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2025年8月27日(水)
2025年8月26日(火)
第173回直木賞候補作。
もしも、命のビザを発行した外交官・杉原千畝と、戦前推理小説の道を切り開いた江戸川乱歩が、親友だったら……というIF設定に基づく、友情歴史小説。
それぞれの視点から展開していく伝記ストーリーもおもしろいが、ふたりの人生がどう交わり、どんな影響を与えていったのかという描写も丁寧で、引き込まれた。
また、当時の推理小説界のそうそうたる客演メンツもおいしく、このあたりの時期のミステリが好きな人は名前を追いかけているだけでも楽しいと思う。
特に、横溝正史の大活躍ぶりは非常に好きだった。いいキャラしてる。
途中、「乱歩と正史」でもよかったのでは?と思うシーンがいくつかあった。
『戦前推理小説』から、『戦後推理小説』へと引き継がれていく魂の話や、その引き継ぎのきっかけとなったあの作品に関する話など、ミステリファンなら絶対に見たいであろう話題が目白押しで、どこからどこまでがフィクションなのかはよくわからないが、楽しい読書だった。
直木賞を受賞してもよかったんじゃないかと思う。受賞作なしなのが本当にもったいない。
#読書
2025年8月26日(火)
万年筆はすこしお休みしていて、お高めのノートなども、母艦以外はほぼ休んでいる。
母艦ノートは毎日ちゃんと書けているので、活動としてはじゅうぶんかなとも思う。
母艦ノート以外では、100円均一でだいぶ前に買った、ちいかわのミニノート(カニちゃんとモモンガ柄)を使って、思考の整理を行っている。
最近よく思うのは、思考を整理するための書き出し道具は、あまり高価でない品のほうがいいなということ。
高級ノートよりもチラシの裏のほうが捗る、というようなことがよくある。
ペンもノートも、高価であればあるほどいいというわけではない。
なんの躊躇もなく書ける雑紙のほうが、心から楽しんで書ける、というような現象もある。
ちいかわノートは、表面にしか罫線がなくて、最初から片面のみの使用を前提としたデザインなのも、ガシガシ書けていい感じ。
そんなにページ数はないんだけど、この手のガシガシ系のノートはいつも置いておいてもいいかもなあ。
#手帳
2025年8月24日(日)
第173回直木賞候補作。
あらすじの時点でやや異様な感じがあり、これは直木賞っぽくないんじゃないかという予感がしていたが、本当にヘンテコな小説だった。
個人的にはクセ強でかなり楽しめたが、なぜこれが直木賞候補に……?というイメージではある。芥川賞寄りの作風かもしれない。
それぞれに犯罪スレスレの逸脱を見せる主人公たちの心の揺らぎ方がリアルで、すごく好きだった。彼らの逸脱ぶりが物語を動かしていくのがおもしろい。
最後の占い師師弟の関係性が巨大感情百合の一歩手前感あって好きだったなあ。このあとどうなるのか気になる。
#読書
2025年8月24日(日)
まとまった時間を作って、やりたいな。
むかし、途中までプレイして、ifの精度が高くて感動した記憶がある。
またチャレンジしたいなー。
#ゲーム
2025年8月22日(金)
多忙な四人のおじさんたちが、喫茶店をはしごしながら、怪談を披露する「珈琲怪談」という名の男子会。京都、横浜、大阪などなど、さまざまな場所で披露される怪談は、四人のもとに異界を引き寄せる。
シリーズの3作目らしいが、ここから読んでも問題なさそうな感じだった。
どういうシリーズなのか気になるので、過去のものも読んでみようかなあ。
