きていなかった人に新たなエピソードを盛るの、ハードスケジュールすぎるんだよな……。
今回、かなり細かく彼の最期の一週間のアリバイ概要が明かされたので、さすがにもうこれ以上追加する余白はないだろう……。
萩原の追加はないだろうと勝手に思っていたら、さりげなく盛り込まれていて、これもおもしろかったなー。
もういないはずの松田刑事の幻影に踊らされている人々のなかに高木刑事も含まれているのが熱い。
高木刑事が自分のなかの想像だけで松田刑事を演じるシーンがほんとうに見応えがあったなあ。
もう絶対に勝つことのできない最強の恋敵を、地道な努力によって超えていく強さ。
「もっと生きている松田刑事が見たい!」「過去エピソードがほしい!」と「揺れる警視庁」放映当時には何度も考えたものだけど、すでにどこにもいない人だからこそ、現在の時間軸の作劇のなかで新たに与えられる役割があるのだということが、非常に興味深かった。
それはそれとして、あの巨大サッカーボールを街に放つ行為はなんらかの犯罪に該当したりしないんだろうか?と出てくるたびに思う。危険すぎる。
#映画
2023年4月2日(日)
映画「BLUE GIANT」を劇場で見てきた。
壮絶だった……!
原作は10冊以上あるっぽいので、かなり圧縮されているんだけど、圧縮されているおかげか、話の濃度がすごかったなあ。原作も気になるところ。
ライブシーンの音響がぐいぐい体の中に入ってくる感じで、すごく心を揺さぶられた。
そして、衝撃のラストにも心をグラグラさせられた。
コロナ禍でほとんど映画館に行かない生活を送っていて、たぶん最後に映画を見たのは2019年の「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」だった。
ここからはもっと映画を見る生活に戻していきたいな。
#映画
2023年1月22日(日)
実写版は二種類あるんだけど、これはディズニーのほう。
前からアニメ版を見直したかったのだけれど、せっかくだから実写で見てみるか、ということで。
ベルは、本と空想が大好きで知性を重んじるという属性がオタクにはすごく刺さるというか、共感しやすいキャラクターで好き。
エマ・ワトソンがこの知的なヒロインに合いすぎてて、かなりベストキャスティングだと思う。
曲もどれもクオリティ高くて、現在の感覚で聞いても名曲である。
どれも細部は違うけどほぼ同じ曲なので、アニメ版を思い出せる懐かしさもある。
あと、呪いで物にされちゃった人たちが、ちゃんと物のCGの状態と俳優さんの顔の雰囲気が似せてあるところとか、芸が細かくていいなー。
ちゃんと元の顔を再現してあるっぽい。
実写版で異質なのはガストンの存在感。
酒場のテーブルの上で暴れまわり、その場にいる全員に自分を讃えさせるミュージカルシーンは圧巻。
「グレイテスト・ショーマン」でもバーのカウンターの上で踊るみたいなシーンがあった気がするけど、こういうのってテンション上がるよな~。
野蛮で狡猾、女性をトロフィーとしてしか見ていないうえに簡単に人を殺してしまうという最低な悪役なのだが、自分の欲望に正直に生きているあたりが絶妙に憎めないというか、こいつはいったいどこまで道を踏み外してしまうんだ……というハラハラ感が楽しい。
醜い野獣と対比させるために、とことんまで『映える』男としてビジュアルが完璧に作られてるのがおもしろい。
これで、野獣を獣だけどめちゃくちゃかっこいい造形にしちゃったりすると、たぶん成り立たないんだと思う。
「こんなに見た目がかっこいい男が出てきても、視聴者はそちらになびかずにいられるのか?」と視聴している側のルッキズムの感覚を揺さぶられているような感じすらする。
そんなガストンだけど、なんとル・フウとの出会いのエピソードのスピンオフドラマの企画が持ち上がっているらしい。
2022年春に撮影開始だったはずが、現在は延期中なんだとか。
本編で悪役としてきれいに完結しているのでスピンオフはいらない気もするけど、どんな話なのか気になるなー。
#映画
2022年8月29日(月)
公開当初は「なんなんだ……!?」としか思っていなかったが、見てみると意外とガチのアクションもので楽しい。
序盤の初戦闘で、銭湯に突然踏み入ってきた敵集団と、腰にタオルを巻いた状態で応戦する生身アクションシーンとか、めちゃくちゃ見ごたえあったなー。なかなかない絵面。
特撮勢としては、敵四天王のキャストが熱い。
メンバー4人中の3人が特撮出身である純烈となぞらえて、敵の四天王も3人が特撮出身という凝りよう。
残りの1人も絶妙に仮面ライダー俳優顔なので、混ざると境界がよくわからなくなるという調和感。
「仮面ライダーオーズ」より伊達さん!
