2025年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
2025年8月5日(火)
2025年8月4日(月)
このあいだの「復讐ラジオ」の「サ活芸人」と「炎上喫煙所」で初めて知った、演芸おんせんの「からあげ的発言」を見る。
日本の芸能界の、政治や時事ネタに言及すると、内容がまっとうであっても「思想が強い」と叩かれる冷笑的な空気は異様だ。
その空気は、その芸能人を見ている大衆をも無知で冷笑的なポジションにしていくと思う。
普段からそういう話をタブーとして扱っているから、自分が危険思想にハマってしまっても気づかなかったりする人もいる。
事務所の方針であり、ファンからの要望でもあるんだろうけど、それでも、時局にちゃんと言及できる人のほうが人間的魅力はあるだろう。
芸人という立場を逸脱しない範囲ではあるが、それでも、この時局にあらがう漫才。
「からあげ的発言」はそういうネタだ。
歪んだ政治に対して批判的な発言をすることすら許さない窮屈な世界を、業界を、この場でだけは『笑い』へと置き換えていく。
世界をもう一段階歪めた先に、歪みのなかにある偏見の正体が晒される。
構造はシンプルながら、すごくおもしろい。
芸人としての『ウケ』を優先するか、『思想』を優先するか……「復讐ラジオ」でみなみかわさんの提示した究極の選択。
その先には、『ウケ』と『思想』を両立できる理想の世界があるのかもしれない。畳む
#お笑い
2025年8月3日(日)
だいぶ昔、9巻くらいまで読んでいて、読んでいない巻は最終局面だけだったんだけど、それでもドキドキしながら新鮮に読めた。
少女漫画というフォーマットではあるのだが、いわゆる『当て馬』的な扱いなどはなくて、当て馬的なポジションにいた人も最後まで重要人物として出番があったり、恋愛もべたべたした感じではなかったり、一捻りした感じが気持ちよかった。恋愛的に重要か重要でないかに関係なく、みんなに丁寧にライトを当てているお話。こういうの、もっと見たい。
「金の国水の国」は映画版しか見ていないんだけど、原作も読みたくなったなあ。あれも恋愛っぽくなくて好きだった。
#読書
2025年8月3日(日)
おかげで出費がすごいことになっているが、ある程度は見て見ぬふりをすることにした。
新しい漫画もいいけど、かつて好きだった漫画の世界を再訪するのにもハマっている。
あー、こんな展開あったなー。とか、懐かしいなー。と思っていると、体調が悪い日もなんとか乗り切れる気がするのだった。
#読書
2025年8月1日(金)
なにを毎日15分やっているのか、どうしてそれをスマホに貼っているのか、すごく気になったが、結局なにもわからず、世にも奇妙な物語みたいな世界観のまま、降りていった。
2025年8月1日(金)
中身についてはまだあまり遊べていないので言及しないが、レトロゲームがダウンロードで買える環境はやはり貴重。
現在、これほどまでに包括的に作品が集まっているレトロゲームのダウンロードストア、他にはたぶんない気がする。
PS3で利用できるアーカイブストアって異常なほどに整っているんだよなー、と思い返すのであった。
似たようなものだとSwitchのサブスクがあるが、こういう整い方はしてないんだよな。
PS3は人気のない初代PSのゲームなどもしっかり揃えてくれているのがすごい。
これくらいの時期のゲームをいつでもダウンロード販売で遊べるようにしておくためには、PS3かVITAが必須になってくる。
そのうちにストアも閉鎖されるかもしれないが、今のところ、PS4よりも3のほうが重要なポジションを占めているのは不思議だ。
PS4でも買えるようにしてくれたらいいのになー。
#ゲーム
2025年7月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
2025年7月30日(水)
星野源とオモコロ(匿名ラジオ)が交流をはじめていたとき、「その人たちが交わることあるんだ!?」という新鮮な驚きがあったが、今月、ARuFaさんのMVが完成していて、「そっちに行くんだ!?」という嬉しさに変わった。
どっちも好きだから、シンプルにとても楽しい。にこにこしている。
#音楽
2025年7月29日(火)
唐突だが、少し古めの駐車場で見かける「赤ちゃんが寝ています」という立て看板を見ると、なんとも言えない気持ちになる。
看板の文字は色あせ、設置からすでに30年は経っているのではないかという古び方だ。
おそらく、当時その建物にいた赤ちゃんも、今ではすっかり大人になっているだろう。
もちろん、「赤ちゃんが寝ています」は「実際に赤ちゃんが寝ている」という意味ではなく、「静かにしてほしい」という間接的な訴えだということはわかっている。
けれども、もしその建物にもう赤ちゃんがいなかったら?