おじさんが四人集まってひたすらに仲良くダベるというシンプルなお話で、それ以上のことは特にない。
最後にがっつりメインディッシュが来るのかなあと期待していたが、実際は最後まで淡々としていた。
ライトに読めるのはすごくいいと思うが、ホラーが好きな人には物足りない内容かもしれないと思った。
あえてそこまで怖くなくしているのかも知れないが、毎回、怖くなる前に終わっちゃうんだよなー。
初心者向けのおかゆホラー、といったところか。
#読書
2025年8月22日(金)
最初は「どうやるんだっけ!?」と戸惑うけど、体がコマンドをなんとなく覚えてくれていることがわかると嬉しくなる。
体がコマンドをきちんと覚えるまでやりこむのって、なかなか大変なんだよなあ。そこまで頑張れたのは、これまで、月華とスト6とウル4くらいかなあ。
#ゲーム
2025年8月20日(水)
ラスボスはもう一押しあってもよかったのではないかと思うんだけど、やっぱり4話と5話の流れは好きだなあ。
5のオドロキくんが好きすぎて、このオドロキくんはもうどこにもいないのかよ……と思ってしまうという。
パラディンよりも暗黒騎士のほうがかっこいいのになあ……もう戻せないのか……(FF4)的なやつ。
「逆転裁判4」でオカルト的な要素のバランスがおかしくなってしまったのを調整するため、「逆転裁判5」はオカルト要素が少なめになっているのがうまいと思う。
オカルト寄りな要素としては、オドロキくんの腕輪、ココネちゃんのカウンセリング、ナルホドくんのサイコロックという3要素が配置されている。霊媒はなし。
腕輪は微妙なラインだが、ユガミくんの判断においてはインチキなので、法廷では基本使用禁止。
カウンセリングは心理学の領域なので、使用可。
サイコロックは完全なオカルトなので、法廷の外で活用。
という棲み分けを徹底したことで、ロジックの信用度が明らかに上がった。
過去作キャラを多めに出しているにもかかわらず綾里真宵を出さなかったり、綾里春美を出しながらも霊媒はさせなかったりと、「オカルト少なめ」へのこだわりが随所に感じられる。
特に、法廷での腕輪の使用が禁止、というくだりはいい判断だったと思う。
あの腕輪がOKだと、なんでもOKじゃないか……という気持ちになってしまうからなあ。
心理学分析の使用が許可されていることで、「人間の感情」を基軸にした謎解きが展開されるというのも、他の作品にはないポイントで、おもしろい。
ここからの揺り戻しとして、「逆転裁判6」はオカルト要素が増えて、がっつりと霊媒の話をするようになるというのも納得感がある。
6の場合、ここらで真宵ちゃんを復活させたいという思いもあったんだろうな。
次は4か6を再プレイしたいところだけど、どっちがいいか悩む。
#ゲーム
2025年8月19日(火)
ひたすら逆転裁判5をして過ごした。
ユガミ検事がすごくいいキャラなのと、オドロキくんやミツルギ、ガリュウさんまで含めて、満遍なくキャラが活躍するバランスのよさが好きだなー。
あとはラストスパートというところまで来たので、このまま走り抜けたい。
#ゲーム
2025年8月18日(月)
置き土産クイズシリーズの第2弾が発表されていたが……こ、これは……!!!
驚愕の展開に度肝を抜かれた。個人的に。
以下、オチのネタバレありの感想なので、動画を見ていない人は先に動画を見てほしい。
あと、動画のコメント欄も、全部見終わるまで見ないほうがいい。
埼玉県民にだけ解ける叙述トリック!!!
埼玉県民にだけ解ける叙述トリックじゃないかーーーー!!!!
