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2024年3月27日(水)
2024年3月27日(水)
「世界でいちばん透きとおった物語」と同じようなワンアイデア系なのだが、「世界でいちばん透きとおった物語」のほうが構造的にはよくできていると思う。
「世界でいちばん透きとおった物語」は、謎を提示し、その謎の答えとしてトリックの内容が明かされる構造になっているが、「逆転美人」はそういうふうにはなっていないと感じられるからだ。
以下、やや批判的な感想。
ミステリーには魅力的な謎が必要であり、それに付随する問題提起や誘導も重要な要素だ。
トリックをうまく見せるには、そこにトリックがあるということを明確に読者に示す必要がある。「逆転美人」のトリックはたしかに凄まじい労力がかかっていることが示唆されてはいるが、読者への謎の提示はほとんど行われていない。
途中、些細な違和感がいくつか提示されるのみで、明確な論理を帯びた推理パートはないに等しい。
読者は読み終わってから、そこにトリックがあったということを知らされる。
そこには、トリックを解くために必要な問題提起のパートが欠落している。
もちろん、このトリックそのものは非常にクオリティが高いのだが、もうちょっとうまい見せ方があるのでは?という気持ちがかなり強い。
トリック以外の描写に不愉快なものが多く、人物にもまったく惹かれないというのもあり、やっぱりワンアイデア系はアイデアの部分以外が手抜きなものが多いかな……という体感がある。
最後に読者自身が読み解く最後のメッセージが、手記の世界を揺るがすような内容だったら、もうすこし評価が変わっていたかもしれない。この内容があまりにも普通だったので、「わざわざ読み解くほどのものではないな」と思ってしまった。
それでも、大どんでん返しのアイデアが気になって、ついつい読んでしまうのだった。畳む
#読書
2024年3月25日(月)
6月発売の「岩倉アリア」が気になっている。
「レイジングループ」(2015年)、「ドキドキ文芸部!」(2017年)、「シロナガス島への帰還」(2020年)、「春ゆきてレトロチカ」(2022年)、「パラノマサイト FILE 23 本所七不思議」(2023年)などなど、ゆっくりとしたスパンで、じわじわと非恋愛系のノベルゲームが進化してきている気配を感じる今日このごろ。
このタイミングで繰り出されるからには、これらの作品を超えるなんらかの仕掛けが施されているのでは?と期待せざるを得ないのだった。
ストーリーが全然伝わらない謎めいたPV、もしかしたら百合なのかも?と思わせるキャラ紹介、やや耽美めいた存在感のあるイラスト……発売前のつかみとしてはバッチリだと思う。
購入候補リストに入れつつ、続報を待ちたい。
しかし、PS5の時代に入ってから、ノベルゲームがほぼほぼPlayStation系ハードで発売されなくなってしまったのには、なにか理由があるのだろうか。
Steamでは出せるのに、PlayStationには入れられないというのが、なにか大きな理由がありそうなんだけど……。
すべてのゲームをPlayStation4か5に集約したい人間としては、ノベルゲームを集約できないのはモヤモヤするなあ。
乙女ゲームもギャルゲーも非恋愛系もごった煮だった、Vitaの時代が懐かしい……。
#ゲーム
2024年3月24日(日)
すっぴんがとても強い!とようやく気付き、全員すっぴん状態でラストダンジョンにもう一度挑んだ。
レベル上げをして、お金を貯めて、ラスボスに全力で銭を投げることで勝利を掴んだ。せこい勝ち方。
……ということで、「ドット絵のファイナルファンタジー作品をクリアする」という人生の実績を解除!!
嬉しい。
キャラよし、シナリオよし、戦略要素よし、コメディよし、ジョブシステムよし、ダンジョンの難易度ちょうどよし、演出もよし、という最高のゲームだった。
15と5しかクリアしていない身で言うことでもないけど、これよりもおもしろいFFは存在するのだろうか……と心配になるくらい、完璧におもしろかった。
やっぱりバッツさんのからっとした性格とビジュアル(ドット)が好きすぎる。
ゲーム終了後、家族に「ディシディアファイナルファンタジー」のバッツを見せられ、「えっ……だれ……?」と戸惑うことになるのだが、それはまた別の話。
ゲーム中でイメージしていた姿と、ゲームのおまけでついている天野絵があまりにもかけ離れすぎてていて、頭のなかでどう処理したらいいのか、まったくわからない。誰なんだこの人は……。
#ゲーム
2024年3月24日(日)
しかし、このラスボス、強すぎである。
たぶんレベルが足りないんだろうと思うけど、レベルが足りていても勝てる気がしない。
とりあえず、ダンジョンの外に出て、レベル上げの旅に出ることにした。
ボスの攻略がいつも一工夫必要な感じで、レベルを上げて殴るだけではダメですよ、というのが歯ごたえあっておもしろいなー。
キャラ的には、ギルガメッシュがおもしろお兄さんで好きすぎる。また会えるかな。
鼻詰まりに耐えつつ、レベルを頑張って上げるのであった。
#ゲーム
2024年3月23日(土)
花粉症のせいなのか、年度の節目の緊張感のせいなのか、なんとなく体調が悪い。
思考力も低下しており、まとまったコンテンツを見る元気がないので、ひたすらオモコロチャンネルを見ている。
ただただ流しっぱなしにできるしょうもなさ。場面を多少見逃しても大丈夫な気楽さ。心強い。
おじさんたちがひたすら雑談して、変な企画をして、ただそこだけで完結しているというのが、なぜか勇気づけられるんだよなあ。
#視聴メモ
2024年3月21日(木)
シナリオ的に終盤かと思いきや、怒涛のタスクと強すぎるボスを急に提示され、あっぷあっぷしている。
「今日中にクリアできるんでは!?」という希望は儚く消えた。
白以外の魔法使いをほとんど育てていないため、「このボスには魔法しか効かない」と言われて「エッ……詰んだ……」と呆然としてしまう。これ、ロマサガ2でも見た!!
ダンジョンの奥まで行ってしまってから「魔法しか効かない」を言わないでくれ……!!!