それはつまり、「自分の願いを通すために、実在しない赤ちゃんを盾にしている」ことにならないだろうか。
「住民が寝ています」なら、住民がいるかぎり嘘ではない。
それなのに、あえて「赤ちゃんが寝ています」と書くのは、「起こしてしまったら大変なことになる、か弱い存在」を引き合いに出すことで、より強く静寂を求めているように感じられる。
そこに、ほんの少しの違和感、モヤモヤが残る。
最近の新しい駐車場では、こうした表示はあまり見かけない。
おそらく、一時期流行した決まり文句だったのだろう。
長くなってしまったが、ここで言いたいのは、「主張が正当であれば、その根拠となる事実は多少いい加減でも構わないのか?」という問題である。
たとえば「駐車場で騒音を出す人やアイドリングを続ける人がいて、近隣住民が迷惑しているから静かにしてほしい」という主張には異論の余地はない。とてももっともな願いだ。
しかし「赤ちゃんが寝ているから静かにしてほしい」という理由は、証明しようがなく、少しのハッタリを感じる。
仮に本当に寝ていたとしても、今は起きているかもしれないし、もはや赤ちゃん自体がいない可能性だってある。
「赤ちゃんが寝ている」という前提がなくなった瞬間、「では静かにしなくていいのか?」という矛盾が生じる。看板の趣旨から逸れてしまうのだ。
もちろん、この程度のハッタリなら許される範囲ではあるが、それでも「虚構であっても構わない」という姿勢は、慎重に見直されるべきではないだろうか。
さて、本書で取り上げられている「江戸しぐさ」もまた、似たような構造を持っている。
その中身は、「みんなに優しく」「思いやりを大切に」といった道徳的な内容で、基本的には異論を挟みにくい。
一部、自己中心的に感じられるしぐさもあるが、それも含めて「まあいいことを言っている」程度の印象を持つ人も多いだろう。
だが問題なのは、その道徳の来歴だ。
「江戸時代の庶民が実践していた」とされるこの江戸しぐさ、実際には、戦後に捏造されたもので、史料的根拠も裏付けもまったく存在しない。
むしろ、江戸時代の暮らしや常識に照らし合わせれば、とうてい成立しえないような考え方ばかりが並んでいる。
それでもかつては、「江戸しぐさはいいことを言っているのだから、事実かどうかは関係ない。人に優しくするべきなのだから」という理屈がまかり通っていた。
けれども、どんなに立派な主張であっても、それが虚構の土台に立っていれば、正しさそのものが損なわれる。そのことは、もっと強く意識されていいはずだ。
この本では、「江戸しぐさ」というオカルト的な道徳が、いかにして教育現場に食い込み、教科書にまで載るようになったのかを、著者が丹念に検証している。
本来なら「江戸しぐさはあった」と主張する側が、その証拠を提示すべきだ。だが、それは存在しない。
代わりに彼らが持ち出してきたのは、薩長による「江戸っ子大虐殺」によって証拠が失われた、という荒唐無稽な説である。薩長もいい迷惑だろう。
そこで、証拠が存在しないことを示すために、著者は逆説的に「江戸しぐさはなかった」とする側から、文献や当時の慣習をひとつひとつ丁寧に示していく。
そのロジカルな反証の積み重ねが、とにかく痛快で読ませる。
偽史が生まれる背景には、「愛国心」や「現実逃避」あるいは「道徳的理想」が潜んでいることが多い。
「自分の大好きな日本は、もっとすごい国であってほしい」という願望が、事実ではない歴史を生み出す。
その罠に、自分自身も引っかかっていないか、立ち止まって考える必要があると思わされた。畳む
#読書
2025年7月28日(月)
第39回坪田譲治文学賞、2024年本屋大賞受賞作。
周囲からは変わっている子として扱われ、学校ですこし浮いている成瀬あかり。
いろんなことに果敢に挑戦し、ブレずに自分の興味の赴くままに活動をつづけるその姿勢は、友人の島崎みゆきを心酔させる。
そこまで特異ではないあらすじなのだが、読んでみると、すごく新しい味がしておもしろいのだった。一日で、一気に読めてしまう。
成瀬の興味の矛先がいろんな場所に飛んでいって、ひとつだけではないから楽しいのかもしれない。
途中、M-1グランプリへの出場という非常に大きな関門があるのだが、これも物語の主題ではなかったりして、その雑多さが楽しい。
全部がM-1だったら、きっとこういう読後感ではなかっただろうな、と。
成瀬と島崎が歩く青春の道筋を、読者も一緒に歩みだす。