中盤の伏線を見てピンときて、「たぶんこれ、アレだよな」と当たりをつけていたので、本当にそのオチが来て嬉しかった。
ちょこちょこ小出しのヒントがあるので、たぶん近隣に住んでいる人はラストまで行く前に解けると思う。
オモコロって基本的に都会の話しかしないから、こういうふうに埼玉がフィーチャーされるのは新鮮だった。
そして、ラストの十万石まんじゅうで「かるかんみたいだ」という感想が飛び出していたのも嬉しかった。
ついこのあいだ、オモコロがきっかけでかるかんを買い、「十万石まんじゅうみたいだ……」と言っていた自分のほうに、なぜかオモコロ側も歩み寄ってきていたというミラクル。
本当に個人的な話なんだけど、こんなふうに符合することがあるんだ……と嬉しさが身にしみた。
原宿さんのときの意味なしクイズにかぶせてきているかと思いきや、実はトリックを解くための伏線だったという気遣いが恐山さんっぽくて、ほどよく意地悪で、よかったなあ。
次の置き土産クイズも楽しみ。畳む
#視聴メモ
2025年8月17日(日)
薬品を買うと、必ず「お大事に」と言ってくれる。
一度、化粧品を買って「お大事に」と言われたことがあるが、あれはたぶんなにかの間違いだろうと思う。
別の店舗では、アプリで割引クーポンを使おうとしたとき、「そのクーポンよりも、こちらのクーポンのほうがお得ですよ」と助言を受けた。優しい。
「今、ティッシュをプレゼントしているんです」と言われ、箱ティッシュを何箱ももらったこともある。ポケットティッシュじゃなくて、箱で!?
きょうは、アプリのルーレットで当たったA賞のクーポンを使おうとしたら、「A賞、おめでとうございます」と言われた。新しいパターン。
言われてみれば、A賞って初めて見たな。レアなのかな。いつもB賞かC賞なんだよな。
と思いながら、特になにも答えずにお辞儀をして店を出た。
マツモトキヨシの店員さんは、親切である。
#買い物
2025年8月17日(日)
アニメ「光が死んだ夏」のエンディングテーマ「あなたはかいぶつ」の、松井ケムリコラボバージョンがアップされていて、かなりハマっている。
アニメ自体は1話しか見ていないので、どういう話なのかはよくわかっていない。
が、田舎にケムリさんがぼんやり佇んでいる風景があまりによすぎて、いろいろなことがどうでもよくなってしまった。何度でも見られる。
「かつてケムリさんと親友だった自分」という幻覚を見る動画。
「ひっかかりニーチェ」の「本編とバランスをとる時間」を初めて見て以来、もしかすると自分はケムリさんの顔ファン(?)なのかもしれないと思うことが増えた。
いや、顔以外もすごく好きな場合は顔ファンじゃないんだろうか。顔ファンの概念がわからない。
この世でケムリさんにしか出せない、独自の雰囲気があるような気がしている。
#お笑い
2025年8月15日(金)
二周目以降は見え方が変わる要素もあって、かなり楽しめるかも。
なお、細部を忘れているので、ピンチも新鮮に楽しめている。
記憶が消えるシンプル脳でよかった。
早く4話〜5話あたりが見たいなあ。
#ゲーム
2025年8月14日(木)
自分で買った紙の本や電子書籍のほか、近所の図書館の棚にある本を手にとって読んだり、借りて読んだり、近隣の市の図書館からも本を借りてきたり、趣味の被らない人におすすめされた本を読んだり。
快活CLUBで読むマンガもいいし、スーパー銭湯やラーメン屋にあるくしゃくしゃになったマンガや雑誌もいい。
町の小さなカフェにある、今はもう手に入らないようなマイナーな本。
実家の片隅にある、ホコリを被った本。
古本屋さんにある、絶版になった懐かしいマンガ。
むかし、大学の講義でちょっと使っただけの参考書。
出版社の無料キャンペーンで配られていた、電子書籍の知らないマンガの1巻。
つまらない本もあるし、思いがけず素晴らしい出会いもある。
買った本しか読まないという人も、世の中にはたくさんいると思う。
けれど、お金を出して買った本というのは、きっと、すごく狭い範囲の本でしかない。