と嘆きながら、入口までとぼとぼ歩いて帰る。
カーバンクルがいればちょっとはなんとかなりそうな気がして、今は必死に召喚師と魔法使いを育てているところ。
脳が筋肉でできているので、好きなジョブはモンクと忍者(何回も攻撃できるから)。
あと、侍と魔法剣士(見た目がかっこいいから)。
道中で、忍者が1ターンに4回攻撃できるということに気づき、4人のうち2人を忍者にしてしまった。
ここから魔法使いを育てるのしんどいよ~!!!!
脳筋を後悔しつつ、旅は続く。畳む
#ゲーム
2024年3月20日(水)
主人公は、とあるきっかけから、不思議な『店』に案内される。
その店では、『人形』と呼ばれるヒューマノイドに、なにをしてもいい。
破壊してしまった場合には弁償させられるが、それ以外ならなにをしても罪には問われない。
そんな『人形』に出会ってしまった主人公は、彼女になにを求めるのか。
続きからは、ややネタバレな感想。
エンディングは全部で6つ。
『人形』であるイチコに「話す」「触る」「殴る」という選択肢を選ぶことで話が分岐するのだが、「話す」以外はほぼ加害行為であり、たいていのエンディングではろくなことにならない。
ゲームをプレイするという行為のなかに含まれる、プレイヤーのエゴや加害性に自覚的なゲームがすごく好きなので、このあたりのバランスはよかったなあ。
選択肢に加えて、「どこを触るか」「どこを殴るか」をマウスで指定しなければいけないのも、地味に精神にくる。
ノベルゲームのプレイヤーは、総当たりでエンディングを探す人が多いと思われるが、その総当たり行為がもっともイチコを侮辱している加害であるということも、唯一無二の印象的なゲーム体験となる。
トゥルーエンドでのふたりの関係性も、甘すぎず、シビアな感じに仕上がっていて、センスがいいなあと思った。
ここで甘々に落とすこともできたと思うんだけど、あえて厳しめにすることで、作品全体が引き締まって見える気がする。
プレイヤーだからといって、『なにをしてもいい』ようになっているゲームは、世の中にあふれている。
しかし、『なにをしてもいい』ということは、突き詰めると、その行為を起点とする罪悪感や、倫理的な違和感も背負い込まなければいけないということ。
「レッド・デッド・リデンプション2」で罪のない民間人を隠れて射殺するとか、「Elona」で原子爆弾を落とすとか、そういった行為の代償は、ゲーム内だけではなく、ゲームの外側のわれわれにも及んでいる。イチコを殴ったり触ったりする行為も、それと同種のものなのだと思う。
さらにメタに穿った見方をするならば、世間の恋愛シミュレーションゲームにおいて、攻略対象がプレイヤーの一存によって感情を左右されている構造のグロテスクさに思いを馳せることもできる。
「触る」だけで好感度が上がるようなゲームも世の中にはたくさんあるけれど、常識的に考えれば、無遠慮に触ったら好感度は下がるはずだ。
イチコの心の動きは、短いなかでもリアルで、そこがおもしろい。畳む
#ゲーム
2024年3月19日(火)
これまで、ほぼ「ファイナルファンタジー」のないゲーム人生を送ってきたのだが、ここで「オーソドックスなファイナルファンタジーをちゃんとプレイした」という実績を解除したい!と思った。
これまでのファイナルファンタジー遍歴を振り返ってみる。
「ファイナルファンタジー1&2」…ワンダースワンで購入し、途中まで遊んでいたが、妹が誤って踏んづけてしまい、本体ごと壊れる。
「ファイナルファンタジー3?」…友人に布教されて貸されたが、肌に合わず、途中で返す。
「ファイナルファンタジー6」…家族にちょっとプレイさせてもらったが、シナリオが暗く感じて集中できず、序盤でやめる。
「ファイナルファンタジー7リメイク」…クラウドの性格が苦手なのと、戦闘が大味なのとで苦戦し、序盤で離脱する。
「ファイナルファンタジー15」…本編はクリア済みだが、消化不良なシナリオがトラウマとなり、追加シナリオなどは遊んでいない。シナリオ以外のゲーム設計は攻めてて好き。
「ファイナルファンタジー16」…ドハマリして遊んでいたが、あまりに重厚なシナリオのためか胃もたれして、現在中盤で休止中。
ということで、「こんなに途中でゲームやめることある!?」というくらい、途中でやめているのだった。
ワンダースワンのやつは終盤まで行っていた記憶があるので、踏まれなかったら全クリしていたかもしれない。
FFと同じくらい子どものころにやっていなかったドラクエは、おとなになってから3~5をクリアしたりしているので、FFもちょっとくらいはやろうぜ!!