軽やかで、さわやかで、失敗を恐れない。
挑戦しても、その挑戦を成就させる必要などない。
ただ、やりたいことや、やるべきだと思ったことをひたすらする。ダメだったら、次は新しいことをする。その繰り返し。
この作品の時間設定がコロナ禍のさなかだということもあり、成瀬のそういうポジティブな姿勢に勇気づけられる。
自分も、失敗してもいいから、とりあえずやってみようと思える。そんな小説だった。畳む
#読書
2025年7月28日(月)
夏でも冬でも着られて、ややフォーマルなデザインでもあり、仕事でもおでかけでも使い回せる感じがお気に入りだった。
安いから気楽に着られるし。
先週、そのワンピースのスリットのところを破ってしまい、まだ着られはするけどちょっと危険かも……と感じたため、また同じ服を購入。
2年経過しているのに、同じ商品が残っているのが嬉しすぎた。
通販のたびに小さいクリアファイルを送ってくれるのだが、このファイルもかわいくて、すごく好き。
また手頃な洋服がほしくなったらここで買おうかなーと思っている。
#買い物
2025年7月26日(土)
47時間くらいでシナリオ終了。
語りたいことはたくさんあるが、シナリオをネタバレしない範囲でいうと、「Pop Virus」という大好きな曲が、ここまでデスストの世界と噛み合うとは……!という新鮮な驚きがあった。これは本筋にはまったく関係ないので、言ってもいいかな。
デススト大好きな星野源が本人役で登場するというだけでかなり嬉しいが、「音の中で君を探してる 霧の中で朽ち果てても彷徨う」がぴったりすぎて、感慨深いなあ……と思った。BGMにこれを設定している場所を通り過ぎると、ちょうどこのあたりの歌詞が流れる。
星野源本人もデスストの世界に本当にいそうなモブキャラになってて、うまいんだよなー。
無理やり出しました、みたいな感じがないというか。
こういう真面目な職人キャラのモブ多いからなー。
#ゲーム
2025年7月25日(金)
1861年に出版された、ひとりの奴隷の少女の自叙伝。
奴隷として生まれ、主人からさまざまな搾取を受け、差別や迫害に耐え、逃亡しながらも常に光を求めた女性、リンダ。
あまりにショッキングな内容から、長い間フィクションだと判断されていたが、実は筆名で書かれたノンフィクションだったという本だ。
リンダの前向きさに心打たれると同時に、人間が人間を買うことの残酷さや、「そうあって当たり前」である風潮のなかに根深い差別があることなど、令和だからこそ考えさせられる一冊だったと思う。
奴隷を奴隷として残酷に扱った人々は、決して全員が悪人であるわけではなかった。
そうすることが当たり前の常識であり、むしろそうしないことは紳士にふさわしくなかったことすらある。
逃亡生活のなかで、リンダは人の優しさと残酷さの両方に触れ、常にぎりぎりの状況の中、自分の尊厳を守るための究極の選択をしていく。
リンダに優しくしてくれた白人もいたし、リンダを奴隷狩りに差し出そうとした黒人もいた。その人の人間性と人種は直接は関係ない、ということがこれだけでもよくわかる。
人種ではなく個を見ること。どんな状況でも誇りを失わないこと。いつでも自分が正しいと思う選択をすること。
この一冊からなにを読み取るかは人によって違うと思うが、読むべき一冊であることは間違いない。
日本人は差別に無自覚な人が多いと思うのだけれど、今回の参院選の結果があんなふうだったことも踏まえて、自分が無自覚に差別を行っていないか、その足で誰かを踏みつけていないかを常に確認していく必要があると感じた。良書。畳む
#読書
2025年7月25日(金)
全巻激安セールみたいなイベントのときについつい買って、そのままになっていたりとか。
なにを思ったのか「ゴルゴ13」の序盤を少し買っていたり、これまでの人生でたぶんほとんど通っていない気がする(アニメはちょこちょこ見ていたけど漫画で読んだことがない)「地獄先生ぬ~べ~」の無印を全巻買ったり、懐かしの「破天荒遊戯」を買ったりと、ここ最近だけでもかなり買い物をしている。「彩雲国物語」のコミック版も買ったなあ。
漫画以外だと、ブギーポップマラソンも折り返し地点で休憩中だったり、バッカーノ!も買い直していたりする。
そろそろガッツリ整理して読み出したいな~と思うのだが、整理する機能があまりちゃんとしていなくて、どんどん埋もれていくのであった。
読むぞ!