金銭的な価値を見出せる範囲のジャンルの本って、自分で思うよりも圧倒的に狭いのではないか。
「これを買おう!」と一瞬で決められる本ではなくて、たまたま出会った、よく知らない本というのが、自分の人生にとってはすごく大事だ。
図書館の棚にたまたまあったとか、行きつけの店の片隅でホコリを被っていたとか、本屋さんのおすすめの棚にあったとか、そういう突然の出会いが好き。
むかし、民宿のような小さな宿の階段の下のつきあたりにあった、誰も読まないようなひっそりとした本棚にあった「アンネの日記」を一晩かけて読んだことを、今でも鮮明に思い出す。
むかし、親戚の家で読んだ「電影少女」の官能的な描写にドキドキしたことや、それが途中までしかなくて、つづきが気になって、何年か経って買ってしまったことも。
そういう出会いをしつづけたいという気持ちで、きょうも町中のいろんな場所で本を探している。
#読書
2025年8月13日(水)
ふと、かつて「美少年探偵団」の原作がそこそこ好きだったことを思い出した。
アニメ版はまったく見ていないし、原作も最終巻(アンコール)を読みそこねていたんだけど、久しぶりに読みたくなってきた。
アニメはOPだけ見てみたら、雰囲気良さそうだった。これもシャフトだったんだ。
西尾維新のノリについていける人、かつ女性主人公の恋愛少なめ逆ハーレムが好きな人……というかなりニッチな人にしか刺さらない作品なのだけど、気軽に読めるのが好きなんだよなー。
アニメもそのうち見てみたい。
#読書
2025年8月12日(火)
銭湯とスーパー銭湯の中間くらいの雰囲気の温泉施設が好きなんだけど、なかなかないんだよなあ。
今後も設備が古すぎてつぶれていくのではないかと思う。
やたら広めにとってある休憩室とか、そっけない感じの設備とか。お湯の質はガチだったりとか。
脱衣場で立ったまま、持ってきた化粧水を顔に塗り込んでいるおばさまがいて、なんかいいなあ……と思ってしまった。スーパー銭湯には立ったまま化粧水を塗るおばさまはいない気がする、たぶん。
2025年8月11日(月)
今年も、タオルケットがほしいなあ……と思いながら、また、八月が半分過ぎそうになっている。
買いそびれそうだ。
なければないで過ごせてしまうのだが、心地よいお昼寝のために、ほしいなあ。
2025年8月10日(日)
おいしいスリランカカレーを食べに行った。
夜は「逆転裁判5」の再プレイをPS5で始めた。
そうそう、これこれー!好きー!
と言いつつ、細部はかなり忘れていて、間違えまくっていた。
また一から楽しめそう。
#ゲーム
2025年8月9日(土)
ふとした拍子にやりたくなる懐かしいゲームがいくつかある。
「逆転裁判」シリーズはその筆頭だが、特に5がやりたい。
1や2は当時何度もプレイしているし、「蘇る」もあったしで、あまりやりたくはならないのだが、4以降は一回ずつしかやっていなくて、もう一度やりたい気持ちがある。
5推しの人をあまり見かけないのだけれど、5、めちゃくちゃ好きなんだよなあ。またやりたい。
「龍が如く7」とかもそうだけど、前作がシリーズ一の絶不評だったのを次作で立て直したナンバリングに特別な愛着がある。
シリーズを打ち止めにせずに次作を世に出すだけでも、非常に勇気がいると思う。
5がこういう出来でなかったら、6はなかっただろうし、もしかしたら、大逆転もなかったかも。
もちろん1~3は変わらず好きだし、5が出て以降は4のこともすこし好きになった。
もう続きは出ないのだろうか……。
令和になって、これ系のゲームが明らかに減ってきている(スマホゲーやマダミスなどに代替されている?)体感があり、寂しさを感じている。
逆転裁判シリーズは、推理ゲームではなく、推理小説が好きな人が作っているからこその、ガチ本格感があるんだよなー。このガチさは今思うと貴重だった。
コンスタントに新作が遊べたあの日々に帰りたい。
#ゲーム
2025年8月8日(金)
「あかね噺」のアニメ化が決定していた。
原作は11巻くらいまで読んで、あまりにもおもしろすぎて、もったいないので続きを温存している。