ということで、FFに詳しそうな家族に、「スカしてたりオシャレぶってたりするのが苦手なんだけど、なにかFFのおすすめある??」と聞いてみたところ、「5はコメディっぽくて軽めのノリでおすすめ」という答えが返ってきたため、5にチャレンジすることに決定。
結果、これはかなり自分に合うのでは!?というプレイ感だった。
戦闘はそこそこに骨があっておもしろいし、会話がギャグ調でテンポいいのが進めやすい。
なにより、主人公が軽めで雑な男なのがいいな。さっぱりした性格で、言葉がスッと入ってくる。
なんとなく、FF=辛気臭そう、主人公がイケメンアピールすごくて感情移入できなそう、お涙ちょうだい展開がうるさそう、みたいな偏見があったんだけど、5はそういう感じではなかったので、これでひとつ自分のなかの偏見を打破できそうだ。畳む
#ゲーム
2024年3月19日(火)
毎年、この季節は体調が下がりがちなのだが、やっぱり今年もこうなるのだった。
セーラー万年筆から、議決行使権の行使のお願いの手紙が来ていた。
行使すると文房具がもらえて、さらにその後のアンケートに答えると、QUOカードがもらえるとのこと。
高いときに買ってしまったため、含み損が3500円ほどに膨らんでいるんだけど、これで巻き返せるかもしれない。
セーラー万年筆に関しては応援のために買っているので、多少下がっても売りはしない予定。
それ以外にも3月は優待の権利確定銘柄が多く、わくわくがいっぱい。
はやく家に送られてきてほしいなー。
#投資
2024年3月17日(日)
自分が得た真理とは、『文房具は少なければ少ないほどいい』ということ。
ノートは持ち歩き用と家用の2冊で完結しているのが一番美しいし、手帳は1冊でいいし、万年筆も普段遣いは1本でいい。
ボールペンやシャープペンなんかも、本当に書き心地のいい1種類だけあれば、それでいいと思う。
文房具は、コレクションではなく実用品だ。
どんなに素敵なノートでも、万年筆でも、使われなければ意味がない。
文房具が好きであれば、店で新作を見たり手に取ったりするのは至福の時間だが、そうやって店で見た新作がスタメンになることは、ほとんどない。
ノートも万年筆も、すでに一番使いやすい品を見つけてしまっているので、これ以後、新しいものに手を出すのは意味がないな、と思ってしまう。
でも、ウィンドウショッピングは本当に大好きなので、文房具屋を見つけたら必ず立ち寄ってしまう。
買わないのに見てしまうというのは矛盾している気がするんだけど、でも、見ちゃうんだよな。
欲望に負けて買うこともある。
そして、買ってみたら、新たなスタメンに……ということも、たまにある。
しかし、特に万年筆に関しては、『使って、ペン先を育てる』道具であるという性質上、お気に入りに出会えたあとは、新たなものを買う必要性って全然ないなあ、と定期的に確認している。
お手入れも丁寧にする必要があるため、ずぼらな人間には複数管理するというのは難しい。
もちろん、今のものが壊れたら次を買う必要はあるけど、『購入する』『所持する』のが目的ではなく、『育てる』ほうを優先していかないとなー、と。
最近は、セーラーのプロギアスリムで日記を書いている。浮気しないようにしていきたいが、やっぱり新たな万年筆の誘惑は常にあり、欲望と真理が戦いつづけているのだった。
#手帳
2024年3月16日(土)
「シロナガス島への帰還」(Steam版)を全実績解除まで遊んだ。
トロコンまでは6時間くらいだった。
割引価格で買ったので、200円。普段は500円らしい。安いなー。
基本は謎解きアドベンチャーゲーム。合間にオカルトとホラーとSFもあるよ!という、ノベルゲームのおいしい部分のごった煮のような作品。
長さのわりに要素が多い感はあるが、クオリティは高いと思う。
トリックの内容やリアリティにやや疑問が残ったため、本格ミステリを求める人にはあまり向かないかもしれない。
ただ、そもそもオカルト的な話ではあり、現実離れしているくらいのほうがちょうどいいのかもしれない。
ポイントクリック、犯人の名前を当てる、爆弾解体作業などなど、単なる「読むだけゲー」ではなく、ちゃんとプレイヤーに推理と作業をさせてくれるあたりにはミステリ風ゲームとしての良心を感じた。
やっぱり、推理ゲームには犯人当てが必要だよなあ……と再確認する。
キャラクターも魅力的で、後日談のコメディぶりもなかなか好き。主人公のテンションがほどよいんだよなー。
ただ、後日談は選択肢によってはかなり怖いホラー展開に発展するので、そこは注意が必要かも。本編もちょっとびっくりする系の演出があったりする。
本編ではかなりエグい非人道的行為が行われていると書かれているのだが、そのエグい行為そのもの(エロ・グロ)のシーンはほとんど描かれていないのも、品が良くていいと思った。
このあたりをガチでやってしまうと、作品本来のやりたいことがブレていきそうなので、「よくない行為は行われているけど、プレイヤーの目にはほとんど晒しません」というバランス感覚が凄まじいと思った。
拷問や強姦のシーンって、プレイヤーに強いストレスをかけすぎて、雑音にもなってしまうものなので、シナリオに直接関係ない場合はがっつり削ったほうが見やすいのかもしれない。
一日でサクッと遊べるボリュームでありながら、先が気になる展開でグイグイ引っ張ってくれる、印象的なノベルゲームだった。
#ゲーム
2024年3月15日(金)
特にZEROはまさかの据え置き。珍しい……!
と思っていたが、PODCASTの入れ替えが待っていた。
PODCASTはこれまで全然入れ替えがなかったので、自動的に据え置きなんだとばかり思っていた。
蛙亭のトノサマラジオが終了、新しくランジャタイの番組が始まるという……トム・ブラウン&アンガールズと合わせて、ネット民が喜びそうなお笑い芸人狙い撃ちのシステムが固まってきている。
あとは、マユリカ、春ヒコ、真空ジェシカ、怪奇、吉住、令和ロマンあたりが月替りではなくレギュラーのほうに揃ったら凄まじい濃度になりそう。さすがにそこまでバランス悪くはしないか。
ネット受けしそうなメンツって、だいたいGERAかstand.fmかYoutubeをやっているので、毎週空いている人ってあんまりいなさそうだな。
「GERAや他局でのレギュラーを(現在)やってなくて、ネット民に受けそう」というラインで、ランジャタイというのは絶妙な人選。
こう言ってはなんだが、これまでの所業からして、ランジャタイのラジオが長く続くとは思えないので(めちゃくちゃおもしろいけど疲れるし、コンセプト的にそんなにネタはなさそう)、一年くらいでサクッと終わるのではないかと予想。
しかし、そういう予想をしていると、裏切ってくるのがランジャタイなんだよな……なにが起きるか、聞いてみないとわからない。