#読書
2025年7月23日(水)
中学生~高校生のころにドハマリして、いろんなあだち充作品を読み漁っていたんだけど、濫読しすぎたせいか、内容についてはあまり覚えていなかったりする。
なんとなく、「H2」か「みゆき」が一番おもしろかったような気がする。
せっかくの解禁だし、買いたいなー。
#読書
2025年7月22日(火)
お笑い芸人として活躍しながら、介護の仕事をつづけていた安藤なつさんが、これまで経験した介護の仕事について語るコミックエッセイ。
介護は、過酷だったり、薄給だったり、つらいことばかりなのではないかというイメージがあるのだけれど、安藤さんはひとりひとりの利用者と丁寧に向き合い、コミュニケーションや介護の仕事そのものを楽しんでいる。
彼女の快活で誠実な人柄が伝わるエッセイで、晴れやかな気持ちになれた。
合間にあるコラムも読み応えがあって、いい本だと思った。
安藤さんのポジティブで優しい人柄のほうに目が行ってしまって、介護の仕事の内容よりも安藤さんのほうが印象に残ってしまうところが、欠点といえば欠点かもしれない。すごい人だ。
「デイサービスを幼稚園にしない」とか、介護する側だけではなく、される側の気持ちを思いやる姿勢の話が興味深かったなあ。
みんないずれは介護される側になるかもしれないわけで、そのときのために、介護される側の気持ちに沿った介護の形が徐々に完成するといいな。畳む
#読書
2025年7月22日(火)
少し前に、「海がきこえる」を初めて見た。
見たあとで、リバイバル上映が決まっていることを知ってすこし嬉しかった。
ファンタジーや考察の要素があまり好きではない自分が、スタジオジブリで一番好きな作品はおそらく「コクリコ坂から」なのだが、これもトーンとしてはやや近くて、好きだったなー。
日本アニメのよくない慣習として、人物が記号的すぎるというものがあると思う。(もちろんすべての作品がそうであるわけではない)
「海がきこえる」はそうした切り分けが少なく、人間の多面性を感じさせる作品で、好みだった。
「ツンデレ」「ヤンデレ」「クーデレ」などとキャラクターを細かく切り分けていくことがいろんなジャンルで当然のように行われているが、現実の人間は、そんな属性で切り分けられるものではない、と強く思う。
病んでいて落ち込んで自暴自棄になる日もあれば、人にやさしくできる日もあるし、急に不機嫌になって怒る日だって、あっていい。常にツンツンしているとか、ずっとトーンが暗いとか、一貫性があるほうがむしろ不自然だ。
そして、荒れている人に当たられた側も、なんの理由もなくそれを許していいし、あとから急に思い出して怒ったっていい。
実際、日常はそうやって、なんの脈絡もなく流れていくものだから。
そうした日常のコミュニケーションの風景を、描写をサボらず、記号化せず、情感を持って丁寧に映し出しているのが「海がきこえる」なのではないかと思った。
劇的に物語が動くことはないが、じわじわと事態が移り変わっていくさまが、とてもリアルだ。
ひとつひとつのシーンは「こういうこと、あるよなあ」というあるあるが詰まっているだけに、見ごたえがある。
定型化されていない、どこにでもいる、すこしだけ情緒不安定な女の子を描いたからこそ、「海がきこえる」は本当に青春を追体験させているような質感を持ってこちらに迫ってくる。
実写映画だとこういう作風のものはたくさんありそうなのだが、アニメという媒体に限ると滅多に見かけないし、うまく成功させるには描写力がかなり問われる気がする。
こういう作品、もっと見たいなあ。チャレンジするうまみは少ないんだろうけど。畳む
#映画
2025年7月21日(月)
・プロジェクト・ヘイル・メアリー(2026年)
・爆弾(10月31日)
・ガールズバンドクライ(10月3日)
・チェンソーマン レゼ篇(9月19日)