王道な熱さで大好きなんだよなー。
からしさんが好きなので、たくさんアニメで見られると嬉しいなあ。
#アニメ
2025年8月7日(木)
「ペリリュー ー楽園のゲルニカー」がアニメ映画化される。
かつて、途中まで一気読みして、続きが気になりながらも、あまりにも精神的にきつくてギブアップしたという漫画。
漫画の表現力の鋭さによって、この先を読みたくないとすら感じさせるのってすごいと思うんだよなあ。
絵柄に反して、描かれている現実は重い。
絵柄はファニー寄りなのに……という部分は、「総員玉砕せよ!」を思わせるかもしれない。
つらすぎて「火垂るの墓」を二度と見たくないと思うのと一緒で、つらくさせること自体が作品のパワーを示しているのだ、たぶん。
映画で見たら、たぶんもっときついだろうなあと思いつつ、彼らの行く先が気になっている。
#映画
2025年8月6日(水)
職場でもらったりして、制覇できている部分もあるのだけれど、まだまだ食べたことのない領域のお菓子もたくさんあって、「これ、あの地方のアレに似てるかも」「これは食べたことがない味がするかも」「こんなにおいしいのに、地域限定!?」など、楽しみどころがたくさんあって好き。
個人的に殿堂入りなのは、
・ドゥーブルフロマージュ(北海道)
・ひよ子(福岡県)
・ざびえる(大分県)
・家伝ゆべし(福島県)
・シュガーバターサンドの木(東京都)
・東京ばな奈(東京都)
・十万石まんじゅう(埼玉県)
・赤福(三重県)
・お茶羊羹(静岡県)
あたりかなあ。他にもありそう。
旅行に行ったら、とりあえずひとつは鉄板のやつを買っておきたい。そんな気持ち。
#買い物
2025年8月5日(火)
そこらへんのスーパーに売っていたものなので、もしかすると本物のかるかん饅頭とはやや違うのかもしれないが、パッケージには一応「彩りのかるかん」とある。
いったい、どんな味がするのか……わくわくしながら口に入れると、すごく食べたことのある味。
あれ……これは、とても覚えがあるぞ……。
初めて食べるのに、まるで昔から埼玉にあったような懐かしさ……。
……これ、十万石まんじゅうじゃね?
ただ、十万石まんじゅうはしっとりもっちりとした味わいだが、かるかん饅頭はどちらかというと蒸しパンのような、生地に含んだ空気の存在が感じられる、ふわふわと軽やかな味という違いはある。が、原料的にはほぼ同じだ。
あと、十万石まんじゅうのほうが圧倒的にあんこの量が多い。
たぶん6~7割くらいはあんこである。
かるかんは生地のほうが主役で、あんこのないバージョンもあるらしいので、十万石まんじゅうとは主軸が違うのかもしれない。
どちらもおいしいが、どちらかというと十万石まんじゅうのほうがおいしいのではないかと思うのは、埼玉県民の欲目だろうか。
ネットで検索すると「十万石まんじゅうは、かるかんのパクリなのか?」という不穏な文言まで飛び出す始末。
たぶんパクリではないと思うが、そう言われると十万石まんじゅうの無実を証明してあげたくなる。
ちなみに、調べたところ、かるかんは徳川綱吉の時代に生まれた由緒のあるお菓子。
十万石まんじゅうは太平洋戦争の直後に売られはじめたらしい。
どちらも歴史のあるお菓子ではあるが、「十万石まんじゅうはかるかんのパクリ」という説はこの段階では否定できない……かるかんのほうが歴史が古いようだ。無念だった。
#買い物
2025年8月4日(月)
このあいだの「復讐ラジオ」の「サ活芸人」と「炎上喫煙所」で初めて知った、演芸おんせんの「からあげ的発言」を見る。
日本の芸能界の、政治や時事ネタに言及すると、内容がまっとうであっても「思想が強い」と叩かれる冷笑的な空気は異様だ。
その空気は、その芸能人を見ている大衆をも無知で冷笑的なポジションにしていくと思う。
普段からそういう話をタブーとして扱っているから、自分が危険思想にハマってしまっても気づかなかったりする人もいる。
事務所の方針であり、ファンからの要望でもあるんだろうけど、それでも、時局にちゃんと言及できる人のほうが人間的魅力はあるだろう。