最近はPODCASTは土曜日以外はあまり聞かなくなっていたんだけど、ランジャタイが来るなら聞いてみようかな。
#ラジオ
2024年3月14日(木)
久しぶりに、こたけさんのリーガルチェックを見る。
単にチェックするだけでなく、ネタの品評を多角的にやってくれているのが好きなんだよなー。
吉住さんのネタの炎上の件やお抹茶さんの利用規約違反の件についても、偏りのない目線から一言添えてくれていて、丁寧だと思う。
実は、ネタの見どころのおさらいとしても優秀なコンテンツなのではないか……と最近気づきはじめた。
「そういえばそんなくだり、あったな……」と思い出せて嬉しい。
#お笑い
2024年3月13日(水)
「このミステリーがすごい!」2003年版の7位ランクイン作品。
吹雪で交通網が麻痺した埼玉県笠井市で、汚職疑惑のある政治家の孫娘が誘拐された。
被害者の自宅には盗聴器が大量に仕掛けられており、警察は家の中に立ち入ることすらできない。
異常な状況のなかで、追い詰められていく母親と警察官たち。
彼らははたして、誘拐された少女を取り戻すことはできるのか。
いやー、変な話だった。
視点がいろんなところに飛びまくり、話もとっちらかり、なにが主眼なのかわからない迷宮へと徐々に入り込んでいく。
でも、この視点飛ばしは文章が下手だから起こっているのではなく、『人間動物園』という主軸を表現するためにわざとやっているのだと思う。
こんな面倒なことを意図的にやっているというのが、連城三紀彦らしすぎる。
全編通してあまりに読みづらいので、何度か挫折していたのだが、ようやく最後まで読めた。
ラストシーンは連城作品らしい美しさ。
ミステリ的にはトンデモ寄りの展開なのに、どこか叙情的なのがいいな。
人間ドラマとしてはかなり濃厚。
連城三紀彦にしか書けない、唯一無二の世界観を堪能した。
#読書
2024年3月12日(火)
初出が2003年ということで、「令和の倫理観に照らすとちょっとダメでは?」と思う箇所もあるが、いつものはやみねかおるのテンションで、安心して読める。
本人は自分を普通だと思っているが、実際のところはかなりの変人である語り手・井上快人。
幼なじみの川村春奈は本物の霊能力者で、霊能力を恐れない快人に好意を抱いているようだ。
快人は、大学に入学するにあたり、親からの仕送りを拒んだ結果、家賃月1万円の今川寮に住むことになってしまう。
変人だらけの今川寮のなかでも、もっとも得体のしれないオカルトマニアの変人・長曽我部慎太郎に目をつけられてしまったふたりは、「あやかし研究会」という部活に入会させられてしまう。
不可思議現象を研究しつつ、日常の謎を解いていく「あやかし研究会」。
長宗我部先輩と快人は、事件の謎を解くことができるのか。
本物の霊能力者というチートキャラを介しつつ、オカルトを理論で紐解いていく……という魅力的な導入で、なかなか好きなお話だった。
はやみねかおる作品の登場人物で大学生たちがメインというのはなかなか珍しい気がして、そこも新鮮で好きだなあ。
非常にもったいないのは、「長宗我部先輩は何者なのか?」という最大の謎が解かれないまま終わってしまうというところ。
大学に8年間通っている仙人のような先輩で、どうやらオカルトの力で人格が変わってしまうらしい、というフリだけを残し、謎めいたままフェードアウトしていくのがずるい。
夢水清志郎ポジションなんだと思うと、謎めいているほうが雰囲気としてはいい気もするが。
たぶん、シリーズ化していたらさらにおもしろくなっていたのだろうなーと思うし、そうなっていないからこそ、謎が多くて魅力的な人物に見えるというのもありそう。
今からでも続きを書いてくれないかなー、と思わずにはいられない。
「涼宮ハルヒの憂鬱」的な感じの、オカルトとミステリをミックスした部活ものとして、リブートしてほしいなー。もっとこの三人が見たい。
#読書
2024年3月11日(月)
ということで、「Bloons Adventure Time TD」を3年ぶりに起動。
アドベンチャー・タイムのキャラクターが風船を割るゲーム。
難易度は骨太で、なかなかやりがいがある。
2020年からプレイしているのだが、難しすぎて詰まっていた時期があり、合計プレイ時間は33時間くらい。
使用するキャラクターや装備によって、攻略方法がかなり多彩に変化するのがおもしろいんだよな。
自分は今のところ、フレイムプリンセスとアイスキングで一掃する方法を取っている。
キャラごとの風船の数を評価するトロフィーがあるので、本当はもうちょっとバラすべきではある。
3年ぶりでも変わらず楽しいゲームで、安心した。
#ゲーム
2024年3月11日(月)
うーん、これはなかなか評価が難しい映画かもしれない。
途中まではかなりおもしろく見ていたのだが、ドラえもん映画としてはちょっと求めているものと違うかなと思う。
以下はネタバレが含まれる感想。
新ドラオリジナル作品に関しては、「ひみつ道具博物館」と「南極カチコチ大冒険」が大好きで、かつ、「宝島」と「月面探査記」で非常にがっかりして映画を見に行くのをやめてしまったという経緯がある。
評価軸としては、物語としておもしろいかどうか以外に、「ドラえもん映画らしさをどこまで守っているか」、「ドラえもんの設定をどこまで理解しているか」という部分を重視しているのかもしれない。
「空の理想郷」は物語としてはそこまで悪くないし、テーマ性も独自でおもしろい。
伏線の回収は非常に丁寧で、ゲストキャラも魅力的……といいこと尽くしのように思えるのだが、「ドラえもんらしくないな」「ドライだな」と思うシーンが随所にあって、最終的にイマイチな印象になってしまった。がっかりしてばかりだった「宝島」に比べたらいい映画ではあるけど、やっぱり満足度は低いかな。
いろいろ言いたいことはあるが、一番気になるのは、ラストシーンでソーニャを一度殺してしまったくだり。
この展開が、映画ドラえもんとしてはグロテスクすぎると思う。
一気に、「そこまでしなくても」という気持ちになってしまった。
ドラえもんは、『青くて耳がない』からドラえもんたりえる。
作品によって理由は違えど、耳をかじられたこと、青くなってしまったことも含めて、個性だ。
ドラえもんが爆死したけど、メインチップが残っていたから、来週からは『黄色くて耳のある』ドラえもんの体でリスタートしますね!と言われたら、それは違うでしょ、とみんな思うはず。
ドラえもんはドラえもんの体でこれまで生きてきたからこそ、大量量産型ではない、自分だけの心と個性を持っている。そんなロボットだ。
なのに、「空の理想郷」は、ゲストキャラに関してはメインチップさえ残っていれば再生できる、ロボットだから体は変えていい、という価値観を持ち出してくる。
この認識はたしかに理屈としては正しいが、歪であり、やりすぎだと感じる。