「仮面ライダーエグゼイド」より花家大我!
「仮面ライダー鎧武」より初瀬ちゃん!
という、豪華なメンツも非常にいい。
個人的には、このなかだと伊達さんが好きなので、おいしい役どころで嬉しかった。
しかし、伊達さんの中の人を別作品で見かけるとたいてい悪役なのはちょっと寂しいな。悪い顔だけど……。
もうちょっと戦隊出身がいてもよくない……!?という気もするけど、ライダーで統一したほうがみんなわかりやすいのかな。
第二作目のゲストは中村優一と西銘駿らしくて、こっちもかなりビッグで気になる。
お話もしっかり作られていて、純烈の3人がすでにヒーロー活動をしていたことを知った主人公・後上さんが自分もヒーローになるために女神「緑のオフロディーテ」を探し求める過程がすごくおもしろい。
女神と心を通わせることで変身が可能になるという魔法少女みたいな設定もいいよなー。
あと、緑のオフロディーテはかわいすぎる。女神のなかで一番かわいいよね……。
中盤の盛り上がりポイントでの「おまえの今の心は……『純』でも『烈』でもねえ。ヒーロー以前にな、『純烈』失格だろ」というセリフが好きすぎる。
彼らはヒーローである前に純烈だったんだな……。
曲の使いどころもバチッと決まっていて、歌謡界と特撮界の間に橋をかける存在になりたい、というコンセプトとの調和を感じた。
#映画
塚原あゆ子&野木亜紀子のタッグ。そして「アンナチュラル」と「MIU404」から地続きの物語ということで、その期待に答えられるだけの完成度だったと思う。
以下、ネタバレありのざっくりとした感想。
忠実に2作品の世界観を引き継いでおり、社会によって奪われていく命や権利、虐げられていく人々の姿を的確に捉えている社会派サスペンス。
人々の欲望と大手外資企業による策略が、弱者を虐げ、健康に生きる権利を奪う。
いくつかの革命によって、ちょっとずつ状況は好転していくが、欲望が搾取につながる構造自体にはなにもメスが入っていないし、根本的にはなにも変わっていない。
惨劇の現場に余裕のない表情で立つ五十嵐と、センター長として責任を握らされる梨本の姿を順番に見せることで、「また似たような犠牲者が出るのかも」と思わせる、ラストのイヤ~な含みは本当に見事。
社会問題について視聴者に考えさせるためにも、これくらいイヤな後味を残したほうが、社会派としては意義のある作品になる気がする。
でも、これまでの世界観に忠実だからこそ、尺の物足りなさはあったかもしれない。もっと詳しく見たい、という感覚。
2時間という短い尺のなかで、サスペンス的なギミックの開示にかなりの時間を割いていて、「MIU404」ほどには弱者たちの叫びや社会に深く刺さる刃のような文脈を感じられなかったのは惜しい点のひとつ。
個人的な好みとしては、生活が苦しいであろう派遣社員たちの描写が粗かったのはもったいないと思った。ただ、ここは、わざと描いていないのかもしれない。
犯人の心情についてももっと掘り下げがほしかったなと最初は思ったのだけれど、よくよく考え直してみれば、「アンナチュラル」は「不幸な生い立ちなんて興味はないし、動機だってどうだっていい」と、ラスボスに対して安易に物語性を付与する行為を拒否するお話だった。
そして、「MIU404」は逆に、ラスボスの側から陳腐な物語化を拒否するという話だった。
それを踏まえて考えてみれば、今回の真犯人の物語がそこまで語られていないことにも納得がいく気がした。
真犯人によるお涙ちょうだいの語りは、社会や企業によって与えられる痛みを、単なる個人の問題として矮小化してしまう装置だ。徹底してそうした語りを行わないことで、「わかりやすい物語になんてしてあげない」、「加害を行った人間や、そこに至るまでに起きた問題を美化しない、安易に飲み込ませない」という方針なのだと思う。
犯人が、どうして無差別に爆弾を送りつけたのか。
そして、どうしてすべてを見届ける前に自殺したのか。
それらの理由は視聴者が勝手に想像するものであって、物語として食べやすく料理して渡されるものではないのだ。
なんとなく想像はつくけれど、想像の域を出ないし、違うかもしれない。
「ちゃんと教えてほしかった」という感想も出そうだけれど、ここはあえてわからないようにしているのではないかと思った。
他にもいろいろ書きたいことはあるけど、まだ頭のなかで感想がまとまっていないので、きょうのところはメモ書き程度にこれだけ残しておこうと思う。
パンフも買って読みたいな~と考えつつ。畳む
#映画