芸人という立場を逸脱しない範囲ではあるが、それでも、この時局にあらがう漫才。
「からあげ的発言」はそういうネタだ。
歪んだ政治に対して批判的な発言をすることすら許さない窮屈な世界を、業界を、この場でだけは『笑い』へと置き換えていく。
世界をもう一段階歪めた先に、歪みのなかにある偏見の正体が晒される。
構造はシンプルながら、すごくおもしろい。
芸人としての『ウケ』を優先するか、『思想』を優先するか……「復讐ラジオ」でみなみかわさんの提示した究極の選択。
その先には、『ウケ』と『思想』を両立できる理想の世界があるのかもしれない。畳む
#お笑い
2025年8月3日(日)
だいぶ昔、9巻くらいまで読んでいて、読んでいない巻は最終局面だけだったんだけど、それでもドキドキしながら新鮮に読めた。
少女漫画というフォーマットではあるのだが、いわゆる『当て馬』的な扱いなどはなくて、当て馬的なポジションにいた人も最後まで重要人物として出番があったり、恋愛もべたべたした感じではなかったり、一捻りした感じが気持ちよかった。恋愛的に重要か重要でないかに関係なく、みんなに丁寧にライトを当てているお話。こういうの、もっと見たい。
「金の国水の国」は映画版しか見ていないんだけど、原作も読みたくなったなあ。あれも恋愛っぽくなくて好きだった。
#読書
2025年8月3日(日)
おかげで出費がすごいことになっているが、ある程度は見て見ぬふりをすることにした。
新しい漫画もいいけど、かつて好きだった漫画の世界を再訪するのにもハマっている。
あー、こんな展開あったなー。とか、懐かしいなー。と思っていると、体調が悪い日もなんとか乗り切れる気がするのだった。
#読書
2025年8月1日(金)
なにを毎日15分やっているのか、どうしてそれをスマホに貼っているのか、すごく気になったが、結局なにもわからず、世にも奇妙な物語みたいな世界観のまま、降りていった。
2025年8月1日(金)
中身についてはまだあまり遊べていないので言及しないが、レトロゲームがダウンロードで買える環境はやはり貴重。
現在、これほどまでに包括的に作品が集まっているレトロゲームのダウンロードストア、他にはたぶんない気がする。
PS3で利用できるアーカイブストアって異常なほどに整っているんだよなー、と思い返すのであった。
似たようなものだとSwitchのサブスクがあるが、こういう整い方はしてないんだよな。
PS3は人気のない初代PSのゲームなどもしっかり揃えてくれているのがすごい。
これくらいの時期のゲームをいつでもダウンロード販売で遊べるようにしておくためには、PS3かVITAが必須になってくる。
そのうちにストアも閉鎖されるかもしれないが、今のところ、PS4よりも3のほうが重要なポジションを占めているのは不思議だ。
PS4でも買えるようにしてくれたらいいのになー。
#ゲーム
2025年7月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
2025年7月30日(水)
星野源とオモコロ(匿名ラジオ)が交流をはじめていたとき、「その人たちが交わることあるんだ!?」という新鮮な驚きがあったが、今月、ARuFaさんのMVが完成していて、「そっちに行くんだ!?」という嬉しさに変わった。
どっちも好きだから、シンプルにとても楽しい。にこにこしている。
#音楽
2025年7月29日(火)
唐突だが、少し古めの駐車場で見かける「赤ちゃんが寝ています」という立て看板を見ると、なんとも言えない気持ちになる。
看板の文字は色あせ、設置からすでに30年は経っているのではないかという古び方だ。
おそらく、当時その建物にいた赤ちゃんも、今ではすっかり大人になっているだろう。
もちろん、「赤ちゃんが寝ています」は「実際に赤ちゃんが寝ている」という意味ではなく、「静かにしてほしい」という間接的な訴えだということはわかっている。
けれども、もしその建物にもう赤ちゃんがいなかったら?