自分の命を賭してまで、みんなを助けるという展開も、児童向け作品でやるのは一世代遅れているのではないか。
2000年代くらいならいいかもしれないけど、令和では全員が助かるルートを模索してほしい。
あくまで個人の好みの話であって、物語的必然性の話ではないが、ソーニャを殺すくだりは本当に不要だと思う。
ゲストキャラにやっていいことの範囲を超えている感じがする。
彼が非常にいいロボットとして描かれているからこそ、死と再生を美談として扱うエンディングにもやもやしてしまう。
ただ、ここでこんなにもやもやするということは、『ドラえもんとソーニャという二体の猫型ロボットが友情を育む』というメインストーリーに関しては成功している、という証拠でもある。
細部は丁寧に埋められている箇所が多く、雑な映画ではまったくないんだよな。そこがまた複雑な気持ちにさせる。
「映画ドラえもん」に自分がなにを求めているのかを映し出す、リトマス試験紙のような映画といえるかもしれない。畳む
#映画
2024年3月9日(土)
甘いもの、やめよう……と心に誓うのであった。
崩壊した気持ちのままで「R-1グランプリ2024」を見る。
ルシファー吉岡と街裏ぴんくという、感情と人生の重みが載ったふたりが完全に流れを変え、フリップネタ勢をなぎ倒していった。
このふたりが大きく跳ねたのは、芸歴制限撤廃のおかげでもあるが、それ以上にネタ尺が1分増えたことが大きいのではないかと思った。
ふたりの影響によって、それ以降は厳しい点数が続く。これは出順が大きい大会かもしれない……という残酷な流れとなった。
このふたりがラストのほうだったら、他の人たちももうちょっと点数が高かったのではないか。
個人的に好きだったのは、毎年ちょっとずつ精度を上げてくるサツマカワさん、地上波に乗せるには危険すぎる毒まみれの吉住さん1本目、最後の最後に身一つで人生を作り上げたどくさいスイッチ企画さん。
ルシファーさんの2本目で、お笑いにおけるいわゆるコントパートを、コント内のおじさんがひとりで演じているという入れ子構造の状態が滑稽でめちゃくちゃ好きだったのだが、最終審査で一票も入らず、落胆した。
「見せ算めちゃくちゃ好きだったな~、何票入るかな」とわくわくしていたらどん底に突き落とされた、数ヶ月前のあの日を思い出した。
今後、ぴんくさんがどれくらいの温度感でバラエティを一巡するのかが非常に気になる。
あと、どうにかして、理音さんにもっとR-1チャンピオンとしての夢をしっかり見せてあげてほしい。これは本当に切実な願いとして。
しんいちさんが昨年からバラエティの新たな活路を見出して来ている気がするし、理音さんもここから活躍を増やしてほしい。
さて、『漫談』が久々の優勝を飾ったということで、来年は永田さんが優勝して、「ピン芸といえば、漫談である」というくらいのうねりを見せてほしいな……という新たな希望も生まれた。
来年に漫談でR-1に出ると、ぴんくさんの熱量と比べられてしまうのか……と思うとなかなかハードルが上がったような気もするけれど、来年も楽しみだ。
#お笑い
2024年3月8日(金)
2008年、太平洋上で停泊していた漁船・第58寿和丸が突如、数分のうちに沈没。17人が死亡・行方不明となる大事故となった。
第58寿和丸はもっとも安全なパラアンカーによる停泊法を用いており、突然沈むということは考えられない。特別に海が荒れていたわけではなく、周辺の僚船はまったく被害に遭っていなかった。
生き残った3名の乗組員の証言では、海には大量の黒い油があふれていたという。彼らは油のなかを必死に泳いで脱出している。
油は、おそらく第58寿和丸から流出したものと思われるが、船から油が大量にあふれているということは、船には『傷』が入っていたのではないか? なにかとぶつかり、船底に大きな亀裂が入り、沈没したのでは……と生存者たちは一様に考えているようだった。
しかし、国側が提出した報告書はずさんなものだった。生存者たちや漁船関係者の証言とはまったく噛み合わない、沈没の原因は「大きな波」によるものだという結論を提出され、当事者たちは大きく戸惑うこととなる。
5000メートル以上の深海に沈んだ船の調査も拒否され、事件は迷宮入りとなった。
波が原因で船が沈んだとは考えられない。船はおそらく、見えないなにかと衝突したのだ。
では……その『なにか』とはいったいなんなのか?
突き止めることはできないのか?
国は、なにかを隠しているのか?
忘れ去られた事件を執念で追いかける、ジャーナリストの戦いが始まる。
非常に論理的で読み応えのあるルポ。
当事者たちは事故の記憶に苦しめられているのに、報告書を作った側の人間たちは、取材に対して「記憶にない」「船の名前を聞いてもやっぱり思い出せない」と答えるシーンがたくさんあって、胸が締め付けられる。
都合の悪い真実を隠しているから「記憶にない」と言い張っているのか、それとも本当に忘れているのか。どちらにしても、当事者でないと、人はここまで残酷になれるのか……としみじみと感じずにはいられない。
国側の担当者はころころ変わっていて、ひとつひとつの事故に対してまったく誠実に対処していないということも浮き彫りとなる。黒塗りだらけの書類が提出されるくだりでは、この国が今もはらんでいる隠蔽体質について考えさせられる。
死者・行方不明者合わせて17名という大きな規模の事故であるにも関わらず、個人的にはまったくニュースで見た記憶がないなと思っていたのだけれど、当時、2008年6月8日には秋葉原通り魔殺人が起こっており、6月の報道はこの事件一色になっていたから、みんなの記憶には残っていない……という部分も、なんとも言えない悲しさがあった。
2008年の事故の3年後、2011年には東日本大震災による津波が港へと打ち寄せ、漁港の男たちは再び窮地に立たされる。しかし、この先の人生を生きていかなければならない。
過酷な試練のなかで、それでも前を向く当事者たちの姿に、胸を打たれた。
#読書
2024年3月7日(木)
駅メモ旅とは、位置情報ゲーム「駅メモ! - ステーションメモリーズ!」をプレイして未獲得駅を埋めながら、行き先をアドリブで決め、降車してそのまま引き返してくるという旅のこと。
基本的には、電車に乗ってぼんやりしているだけという気楽な旅だが、一応、いくつかの条件はある。
・空いている時間は、ラジオを聞くか読書をして過ごす
・電車代以外の出費は極力減らすが、途中の飲み食いは我慢しない
・可能であれば、行きと帰りは別のルートをたどることが望ましい
・降りた駅の周辺を歩いて楽しむ
・過度な観光はしない
毎度のことだが、電車に乗ることが目的であるため、降りた駅で買い物をするとか、観光をするということはほぼほぼない。
以下、無駄に長いので、折りたたんでおく。
まず、旅のスタート地点で家系ラーメンを食べる。