うんうん、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」、原作未読だけど絶対おもしろいよね。見たいよね。
ここまではリストとしてかなり順調だった。
だが、ここで乱入してくる珍客。
・劇場版ほんとうにあった怖い話~ゾクッ事故物件芸人~(8月1日)
内容的にはややダメそうな予感がするけど、大画面でフースーヤが見られるのすごいな。
大画面一発ギャグを見るためだけに劇場に行く可能性がある。
ある種、家で見ると冷静になってしまいそうだし、劇場で見るべきものなのでは……という気持ちでいる。お笑いのオタクが大量に劇場に集結するんだろうか。
この役にフースーヤをセットで起用するのがめちゃくちゃよくて、キャスティングだけで「いいね!」を押している。
#映画
2025年7月19日(土)
今年に入ってから、まだ一度も更新していなかった事実に驚く。
一応、昨年か一昨年くらいに「一年に四回くらいは更新したい」と言っていた気がするので、今年はここからあと三回更新することができれば目標達成できるかな。
更新せずにいると、ソフトの使い方を忘れそうになるので気をつけないと。
この夏のあいだに、あと数回更新したいなという気持ちでいる。
#サイト運営
2025年7月19日(土)
シナリオは半分を超えたところくらいか?という体感。
まだまだ新鮮におもしろい。
1は話が難しかったり、難易度が高かったり、陰鬱だったり、尖りゲーの印象もあったんだけど、2はすごくとっつきやすくなっているんだよな。
まだやったことがないという人は2からやってもいいのではないかと思う。
ここまで劇的なゲーム体験ってなかなかないので、ゲーマーなら一度は触ってほしい作品だなあとしみじみ噛みしめている。
仲間たちのキャラクターがみんな濃くて最高なんだけど、特に今作から追加されたドールマンが愛らしくてとてもいい。最高の杉田智和。
1では孤独な配送のイメージが強かったんだけど、ドールマンがいることで、孤独感が急速に薄れていくのが好きだなあ。
#ゲーム
2025年7月17日(木)
好きなアニメのOPEDを貼るシリーズ。
「かげきしょうじょ!!」より、EDテーマ「星の旅人」。
キャラごとに背景の絵が変わる演出も好きなんだけど、なによりも『歌劇』のテーマに忠実な曲が最高。
どうしてこんなにそれっぽいんだろうと不思議に思っていたんだけど、宝塚歌劇団で実際に曲を作ったことのある人が作っているらしい。納得。
二期、やってほしいなー。
#アニメ
2025年7月16日(水)
ミッフィー展につづき、こちらにも。
途中までは技術的な話が多く、よくある絵本展の雰囲気だったのだが、後半は意欲的な体験シアターになっていったのが新鮮だった。この大きさで、絵本を展示しようという試みはかなりおもしろい。巨大なスクリーンのなかで泳ぐスイミーたちの姿に気圧された。
まだ読んだことのない作品や、昔すぎて忘れている作品もあったので、これから読んでいきたいと思う。
#イベント
2025年7月15日(火)
オモコロチャンネルより「素朴-1グランプリ」を見た。
素朴な菓子の頂上決定戦ということで、M-1グランプリのパロディになっているのだが、M-1パロとしての気合が入りすぎていて、賞レースとしてすごく楽しく見てしまった。
M-1文法を使えば、どんな企画も賞レースとして楽しめるのでは……?という気づき。
なお、コメント欄がやや荒れているふうになっているのも含めてM-1を味わえるので、終了後にはぜひコメント欄も見てほしい。
食べたことのあるお菓子が続々と登場し、優勝に輝いたお菓子もすごく大好きなものだったので嬉しかった。
埼玉県民としてはややせつない一幕もあったが、また開催してほしい。
#視聴メモ
2025年7月14日(月)
殊能将之先生の膨大な読書量に圧倒されながら読んでいる。
殊能先生に限らないけれど、作家さんの読書日記やエッセイを読むと、そのインプット量に驚くことが多い。