それはつまり、「自分の願いを通すために、実在しない赤ちゃんを盾にしている」ことにならないだろうか。
「住民が寝ています」なら、住民がいるかぎり嘘ではない。
それなのに、あえて「赤ちゃんが寝ています」と書くのは、「起こしてしまったら大変なことになる、か弱い存在」を引き合いに出すことで、より強く静寂を求めているように感じられる。
そこに、ほんの少しの違和感、モヤモヤが残る。
最近の新しい駐車場では、こうした表示はあまり見かけない。
おそらく、一時期流行した決まり文句だったのだろう。
長くなってしまったが、ここで言いたいのは、「主張が正当であれば、その根拠となる事実は多少いい加減でも構わないのか?」という問題である。
たとえば「駐車場で騒音を出す人やアイドリングを続ける人がいて、近隣住民が迷惑しているから静かにしてほしい」という主張には異論の余地はない。とてももっともな願いだ。
しかし「赤ちゃんが寝ているから静かにしてほしい」という理由は、証明しようがなく、少しのハッタリを感じる。
仮に本当に寝ていたとしても、今は起きているかもしれないし、もはや赤ちゃん自体がいない可能性だってある。
「赤ちゃんが寝ている」という前提がなくなった瞬間、「では静かにしなくていいのか?」という矛盾が生じる。看板の趣旨から逸れてしまうのだ。
もちろん、この程度のハッタリなら許される範囲ではあるが、それでも「虚構であっても構わない」という姿勢は、慎重に見直されるべきではないだろうか。
さて、本書で取り上げられている「江戸しぐさ」もまた、似たような構造を持っている。
その中身は、「みんなに優しく」「思いやりを大切に」といった道徳的な内容で、基本的には異論を挟みにくい。
一部、自己中心的に感じられるしぐさもあるが、それも含めて「まあいいことを言っている」程度の印象を持つ人も多いだろう。
だが問題なのは、その道徳の来歴だ。
「江戸時代の庶民が実践していた」とされるこの江戸しぐさ、実際には、戦後に捏造されたもので、史料的根拠も裏付けもまったく存在しない。
むしろ、江戸時代の暮らしや常識に照らし合わせれば、とうてい成立しえないような考え方ばかりが並んでいる。
それでもかつては、「江戸しぐさはいいことを言っているのだから、事実かどうかは関係ない。人に優しくするべきなのだから」という理屈がまかり通っていた。
けれども、どんなに立派な主張であっても、それが虚構の土台に立っていれば、正しさそのものが損なわれる。そのことは、もっと強く意識されていいはずだ。
この本では、「江戸しぐさ」というオカルト的な道徳が、いかにして教育現場に食い込み、教科書にまで載るようになったのかを、著者が丹念に検証している。
本来なら「江戸しぐさはあった」と主張する側が、その証拠を提示すべきだ。だが、それは存在しない。
代わりに彼らが持ち出してきたのは、薩長による「江戸っ子大虐殺」によって証拠が失われた、という荒唐無稽な説である。薩長もいい迷惑だろう。
そこで、証拠が存在しないことを示すために、著者は逆説的に「江戸しぐさはなかった」とする側から、文献や当時の慣習をひとつひとつ丁寧に示していく。
そのロジカルな反証の積み重ねが、とにかく痛快で読ませる。
偽史が生まれる背景には、「愛国心」や「現実逃避」あるいは「道徳的理想」が潜んでいることが多い。
「自分の大好きな日本は、もっとすごい国であってほしい」という願望が、事実ではない歴史を生み出す。
その罠に、自分自身も引っかかっていないか、立ち止まって考える必要があると思わされた。畳む
#読書
オモコロチャンネルより、変なカメラマンに撮影を教えてもらう動画を見た。
被写体をリラックスさせることに全力を出していく、変だけど、いい写真を撮る人だったのがおもしろい。
記念写真を撮る人とかもそうだけど、心からリラックスしてもらわないと、いい表情って出ないもんな。
カメラマンってコメディアンなのかもしれない。
#視聴メモ