きょうは贅沢に過ごしてやるぜ!!という気合を入れるため、杏仁豆腐もつける。完璧。
そして、西武新宿線へ。
これまで、西武新宿線に乗る機会そのものは多かったのだが、端から端まで行く機会がなかなかなかったのだった。
未取得だった上石神井駅~下井草駅を取得し、無事にコンプリート。
西武線で残っているのは、あとは西武多摩川線のみ。
西武池袋線、西武西武園線、西武国分寺線、西武拝島線、西武狭山線、西武山口線、西武秩父線、西武有楽町線、西武多摩湖線、西武豊島線はすでにコンプ済みだった。
こうして見ると、こまごました路線が多いなあ、西武線。
池袋線と新宿線を除くと、すべてが8駅以内におさまっているという。
下井草駅で降りてもよかったのだが、せっかくなので、終点の西武新宿駅で降りて、新宿駅から帰るか~。西武新宿という名前だから、きっと新宿駅まで、歩いていけるよね。
……などと、西武新宿駅で降りたことがない田舎の民はのんきに考えていたのだったが、これは甘かった。
西武新宿駅で降りて改札を出てみたが、どこにも新宿駅が見当たらない。案内も見つけられず。
怪しげなピンク色をした巨大トレーラーが、「ショコショコ~、ショコラ♪」みたいな変なメロディを垂れ流しながら通り過ぎていく。初めて見る車だが、「バーニラ、バニラで高収入~♪」の亜種だと思う。
ちょっと歩くと、「東新宿駅まで600M」という立て看板が見つかった。
新宿駅ではないが、東新宿駅なら、大江戸線に乗れるな……という目算を立て、東新宿駅に向かう。
しかし、街の様子がなんだかあやしい。いつも通っていた新宿の風景と違う。
古そうな建物の薄暗いお店が多かったり、ヒッピーっぽい感じの人がうろうろしてたり。
途中、何度か横断歩道で信号待ちをする機会があったのだが、みんな、歩行者側が赤信号で、車が何台も来ているのに、平気で道を渡っていく。車は急ブレーキをかけて止まる。
もちろん普通に待っている人もいるが、1回の赤信号で、10人くらいはまるで青信号かのように横断していた。なんだ、この街は……。
そして、目の前に「アパホテル 歌舞伎町店」というでかい建物が現れて、「これが、歌舞伎町だったのか!?」とアホみたいな答え合わせをしていた。
あんなに「龍が如く」で見ているのに、いざ歩きだすと意外と気づかない。
新宿駅の住所は「新宿区新宿」なのだが、西武新宿駅は「新宿区歌舞伎町」にあるのだった。そうなの!?
西武線は近くの駅まで長々と乗客を歩かせることに定評があるが、まさか歌舞伎町を歩かせる仕様になっていたとは。
東新宿駅は一応、「新宿区新宿」にあるんだけど、雰囲気的にはやや歌舞伎町に近いと思う。ちょうど中間くらいにあるのかな。
さて、歌舞伎町の雰囲気の上澄みだけを味わったところで、東新宿駅を起点に、都営大江戸線をコンプしに行くことに。
都営大江戸線といえば、15年前に放映していたアニメ「ミラクル☆トレイン ~大江戸線へようこそ~」の印象が強い。
鉄道をモチーフにしたアニメって珍しいよな、と新鮮に見ていたような記憶がある。
ただ、アニメのメインキャラとして出てきていたのは、都庁前、六本木、新宿、両国、月島などで、ほとんどの駅は空気だったのはやや惜しい。38駅もあるからしょうがないんだけど、アニメがもうすこし続いていたら、他の駅ももっと活躍できたのかな。
今回は国立競技場駅、新御徒町駅~清澄白河駅までを埋め、無事にコンプリート。
そのまま、地下鉄で読書しながら帰ることにした。
喉が渇いたので、乗換駅の自販機でミルクティーを買い、休憩しながら帰宅。
なお、これで路線コンプは71本目。
ついに70超え!ということでかなり嬉しい。次の目標は100。
駅メモ旅は、車内でほとんどの時間を過ごすので、ラジオと読書の準備が必須。
今回の旅のおともは、伊澤理江「黒い海 船は突然、深海へ消えた」というノンフィクション本と、「ほら! ここがオズワルドさんち!」にした。
前半は「黒い海」を夢中で読み進め、後半は「オズワルドさんち」を聞いていた。
本の感想はまた別の日に書くとして、「オズワルドさんち」はカオスだったな……。
畠中さんががんの手術で欠席しており、ピンチヒッターとして、鈴木もぐら(全裸)、真空ジェシカ(片方全裸)が来るという……ラジオなので、冗談で全裸と言っているのかと思ったが、あとで収録風景の写真を見たら、本当に全裸だった。どういうこと? 脱いでいいのか、ラジオブースって……。
もぐらさんと真空ジェシカが伊藤さんを言葉で攻めて困らせまくるという、3対1の卑怯な構図が最高だった。「ほら!ここが父ちゃんちの踊り場」すぎるのよ……。
イワクラさんと伊藤さんが喧嘩中で、結婚は今はしないかも、という話が妙に深刻なトーンだったなー。気になったが、詳細はぼかされていて、よくわからなかった。続報を待つか。畳む
#ゲーム
2024年3月6日(水)
昨日は哺乳類を誕生させるところまでしか行けなかったのだが、翌日になると人類が生まれている……というスピード、完全に「ドラえもん のび太の創世日記」じゃねーか!!という感じで、創世日記好きとしてはかなり嬉しい体験だ。
もっと人類を進化させていきたい。
#ゲーム
2024年3月5日(火)
何も考えたくないぜ!というときにはとにかくクリッカーをやりがちなのだが、そろそろ新しいクリッカーを開拓したいなということで。
「Cell to Singularity」は、生物の進化の過程を学びつつ、地球の生態系や宇宙そのものを作り出すクリッカーゲーム。
今のところ、惑星や衛星を発見し太陽系を生み出すパート、恐竜をひたすら進化させるパート、そしてDNAやアミノ酸から始めて、さまざまな生態系を生み出すパート(これがメイン?)の3パートに分かれている。
ゲームバランスは良好で、序盤はほどよいペースで進んでいく心地よさがある。
ビジュアルも非常にクオリティ高いものとなっており、ピンからキリまでさまざまなゲームがあるクリッカーゲーム界隈のなかでも、かなり上位に位置する作品なのでは?という予感がある。
Steam実績は19個ということでかなり少なめだが、ゲーム内実績は253個もある。なかなかやりこめそうである。
#ゲーム
2024年3月4日(月)
お抹茶さんのネタもあんまり見たことないけど、それ以外はよく見かけるメンバーという感じ。
芸歴制限がなくなったことで、ベテランだらけの大激戦になり、例年よりもバチバチのバトルになる……という状態を運営サイドは狙っていたのではないかと思うけど、メンバーは撤廃前とそんなに変わらないという。
ということで、今回唯一のアマチュアからの決勝進出のどくさいスイッチ企画さんのネタを見る。
自分の出順が最後だと聞かされたときの、「アマチュアは一番最初に置くべきだと思います」という冷静なツッコミが印象的だった。
いったいどんな人なのかと思って見始めたが、めちゃくちゃテンポよくておもしろい!!