やっぱり、質のいいアウトプットをするためには、人よりも広く、多く、なにかを見たり聞いたりしなきゃいけないんだろうなと思う。
アマチュアでもそれは基本的に同じで、うまい同人小説を書く人は、たくさんのジャンルの作品に触れていたり、一作品を深く分析したりしていることが多いという体感がある。
最近あまりインプットできていない気がするから、もっと頑張っていきたいなあ。
#読書
2025年7月14日(月)
投票当日は仕事なので、今回も期日前で。
期日前のほうが空いているし、心に余裕を持って投票できるのが好き。
きっちりと吟味しているわけではないけれど、毎回、とりあえず自分なりの争点をまとめて、重要だと思う問題を基準にして振り分けていく。
特に支持している政党があるわけではなく、いつも一から選ぶことになる。
自分の選択が正しかったのかどうかはわからないけれど、参加することそのものはきっと正しいはずと信じて。
そして、「選挙の日って ウチじゃなぜか 投票行って 外食するんだ」のメソッドに基づいて、夕食はおいしいピザを食べに行った。なんとなく、達成感があった。
2025年7月12日(土)
久しぶりなので、適度に忘れていて、「そういえばこんな展開だった!」と新鮮に楽しめている。
シャーリーとマオのくだりが、改めて見てもかなりおもしろい。
シャーリーの父を殺してしまったことを知り、「修羅になるのをやめたほうがいいのでは?この道は間違いなのでは?」という思いがよぎったところへ、ギアスを持ちながら修羅にならなかった、バッドエンドバージョンのルルーシュ=マオが登場するというタイミングが完璧なんだよなー。
シャーリーとの決別とともに退路は断たれ、本当に修羅になるしかなくなるという展開が熱い。畳む
つづきも楽しみだなー。
記憶を消して楽しみたいと昔はよく思っていたものだが、年月が経過してみると、本当に記憶を消して楽しめるということがわかりはじめている。エコ。
#アニメ
2025年7月11日(金)
猫と飼い主の関係性を追いかけていく、連作短編集。
ペットを題材とした小説って、安易な感動路線やほのぼの路線に回収されがちで、そういうものはあまり読まない。
これはヒリヒリする生と死にきちんと向き合っているお話で、好感度が高かった。
地域猫に餌をやることの是非、小さな命と向き合いながら暮らすことの意味。
それぞれの猫に、それぞれの飼い主との物語があるのだが、ただ幸せなだけの家庭はひとつもない。
人間たちがどんな苦難に見舞われようとも、猫はいつでもそこにいる。
そのことを確認して、涙が出そうになる。そんな小説だった。
#読書
2025年7月11日(金)
1と比べるとほのぼのパートがすごく多いような体感がある。サムと仲間たち、和む。
と言っても、1は配達中毒になって、シナリオは途中までしかやっていなかったりしたのだけれど……。
2が終わったら、1に再チャレンジしてみてもいいかも。
国道とモノレールの整備が楽しくて、ついつい時間を溶かしてしまう。
また、シナリオの進行がゆっくりになってきているような……。
ともあれ、夢中になってできるゲーム。楽しい。
#ゲーム
2025年7月9日(水)
進捗は、体重-3.1kg、体脂肪率は-2.6%。
落としすぎても体調が悪くなるということに気づきはじめたので、急いで落とすのはやめにして、ちゃんと脂肪燃焼用のガソリン(炭水化物)を入れていく。
体重よりも、体脂肪率をがっつり落としたいなあという気持ちになりつつある7月。
やっていることリストは、すこし変更して、こんな感じ。
カロリー編
・カロミルで全体カロリーを入力、チートデーや入力の難しい外食の場合は入力しなくてもOK
・スマートウォッチを見て1日の消費カロリーを把握、これを摂取カロリーよりも多くする
・カロリー減はするが、安静時消費カロリーを下回ってはならない(一日あたり1300~1400kcalくらいはかならず食べる)