発想も独創的で好き。
絶対にピン芸人でなければ実現できないテンポ感で、至高のピンネタだと思った。
相手のセリフがないことで、スピードを上げると同時に想像力にも働きかけてるの、センスいいなあ。
顔がちゃんとクイズ王っぽいのも説得力ある。
「優勝するのを目標にしないと、みんなに失礼なので、優勝したいです」という誠実さあふれるコメントもあいまって、かなり応援したくなった。
#お笑い
2024年3月4日(月)
けっこうたくさん見たし、そろそろ半分くらい行ったか!?と思っていたが、まだ全体の3割くらいという……スーパー戦隊マラソンの道のりはまだまだ続く。
大本命のルパパトを見終わってしまったため、次になにを見ようか、また考えている。
最近はカクレンジャーを見ている。なにも考えずにだらだら見られて、サクッと話が終わるのが気持ちいい。
半分くらい見て放置している作品がいくつかあるので、そこから攻めていったほうがよさそうではある。
でも、半分くらい見たのに最後まで見ていない作品って、相性があまりよくないパターンが多くて、それよりも新しい作品を見始めてしまったほうが楽しいのでは?という気持ちもある。
キャラが好きになれないとか、レッドの性格が合わないとか、そういうタイプのが多いかな。
目下のところはカクレンジャーと、実はお楽しみ用にまだ話をいくつか取ってあるギンガマンかなー。
VSを楽しむために合間合間を埋める、という意味ではトッキュウジャーとキュウレンジャーを埋めたほうがいい。
このふたつを埋めると、ゴバス~ルパパトまでの7年分のコンボが繋がるんだよなー。
#特撮
2024年3月2日(土)
行旅死亡人とは、病気、行き倒れ、自殺など、さまざまな理由で亡くなり、身元が不明のまま、どこにも引き取り手のいない死者を指す法律用語。基本的に事件性はないのだが、官報にて公表される行旅死亡人のデータには、時折、不可解なミステリーを匂わせるものがある。
「ある行旅死亡人の物語」は、ふたりの記者が、3400万円という大金を持ちながら死んだ名もなき女性の人生を追い、彼女の名前を見つけるまでを克明に描いた、執念のルポだ。
所持金3400万円、そして右手の指が一本もない。持ち物のなかには星型のペンダントがあり、ペンダントのなかには暗号のような数列が記載されていた。部屋には大きなぬいぐるみが大切に残されていた。
そんな女性の遺産の相続人を探している弁護士と接触するところから、物語ははじまる。
さまざまにもつれあう人間関係を丁寧に紐解きながら、女性の名前が発覚するくだりは、どんなフィクションよりもぐっとくる。
もちろん、ノンフィクションなので、判明しない点も多いのだが、それも含めて、ひとりの人間の生の厚みを感じられて、読み応えがあった。
どんなに隠れて生きようとしても、その人が働いたり、近所の人と話したり、家賃を払ったり、買い物をしたり……どこかで他人とのつながりが生まれる。
もしかしたら、自分もいつかは行旅死亡人のひとりになるかもしれないけれど、だれかが足跡をたどってくれたなら、きっとそこかしこに生きた証があるはずだ。
ありふれたものかもしれないけれど、自分にもそんな痕跡が残されている。
自分が死ぬ日のことを想像して、世界のスケール感に圧倒される。そんな本だった。
これを読んだあと、行旅死亡人データベースを閲覧してみたのだが、病気、孤独死、自殺などのありふれた死因とは別に、「ホルマリン漬けにされた胎児」、「江戸時代に死んだと推定される人骨」、「ゴミ捨て場に捨てられた火葬後の遺骨」など、さまざまな行旅死亡人のデータがあって、データベースを読んでいるだけでも、「こんな人生もあるんだな」と世界が変わっていくような感覚があった。
やっぱり、ノンフィクション本は視界が急激に広がるような感覚があって、小説とはべつの手応えがあるよなー、としみじみと思った。
また、おもしろいノンフィクションが読みたくなる。
#読書
2024年3月1日(金)
Tempalayの「そなちね」が宇多田ヒカルの「光」にそっくりで、素直に聞けない……と怒っている人を以前見た。
そんなに似てたっけ?と思いつつ、しばらく忘れていたのだが、久しぶりに聞き直したら、「あ、ここの部分のことか!!」とようやく気づいた。
「光」終盤の「もっと話そうよ目前の明日のことも」のところが、「そなちね」の「その白さ 夏の煙にまかれては消えてゆくあてもなくただ」のパートに印象が似ているよね、ということだったのか。
それ以外の部分のイメージが違いすぎて、どこのことを言っているのかもピンときてなかった。
こういうの、言われないと絶対気づかないんだよな。アンテナが鈍いんだろうな。
たまたま似ているというよりは、「そなたは美しい 光あれ」、からの「その白さ」(光の白さのこと?)という流れのなかのメロディであり、タバコや花火という「光」が印象的に出てくる曲でもあるので、「光」を想起させるように、あえてここはこういう雰囲気にしているのでは?と個人的には思う。このあたり、インタビューとかで語られていたりするんだろうか。
しかし、「光」のMVはセンスあるよなあ。初めてテレビで見たときに「何だこれは!?」と思った記憶がある。
#音楽
2024年2月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
2024年2月29日(木)
始めたてのひよっこなのに、強い人にたまたま勝ってしまい、シルバーランクになってしまった。
しばらくはブロンズあたりでうろうろする心づもりでいただけに、急に強めの人たちに囲まれて心折れそう。
コンボ覚えないとな……と思いつつ、だらだらとバトルハブをやったり、ラシードのストーリーを見たりしていた。
バトルハブで自分と同じくらいの強さの人に出会えたときが一番楽しいかもしれない。無限に再戦できるし。いい感じの人がいるかどうかは、時間帯やマッチングによるのかなあ。きょう会った外国人のエドはほどよい強さだったなー。
キャラが好きでやってるところもあるので、ラシードのストーリーの内容には期待していたのだが、リュウとの再戦、そして動画配信のためにドローンを購入しただけ……という申し訳程度のお話しかなくて、せつない。
こんなになにもないこと、あるんだ……。
せめてアザムとの掛け合いかA.K.I.との因縁が見たかったなあ。アザムなしなのは、声優の節約なのか?