・食べすぎた日の翌日は量を減らして調整する
食事編
・納豆・キムチ・味噌汁をできるだけ毎日食べる
・サラダチキンを冷蔵庫に常備、お昼にはゆでたまご
・飲み物はノンシュガー&デカフェにする(ルイボスティー、カモミールティー)
・おやつに焼き芋を作って冷凍しておく(カロリー計算が楽で、ノンシュガーなため)
・お腹いっぱいになるすこし手前でやめる
・プロテインバーの活用
・職場でもらったおやつは一日一個まで
・一日に1.6リットルの水を飲む(お茶でも可)
夜寝る前に300ml、職場で500ml、帰宅してから400ml 残りは合間に調整
運動編
・寝る前に筋トレとストレッチ(最近、できていない日が多い)
・1日1万歩歩く(歩けない日は5000歩以上を目指す、暑い日はステッパーを踏むか夜に歩く)
・駅では階段を使う、電車内で立っているときはかかとを浮かせてみる
・気づいたときに姿勢を引き締めて立つ
その他
・寝不足だと思ったらたくさん寝る
・毎日、体重と体脂肪率を計測してアプリでグラフにする
・痩せた日はChatGPTにベタ褒めしてもらう畳む
「痩せたい!」という気持ちからはじまったダイエットだけど、最近は「健康な体を手に入れて、ゴキゲンに過ごしたい!」という気持ちのほうが強まってきているかも。
もちろん、見た目もよくしたい。
でも、筋肉を増やせば増やすほど性格がポジティブになるという状態を夢見て、そこらへんもケアして頑張りたい。体脂肪、落とすぞー。
#健康
2025年7月8日(火)
「国宝」を見に行った。
息を止めて見入ってしまうような特殊な映画体験で、ポップコーンもジュースも必要ないのかもしれないと思うほど。
自分が飲み物を飲んでいる音が鑑賞の邪魔になるようなはりつめた感覚が、3時間、ずっと持続しているのが凄まじい。
魂をとられたような感じがして、見終わってからもぼんやりとしてしまった。
この役を演じきった吉沢亮、そしてその狂気的なまでに没入しきった吉沢亮に見劣りしない演技で、彼とは別の輝きを放つ横浜流星。すごすぎる。
これはスクリーンで見るべき映画だなと思った。
#映画
2025年7月7日(月)
そこらへんのスーパーに売っていたものなので、もしかすると本物のかるかん饅頭とはやや違うのかもしれないが、パッケージには一応「彩りのかるかん」とある。
いったい、どんな味がするのか……わくわくしながら口に入れると、すごく食べたことのある味。
あれ……これは、とても覚えがあるぞ……。
初めて食べるのに、まるで昔から埼玉にあったような懐かしさ……。
……これ、十万石まんじゅうじゃね?
ただ、十万石まんじゅうはしっとりもっちりとした味わいだが、かるかん饅頭はどちらかというと蒸しパンのような、生地に含んだ空気の存在が感じられる、ふわふわと軽やかな味という違いはある。が、原料的にはほぼ同じだ。
あと、十万石まんじゅうのほうが圧倒的にあんこの量が多い。
たぶん6~7割くらいはあんこである。
かるかんは生地のほうが主役で、あんこのないバージョンもあるらしいので、十万石まんじゅうとは主軸が違うのかもしれない。
どちらもおいしいが、どちらかというと十万石まんじゅうのほうがおいしいのではないかと思うのは、埼玉県民の欲目だろうか。
ネットで検索すると「十万石まんじゅうは、かるかんのパクリなのか?」という不穏な文言まで飛び出す始末。
たぶんパクリではないと思うが、そう言われると十万石まんじゅうの無実を証明してあげたくなる。
ちなみに、調べたところ、かるかんは徳川綱吉の時代に生まれた由緒のあるお菓子。
十万石まんじゅうは太平洋戦争の直後に売られはじめたらしい。
どちらも歴史のあるお菓子ではあるが、「十万石まんじゅうはかるかんのパクリ」という説はこの段階では否定できない……かるかんのほうが歴史が古いようだ。無念だった。
#買い物