#ゲーム
2024年2月28日(水)
先週の予想通り、マユリカの優勝。
なにもしていないマユリカVSなにもしていないくらげ、という、作り物ではないナマのおもしろさのデッドヒートがおもしろい。
主に大悟さんの好みだと思うけど、作り込みすぎるよりも、ナマの人間の感情がそのまま載っかっているロケのほうが楽しい、というような評価軸がある気がする。
昨年優勝の真空ジェシカも人間ドラマだったし、やっぱりロケは感情やドラマがあったほうが見ごたえがあるのかもしれない。
さて、今回は、ともしげさん軸にしたらパッとしなかったモグライダー、完成度はかなり高いが、それゆえに作り物感が出てしまった真空ジェシカ、そして、ヘンテコお父さんと公園でひたすら遊ぶだけのマユリカの三本立て。
マユリカが優勝したのはほぼほぼお父さんのキャラがおもしろいからであり、構成もクソもあったものではない。
だが、カベポスター、ヤーレンズ、真空ジェシカなど、魅せ方重視で構成の上手なロケが多いなかで、くらげやマユリカの『本物』感はたしかに輝いていた。
ちゃんと計画できていない感じや、計画してはいるがから回っている感じが、めちゃくちゃ笑えるんだよなあ。
個人的にはくらげが優勝でもよかった気がする。
「くらげを優勝させたらまずいから、消去法でマユリカにしておこう」みたいな、M-1では絶対にありえないゆるい決着が楽しい。
ロケは経験を重ねればどんどん上手になっていくものだ。三年連続出場の真空ジェシカのロケの上達っぷりは凄まじい。
でも、上手になる過程で失われてしまう魅力は確実にある。
くらげとマユリカのロケには、そんな刹那の輝きが隠されていたという気がした。畳む
#お笑い
2024年2月27日(火)
本編で東雲悟が出てきたとき、「こんなぽっと出のキャラ、偽物に決まってるだろ!」と瞬時に判断してしまったのだが、実際は本編の合間にこういう掘り下げエピソードがあったという。
ぽっと出のキャラ扱いして申し訳なかった。
30分という短い時間の中で、かつてのパトレン2号・東雲悟がどういう人だったのかを丁寧に語っている。
圭一郎とはまた別の意味で、理想の警察官だったという事実が判明するのはお見事。
しかし、ラストシーンでジュレに訪れた東雲悟はおそらく……という点も含め、視聴者に対してはかなり厳しめの展開ともなっている。人の心がない。
念願の警察サイドの掘り下げなのに、鬱展開の重みが増すという。
けっこう大事な話でもあると思うんだけど、なんでこれを本編でやらないんだ!?という気持ちにはなるなあ。
本編は警察サイドの話がかなり少なめだったので、これくらいの情報は、本編で東雲悟が出る前に、咲也の主役エピソードの一部として入れてあげてもよかったのでは。
ジャックポットストライカーの件もそうだけど、本編が盛りだくさんすぎて、入りきっていない要素がちょこちょこあるのが凄まじい。密度の濃さが半端ないな。
#特撮
筋肉少女帯のボーカルとして長年ライブシーンに立ちながらも、まったく楽器ができない、楽譜も読めないオーケンが、ギターに目覚めるという私小説的エッセイ。
どのタイミングだったかは忘れたけれど、オーケンのエッセイには多少の誇張やフィクションが混ざっていて、完全なノンフィクションではないよ、というような話を本人がしていた気がする。
「FOK46」はそのフィクション性に自ら着目して、あえて逆手に取り、私小説として仕上げたエッセイ……というふうに読めると思う。
タイトルからはほのぼのした印象を受けるが、内容はかなりシリアスで、40代のオーケンが体験した身近な『死』について、淡々と述べられている。
その『死』に背中を押されるような形で、ギターへとのめりこんでいく疾走感と、焦燥感。
作中でも述べられているが、40代での他人の『死』には特別な重みがあるのではないかと思う。
50代を超えれば、誰でも病気になるリスクがあり、周囲で亡くなる人も増えるだろうが、40代はまだそういう年齢ではない。しかし、30代よりは確実に死に近い。
そんな過渡期ともいえる年代のなかで、立て続けに体験した友人や家族の死。
オーケンなりのユーモアを交えつつ、死を受容し、前向きに生きていく姿に勇気づけられるし、若い頃のオーケンのエッセイを読み込んでいればいるほど、彼がこの文体を崩さずに、次のステージへと駒を進めていることに驚くはずだ。
この本は2014年発売で、すでに10年前の話なのだが、久しぶりにオーケンのエッセイを読んだ者としては、昔と変わらないオーケンのまま、着実にいい年のとり方をしていることがすごく嬉しい。
#読書